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バンコクのカオサン・ロードで思い出した!バックパッカーの旅行スタイル

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カオサンロード

※かつて寺裏と呼ばれたエリアもすっかりお洒落になってしまいました。

インターネットの普及とモバイルデバイスの進化は、旅行者を取り巻く環境を大きく変化させました。近年出会う若い世代の旅行者からは「スマートフォンが無い旅行なんて考えられない」と言う声が聞こえてきます。

私が自由旅行を始めたのは2000年なので、どうやら「旧世代の旅行者」になってしまったようです。しかし当時の旅行スタイルは現代の旅行者にとって「より冒険色の強い旅行」に映るようです。

今回は久しぶりに訪れたカオサン・ロードで感じたことや、「温故知新」の意味合いも込め、2000年当時の旅行スタイルを紹介します。

バックパッカーの聖地「カオサン・ロード」とは?

要塞公園

※カオサンの脇を流れるチャオプラヤー河沿いにたたずむ要塞公園は旅行者の憩いの場です。

ラマ・8世橋

※要塞公園からは歴代国王の称号「ラマ」の名が付けられた「ラマ・8世橋」が見えます。現国王はラマ10世です。

運河

※カオサンからサムセンエリアへの道には運河があります。あれっ!?何かいますね!

オオトカゲ

※オオトカゲが日向ぼっこしてます。旅行者エリアでありながらローカルの雰囲気が漂うカオサンの風物詩?です。

一昔前までバンコクのカオサン・ロード(以下カオサンに省略)は、「バックパッカーの聖地」として世界中に知れ渡る有名なエリアでした。バンコクに到着した旅行者の多くが無条件に「カオサン」を目指しました。

このエリアは、正式には「カオ・サン(米・倉庫)」といい、その名のとおり米屋が立ち並ぶローカルの下町エリアだったと聞きます。私がここを初めて訪れた2000年には、旅行者が集まる通りに米屋が3軒ほど残っていたのを覚えています。

とはいえ、地元タイ人の間でカオサンは有名ではなく、タクシーやバスに乗った時には「バン・ランプゥ(カオサン周辺の地名)」と言った方が理解してもらえました。

このカオサンになぜ多くの旅行者たちが集まって来ていたのかというと、次に挙げる理由があったからだと考えられます。

  • 手頃な価格で宿泊できる安い宿がたくさんあること
  • 旅行者が多く情報が集まること
  • 格安航空券や長距離夜行バスの手配が簡単なこと
  • 比較的英語が通じるエリアであること

このような理由から、カオサンは加速度的に発展し現在はローカル色が強かったサムセンエリアまで広がっています

以前はカオサンから数分歩けばローカルエリアに入れたのですが、現在はツーリストエリアから抜け出すのにカオサンから20分ほど歩く必要があります。

世界屈指の安宿街であるカオサン

世界中から集まる非常に多くの旅行者を収容するために、カオサンには多くの宿泊施設が集まっています。ほとんどが中級かエコノミーに分類されるゲストハウスです。

1バーツが約3円だった当時は250バーツ(約750円)でエアコン付きの良い部屋に泊まれました。タバコ1箱とほぼ同じ値段の60バーツ(約180円)でシングルルームに宿泊できる「激安宿」も存在しました。

タイ国内の物価が上昇し1バーツも約3.5円となった2018年現在では、エアコン付きの部屋は500バーツ(約1,750円)からが相場のようです。扇風機だけの「ファンルーム」でも250バーツ(約875円)からの宿が増えています。

驚きなのがエアコン付きのドミトリー(相部屋)が急増していることです。以前は個室派の旅行者が多かったのですが、現在の主流はドミ派の旅行者のようで驚かされました。

1泊400~500バーツ(約1,400~1,750円)のドミトリーが人気だと聞いて、「エアコン付きの個室泊まれるじゃん!」とさらに目が点になりました。

安い宿はトイレ・シャワー共用、水シャワーが定番なのは昔も今も同じなようです。かつて嫌々ドミトリーに泊まった経験から、個人的には貴重品管理の面からも個室の利用をおすすめしたいのですが、時代が変わったようですね。

