韓国・釜山に残る日本の歴史探訪の旅(1)水晶洞日本式家屋から陸軍運輸部釜山出張所跡地まで
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私の住んでいる韓国の釜山は、日本から距離が近いこともあり、大昔から両国間で人々の行き来がありました。
13世紀には日本と韓国の交易の拠点となる倭館(わかん)と呼ばれる日本人居住区が釜山にできました。
その後日本による統治時代を経て、独立とともに日本の統治時代の記録や建造物はほとんど破棄・破壊されてしまいました。そのため韓国には当時の資料はあまり残っていません。
今回私は知人に依頼を受けて、韓国が日本により統治されていた時代に釜山に住んでいたという方の、当時の家があったであろう地区を探しに行ってきました。
きちんと保存された資料はほとんどないにしても、あちこちに日本の歴史を感じるものが釜山にはたくさん存在していることを知りました。
記事の目次
旅の概要
今回の依頼主は、お父様が日本陸軍の高官で、韓国の日本統治時代に釜山にある陸軍運輸部に数年間いらっしゃったということでした。
ご本人は当時は生まれて間もなかった頃なので記憶はないものの、釜山の家を探すのは今は亡きお母様の長年の夢だったということです。
その機会が無いままご本人も高齢となり、なんとか一度住んでいた辺りを訪れてみたいと言われ、私が事前調査に向かうことになりました。
日本統治時代の釜山の中心地は中区・東区
日本統治時代の釜山の中心地は現在の中区や東区と呼ばれる辺りです。13世紀の倭館の時代から日本人の居住区はこの地域にありました。
中区には、日本からの連絡船が停まる国際旅客船ターミナルや、韓国の高速鉄道KTXの発着点である釜山駅、ショッピングや観光で有名な南浦洞や国際市場などがあり、今でも釜山の物流の中心地となっています。
陸軍運輸部釜山出張所
インターネットで調べたところ、当時釜山にあった陸軍運輸部は、現在の中区大庁洞にあったようです。
陸軍運輸部の建物は戦後もしばらくその姿を残していましたが、その後ソラボルホテルという高級ホテルに建て替えられました。そして現在はソラボルホテルは廃業し取り壊され、コモドエステートというマンションになっています。
陸軍司令部が、陸軍運輸部の1キロほど北の現在のコモドホテルのある辺りにあったということで、軍の高官は陸軍司令部の周辺や、陸軍運輸部のある大庁洞に居住していたのではないかと言われています。
今回回ったルート
今回は、倭館時代から日本人が多く居住していたと言われている東区草梁洞から、陸軍司令部のあったコモドホテル周辺を通り、陸軍運輸部の跡地まで歩いてみました。
地図には実際に歩いたルートが示されています。途中どこを歩いているのか分からなくなった時もあり、ちょっと曖昧ではありますが、参考にして下さい。
11時に草梁駅を出発し、直線距離で4キロほどの区間をあちこち寄り道しながら約3時間かけて歩きました。
出発は慰安婦像のある草梁駅
今回の歴史探訪の旅の出発地点は、釜山の地下鉄1号線草梁駅です。
草梁駅には日本総領事館があり、2016年の年末に慰安婦像が建てられたことで一躍有名になりました。草梁駅の7番出口を上り、そのまま真っすぐ10mほど歩くと、金色の慰安婦像があります。すぐ右手は日本総領事館です。
私は日本総領事館には1、2年に1回程度パスポートの更新などの用事で来ますが、慰安婦像の前を通るのはあまり良い気分ではありません。韓国には早く合意を守って撤去して欲しいと思います。
釜山水晶洞日本式家屋
草梁駅から10分ほど歩くと、水晶洞日本式家屋があります。
水晶洞日本式家屋は1940年代に小原さんという資産家が建てたもので、韓国の独立後は建物はそのままに高級料亭として使われていたそうです。現在は韓国の登録文化財に指定され2016年より一般開放されて中に入ることができます。
中は畳敷きのカフェになっていて、お茶を飲むことができます。畳に上がるとどこか昔なつかしい匂いがしました。2階建てで、階段で上がることができます。
この周辺は依頼主の家があった辺りとは違うはずなのですが、日本統治時代の日本式家屋としてしっかりと保存されている数少ない建物ということで寄ってみました。
おそらく依頼主の家もこのような感じだったのではないのかなと思います。
草梁駅からコモドホテルまで
次は水晶洞日本式家屋を後にして、南南西にあるコモドホテルに向かいました。
地下鉄の路線沿いに走る中央大路は大通りで、サムソン生命やMeritzなどの大企業のビルが並びます。その東は釜山港で、コンテナが積み上げられています。中央大路から東側は埋立地です。
