釜山に残る日本の歴史探訪の旅(2)釜山近代歴史館と陸軍運輸部跡地周辺
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前回、釜山に残る日本の歴史探訪の旅(1)と題して、水晶洞日本式家屋から陸軍運輸部釜山出張所跡地までを歩いた道のりを紹介しました。
この探訪の旅は、日本が韓国を統治していた時代に陸軍運輸部釜山出張所に勤められていた方の娘さんから、当時住んでいた家の辺りを知りたい、という依頼があり始めたものです。
今回は、前回時間切れで回りきれなかった陸軍運輸部跡地の周辺を更に詳しく見てまわって、日本の歴史のなごりを探してきました。
記事の目次
歩いたルート
今回は、釜山の地下鉄1号線の南浦駅から出発して、龍頭山公園の釜山タワー、釜山近代歴史館を経て、陸軍運輸部跡地の周辺の路地を歩きまわりました。
依頼人の家は、陸軍運輸部跡地のある大庁洞にあったのでははないかと推測しています。
釜山タワーから大庁洞の全体像をつかもうとするも失敗!
前回東区と中区の古い住宅地を歩いてみて分かったのですが、この辺りは高低差が激しく細かい路地が多いため、路地に入ってしまうと建物に埋もれてどこを歩いているのかよく分からなくなってしまうことがありました。
そこで今回は、まずは大庁洞の全体像をつかむ目的で、釜山タワーに登ってみることにしました。
釜山地下鉄1号線南浦駅7番出口から出ると、そこは若者のショッピングの街として有名な南浦洞です。光復路と呼ばれる石畳の道の両脇にはカフェがたくさん並んでいます。
更に奥に進むと、ナイキやアディダスなどのスポーツブランドや、韓国のファッションブランド、コスメブランドが大きな店舗を構えています。日本からの観光客もたくさん訪れます。
光復路から釜山タワーのある龍頭山公園へは、エスカレーターで登れます。
釜山タワー
釜山タワーは、釜山でもっとも代表的な観光名所の1つです。ですが、なんと私は10年以上も釜山に住んでいながら、釜山タワーに来たのは今回が初めてです。
釜山タワーの高さは約120メートル。中区光復洞の龍頭山公園にあります。大庁洞は龍頭山公園から大庁路を挟んですぐ北側にあります。釜山タワーに登れば、すぐ下に大庁洞を見下ろせるはずです。
リモデリング中で釜山タワーに登れない!
てっぺんからの眺めに期待しながら南浦洞からのエスカレーターを上ると、どうも様子が変なのが気になりました。
龍頭山公園にはのんびりと散歩を楽しむお年寄りがいるのですが、どことなく閑散としています。そして、釜山タワーの周りは工事の柵で覆われています。
なんと、2017年の6月から9月初めまで、釜山タワーはリモデリング工事のため一時閉館中とのことでした。
きちんと下調べをしてから来れば良かった、と後悔しながら、気を取り直して次の目的地に向かいました。
釜山近代歴史館
龍頭山公園の北側から大庁路に続く山道を下りました。途中大庁洞を見渡せる場所があったので、写真を撮ってみました。
陸軍運輸部跡地のコモドエステートが写真の右端の木に隠れて写っている白いビルです。今日はその左側のエリアを探索する予定です。
山道を降り大庁路に出ると、すぐ左手に釜山近代歴史館がありました。
釜山近代歴史館は、日本統治時代の1929年に、日本の東洋拓殖株式会社の釜山支店として建てられました。
日本からの独立後はアメリカの所有となりましたが、1999年に韓国に返還されました。2003年より、東洋拓殖株式会社の建物はそのままに、釜山の日本による植民地の歴史を伝える博物館としてオープンしました。
3階建てのこじんまりした博物館ですが、植民地時代の釜山の写真や現物の資料などが多く展示されていて、なかなか見応えがありました。
今回は大庁洞の路地を歩いて見ることがメインの目的だったので、ざっと見てまわることしかできませんでしたが、日をあらためて時間をかけてこの博物館をまわってみたいな、と思いました。
もしかしたら、ここで依頼主のお父様に関する資料や住居に関する手がかりを見つけることができるかもしれません。
陸軍運輸部跡地の周辺の路地をくまなく探索
釜山近代歴史館を後にして、今回の探訪のメインとなる大庁洞の路地の探索です。
路地の奥は、地図にも載っていない建物と建物の間の細い抜け道や階段などが入り組んでいて、まるで迷路に入り込んだようでした。