旅行者が多く、情報が集まるカオサン

旅行は一期一会の繰り返しです。違う国や町で出会って別れた旅行者と、カオサンでバッタリ再会したり、新しい出会いがあったりするのもバックパッカーの聖地ならではでしょう。

自分の目的地方面からカオサンを訪れた旅行者から、屋台でタイのローカルフードを楽しみながら「生の最新情報」を得ることができるのも、カオサンの人気を支えた要因と考えられます。

国境情報やアクセス、町の物価や治安など、同じ旅行者だから共有できる情報が溢れていました。

当時は「とにかくカオサンまで行けばなんとでもなる!」と全く計画を建てずにフラリとカオサンを訪れ、知り合った旅行者の情報から「面白そうだ!」と感じたエリアを訪ねる気ままなスタイルの旅行者も多かったものです。

格安航空券や長距離夜行バスの手配が簡単なカオサン

シークのチケット屋

※シークのチケット屋は健在で安心しました。

料金表

※相変わらずお値打ちな商品を扱っていますね。

基本的に旅の計画を立てない旅行者達は「思いついた場所」への移動を図ります。この時に頼りになるのが、航空券や手配を格安で行う旅行代理店です。

当時シーク教(インド北西部を中心にイスラムの影響を受けて興隆した宗教)の兄弟が経営するチケット販売店、通称「シークのチケット屋」は安いことで有名でした。

バンコク最安値で航空券を手に入れることができることから、企業に勤める駐在員がチケットを買うため「シークのチケット屋」に足を運んだりもしていました。

インターネットの普及と共にチケット販売店の売り上げは激減し、多くの店が廃業したと耳にします。それでも「シークのチケット屋」は現在でも変わることなく営業しているのを確認し、理由も無くホッとしました。

カオサンは比較的英語が通じるエリアだった

タイの公用語は「タイ語」のため、うっかりローカル色が強いエリアへ足を踏み込むと、全く言葉が通じないことも多々あります。ボディーランゲージでコミュニケーションを取るのも楽しいのですが、やはり意思の疎通が難しいのも現実です。

その点、カオサンで働くタイ人スタッフ達は外国人旅行者に慣れているので、英語を理解してくれ楽に過ごすことができます。

英語が苦手と言われる私たち日本人が話す英語でも、しっかりと聞き取ってくれるのでカオサンは自分が「旅行慣れして英語が上手くなった」と錯覚させてくれる素敵な場所でした。

現在、タイ人の英語力の向上は凄まじく、以前ほど優越感を感じさせてくれることが無くなっていますが、意思の疎通ができるのは便利なものです。

カオサン・ロード時代以前の旅行者の拠点「チャイナタウン」

チャイナタウン

※観光客で賑わうチャイナタウンはタイの文化と中国の文化が融合しています。

今回もカオサンでバッタリ知人(1975年から現在まで40年以上も旅行者生活を続けている)と再会しました。

彼は以前はチャイナタウンを拠点としていた「旧ジュライ組(昔の旅行者は常連客を宿名ごとに組み分けして呼んでいました)」でしたが、現在はカオサンに拠点を移しています。

今まで触れたことがなかった当時のチャイナタウンの色々な話を聞くことができましたので、少し紹介します。

ジュライ・ホテルを中心とした旧バックパッカーの聖地

ジュライ・ホテル

※閉鎖から20年以上たった現在でも廃墟が残されているジュライ・ホテル。

1990年代にカオサンが「バックパッカーの聖地」として定着したのですが、それ以前にも当然多くの「自由人」たちは世界中を旅行していました。

この時代にはバンコク中央駅(ファランポーン駅)の近くに位置する「チャイナタウン(ヤワラー通り)」が多くの旅行者の集まるエリアでした。

ジュライ・ロータリーに面する「ジュライ・ホテル」を中心に「楽宮大旅社(らっきゅうだいりょしゃ)」、「台北旅社(たいぺいりょしゃ)」などがヤワラーエリアに存在しました。