中央大路の西側には山があります。朝鮮戦争の時に戦火から逃れてきた人々が山の斜面の不便な場所に住み着いたということで、今でもインフラの整っていない貧困地域です。
倭館の時代から日本人は海岸沿いの便利な低地に住んでいたそうです。大通りである中央大路沿いは古い建物はほとんど残っていないので、大通りを数本山側に入った古い住宅の残る通りを歩きました。
中央大路の山側は斜面になっているので、住宅地を見下ろしながら歩くことができます。ここかしこに、日本式家屋と思われる特徴を持った住宅を見つけることができました。
ここかしこに残る日本式家屋の名残
日本式家屋は造りがしっかりしているため、韓国の独立後も韓国人の住居として長い間使われてきました。
今はそのほとんどが老築化や開発で取り壊されてしまいましたが、それでも未だに住居として使われ日本式家屋の面影を残している建物が残っています。
日本式家屋であるかどうかは、屋根に注目すれば見分けることができます。日本式家屋の屋根は瓦屋根でできていますが、長い年月を経て瓦が崩れてきたりしたため、それを青や緑の塗装剤で固めて補強して使われてきました。
コモドホテルは丘の上
あちこち小道に入って寄り道をしながら釜山駅を過ぎ、コモドホテルに続く中区路という道を登っていきました。コモドホテルは中区路を登りきった小高い丘の上にあります。古い道なので大きな街路樹が多く、落ち着いた雰囲気です。
陸軍司令部が正確にはどこにあったのかは分かっていませんが、コモドホテルを通り過ぎて更に中区路を大庁洞方面に向かいました。
コモドホテルから大庁洞まで
南星女子高に迷い込む
コモドホテルから中区路を更に大庁洞方面にすすむと、中区区庁がありました。中区路は大通りなので、道沿いには古い建物はあまり見られませんでした。そこで中区区庁から東側に下る細い道があったので、そちらに進むことにしました。
人通りがそこそこあったのでついていくと、なんと女子校に迷い込んでしまいました。後戻りするにも結構進んできてしまったし、そのまま出口を見つけるまで直進することにしました。
後でインターネットで調べると、この南星女子高は日本統治時代の1941年に三島女子高等実習学校として日本が作ったものだということがわかりました。
女子校は丁度丘の上にあったため、校庭から釜山港が見下ろせました。すぐ下は急な斜面になっていて古い住宅がたくさん見えました。
南星女子高を抜け出すと住宅地
なんとか女子校から抜け出し、丘の斜面を下る急な階段を降りました。この辺はもう大庁洞です。陸軍運輸部の跡地もすぐそばのはずです。
丘の下の住宅地には日本式家屋と思われるものは見られませんでしたが、敷地の広さからしてもしかしたらこの辺りに依頼主のご家族が住んでいたのかもしれません。
陸軍運輸部跡地
入り組んだ住宅地を数分歩いているうちに、気づくと大通りに出ていました。この大通りが大庁路です。
道路沿いに陸軍運輸部の跡地であるコモドエステートを見つけることができました。
当然ですが、昔の面影はまったく残っていません。
陸軍運輸部跡地周辺の住宅
目的地には着きましたが、陸軍運輸部跡地の周辺をもう少し歩いてみることにしました。コモドエステートの裏は細い路地になっていたので、この路地を西に進みました。
すると陸軍運輸部跡地のすぐ裏側あたる場所に、はっきりと残った日本式家屋を見つけることができました。屋根は布で覆われていましたが、間口や窓の造りは日本式家屋の特徴が残っています。
もう少し大庁洞を詳しく歩き回りたかったのですが、今回はここで時間切れです。再び大丁路を東に戻り、南浦洞駅より地下鉄で帰途につきました。
まとめ
私が住んでいる場所は釜山の中でも今回探訪した中区や東区からは離れた地域なので、日本領事館に行く用事があるとき以外あまり出かけることはありませんでした。
でも、今回こうして釜山に残る日本の歴史を探しながら歩いたことで、とても興味深い探訪の旅となりました。
次回は釜山タワーに登って大庁洞の全景を確認してから、更に大庁洞を細かく歩いてみたいと思います。
基本情報
- 名称:釜山水晶洞日本式家屋
- 住所:75 Honggok-ro, Dong-gu, Busan
- アクセス:釜山地下鉄1号線草梁駅9番出口より徒歩10分
- 営業時間:9:00-18:00(年中無休)
- 電話番号:051-467-7887
- 公式サイト(釜山水晶洞日本式家屋の説明は韓国語のみ):http://korean.visitkorea.or.kr/
続きを読む:釜山に残る日本の歴史探訪の旅(2)釜山近代歴史館と陸軍運輸部跡地周辺
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