古い住宅が多く、普段あまり目にすることのない韓国のディープな世界です。夜に来たら、ちょっと怖そうです。
さっそく日本式家屋の名残である瓦屋根を探しながら歩きまわりました。
路地1(香椎源太郎邸)
路地に入って少し進むと、異様な存在感の日本式家屋がありました。高いコンクリート塀で囲まれ、ところどころ屋根が崩れ荒廃した雰囲気です。
脇の道に階段があったので、少し登って高いところから見下ろすと、人は住んでいない様子でした。
後で家に戻りインターネットで調べたところ、この日本式家屋は釜山三大富豪と呼ばれた香椎源太郎さんの本邸だったようです。昭和10年頃にはあったらしいので、丁度依頼人の家があった時代と重なります。
中はどうなっているのかとても気になりました。
路地2(釜山第一公立国民学校)
路地をうろうろしているうちに、大庁路の北側の大通りに出ました。コモドホテルに続く中区路です。中区路を東に進むとコモドホテルや中区区庁になります。今回は西に折れて、別の入り口から再度大庁洞の路地に入りました。
中区路に面して路地の入り口には、小学校がありました。この小学校は現在は光一小学校となっていますが、元は日本統治時代に日本が作った釜山第一公立国民学校と呼ばれていたようです。現在の校舎は戦後建て替えられたものです。
路地3(立石良雄邸)
小学校から入った路地を進むとすぐにまた大庁路に出てしまったので、前回気になったコモドエステートの後ろから南星女子校の方に抜ける路地をもう一度歩いてみることにしました。
コモドエステートの裏の路地に入り奥に進むと、敷地の広い住宅が並んでいる道に出ました。高級車が停まっているのを見ると、現在もそこそこお金のある方が住んでいるのでしょうか。
この道の行き止まりに、蔦で覆われた物々しい雰囲気の家がありました。前回も見てとても気になった家だったので、これもまた家に帰って調べてみました。
立石良雄さんという釜山財界では有名な方の家だったようです。昭和16年に亡くなったということなので、この方も依頼主が釜山にいた時代と重なることになります。
40階段
立石良雄邸の横の狭い路地を辿って行くと、いつの間にか40階段に出ました。ここは朝鮮戦争の頃、北からの避難民が集まった場所だそうで、現在は観光名所となっています。
ここまで来てしまうと、今回の探訪の旅も終点です。後は地下鉄中央駅まで出て帰途に着きます。
まとめ
釜山に残っている日本統治時代の建物は思ったよりも多く、余程目立って大きな建物以外は、当時誰の家だったのか分かるものはほとんどありませんでした。
依頼主の家は当時の住所も分からず、陸軍運輸部の高官、というキーワードだけを頼りに探しています。
あてもない探訪の旅ですが、調べれば調べるほど依頼とは関係なく興味が湧いてきます。ここで紹介する「釜山に残る日本の歴史探訪の旅」は今回で終わりとしますが、これからも時間を見つけて探訪に出かけてみたいと思います。
興味を持たれた方は是非、釜山の歴史の迷路においで下さい。
基本情報
- 名称:釜山タワー
- 住所:37-30 Yongdusan-gil, Gwangbok-dong, Jung-gu, Busan
- アクセス:地下鉄1号線南浦駅7番出口より徒歩10分
- 営業時間:9:00-22:00(年中無休。ただし2017年6月より9月9日まで工事中のため休館。)
- 電話番号:051-246-8153
- 公式サイト(2017年8月現在リニューアル中):http://www.busantower.co.kr/
基本情報
- 名称:釜山近代歴史館
- 住所:104 Daecheong-ro, Daecheong-dong, Jung-gu, Busan
- アクセス:地下鉄1号線中央駅7番出口より徒歩5分
- 営業時間:9:00~18:00(月曜、1月1日休み)
- 電話番号:051-253-3845
- 公式サイト(韓国語のみ):http://korean.visitkorea.or.kr/
前回の記事:韓国・釜山に残る日本の歴史探訪の旅(1)水晶洞日本式家屋から陸軍運輸部釜山出張所跡地まで
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