これらの宿はいくつもの書籍にも取り上げられる有名宿として、バックパッカーの間で評価が高く、ジュライ・ホテルには常に150人程度の日本人が宿泊していたそうです。

ヤワラーエリアの宿に落書きされ広まり、2000年代初頭まで語り継がれたバックパッカー哀歌を紹介します。

「金の北米、女の南米、歴史のアジア、ないよりましなヨーロッパ、豊かな青春、みじめな老後」詠み人知らず

ジュライ・ホテルは1995年に閉鎖し、2004年には楽宮大旅社、台北旅社が2015年に閉鎖したためにバンコクの元祖バックパッカーの聖地は消滅してしまいました。

現存するタイ最古の日本料理店

日本料理店

※何やら趣のある看板ですね。「日本食堂」って良い響きです。

花屋

※花屋の店舗入り口です。立派な通リでびっくりしました。

現在三代目が切り盛りする日本料理店「花屋」の創業は1939年で約80年の歴史があり、タイ国内で最も古い日本料理店です。

和食ブームに沸くバンコクには、現在数えられないほどの日本料理店が存在しますが、第二次世界大戦以前から営業を続けているのはこの「花屋」だけです。30年ほど前までは、タイを訪れる日本の首相が利用した歴史を持つ格式の高いお店です。

今回私はランチに訪ねたのですが、店内はタイ人のお客さんで賑わっていました。日替わり定食で190バーツ+税10%(税込み約730円)ですが、本格的な和定食でこの価格は満足度が高かったです。

「花屋」基本情報

  • 名称:花屋
  • 住所:683 Siphraya Rd. Bangkok Thailand
  • アクセス:ニュー・ロードとシー・プラヤー通りの交差点から東側すぐ近く
  • 営業時間:11:30~14:00、17:30~22:00
  • 電話番号:02(233)3080、02(234)8095

日替わり定食

※日替わり定食は「刺身、焼き魚、カツとじ」でした。

バンコク発展の礎となったニューロード

三重楼(さんじゅうろう)

※建物上部にあるのがニューロードのシンボル「三重楼(さんじゅうろう)」です。

花屋はニューロードとシー・プラヤー通りの交差点から東側のすぐ近くに位置しています。

このニューロードはタイ以外の東南アジア各国がヨーロッパの植民地だった時代に、「外国人が乗車した馬車が通れる通りを作って欲しい」との列強からの圧力で作られた通りだそうです。

現在のバンコク市内の中では特に大きな通りではありませんが、歴史のある通りです。

インターネット普及前の旅行者の通信手段や情報収集方法とは?

ネット屋

※宿の一角に細々と生き残っている「ネット屋」。利用率は高くなさそうです。

2000年初頭はインターネットの普及率は高くなく、旅行者にとってインターネット環境はそれほど重要なものではありませんでした

「Hotmail」や「Yahoo!Mail」などのフリーメールが普及し始めた当時は、旅行者同士でメールアドレスの交換を行い、後日連絡を取り合う程度の利用でした。

1週間に2~3回ほど旅行者街の「ネット屋」と呼ばれるインターネットショップで、メールの確認とメールサイトが提供するニュースを確認すれば事足りていました。

もはや絶滅してしまったアナログな情報ツール「情報ノート」

旅行の情報は「情報ノート」と呼ばれる共有ノートに書き込まれた情報を拾ったり、目的地方面からやってきた旅行者と情報交換したりして集めます。この情報ノートが意外にも優れもので、旅行情報収集には当時絶対不可欠なものでした。

ボロボロになったものを多くの旅行者が補強しながら、共有財産として大事に扱っていました。

情報ノートは「日本人宿」や「ジャパ飯屋(和食を扱うレストラン)」などに設置され、情報ノートを読むために、宿やレストランを利用する機会が増えます。結果として多くの旅行者と知り合う機会にも恵まれる、そんな存在でもありました。

情報ノートに書き込まれる内容は国境情報、交通機関情報、宿情報、物価情報、両替情報、美味しい地元料理の情報など多岐に渡ります。

為替レートなどの変動があった場合は「私は1ドル=〇〇キップで両替できました。」←「20××年〇月現在〇〇キップでした」←「20××年△月現在〇〇キップでした」と変動が判るように最新情報にアップデートされていました。

しかし、インターネットの普及で多くの旅行者の情報収集方法も大きく変わり、情報ノートを目にする機会はなくなったと言っていいでしょう。

奇跡的に残されている「情報ノート」も「この町サイコー!絶対また来ます!20××年〇月」などの思い出帳になってしまい、残念ながら新しい旅行情報が書き込まれることはないようです。

LCCの登場で激変した旅行者の移動手段

赤バス

※バンコク庶民の足「赤バス」。以前の運賃は3バーツ(約9円:1バーツ約3円)でしたが、現在は6.5バーツ(約23円:1バーツ約3.5円)。運行区間内統一料金です。

LCCの就航が増え、多くの旅行者がLCCキャリアの公式サイトから、直接航空券の手配を行っていると思います。

東南アジアのゲートウェイはタイ・バンコクでしたが、現在は大手LCCキャリアの拠点があるマレーシアのクアラルンプールが、ハブ空港としての機能を伸ばしているようです。

プロモーション価格を上手く使えば、日本からバンコクまでの直行便の航空券が1万円を切る金額で手に入るという事実を、若い世代の旅行者から教えられた時には正直言って目が点になりました。

東南アジアの移動手段は陸路移動の一択!?

当時から旅行者を乗せた「ツーリストバス」や「VIPバス」は存在していました。それでもローカル長距離バスを利用して移動する旅行者は少なくありませんでした。理由は「そっちの方が面白そうだから」です。

移動は基本的に日中で「早朝発の夕方着」が一般的でした。バスも列車も夜行はありましたが「移動中の景色を楽しめない」という理由で1部区間(タイ南部の島へはツーリストバスが圧倒的に安かったため)を除き利用は少なかったと言えるでしょう。

LCCの普及した現在ではタイ・バンコク~ラオス・ビエンチャンやルアン・パバンへの移動に飛行機を選ぶ旅行者も増え「時代が変わった」と感じさせられます。現在でも私はラオスからバンコクに向かう際は、相変わらず長距離バスを利用します

夜行バスを利用することが多くなりましたが、移動中は旅行者の当時の思い出が蘇って、ゆっくりと眠ることができません。たまの旅行で気が高ぶってしまうのかもしれませんね。

初めての目的地に到着してからは忙しかった!

初めて到着した町で旅行者が最初に行うのが「宿選び」でした。目的地のバスターミナルに付くとトゥクトゥク(乗り合いタクシー)などで安宿街を目指します。

が、古今東西バスターミナルに巣食う旅客業者は「質が悪い」と言うのが旅行者の通説です。

初めての町では地理が頭に入っていないのでやむを得ず利用し、案の定騙されたりトラブルを起こすのが1つの通過儀礼のようなものでした。この理不尽な通過儀礼を笑って楽しむ程度の心の余裕がある旅行者が多かったと言えるでしょう。

旅行の拠点となる宿選びは大変!

地獄のような通過儀礼の洗礼を受けた後は、本格的な宿探しを始めます。外観や受付に座っているスタッフの様子を伺って、「部屋は空いているか?」、「1泊いくら?」、「連泊すれば安くできる?」などの確認をします。

提示された条件に納得できれば次に部屋の内覧を行います。確認するポイントは次のとおりです。

  • 内鍵がしっかりとかかるか
  • 自分の南京錠で外から施錠できる構造か
  • 入り口のドアノブと窓が近すぎないか(就寝中に窓から手を入れられ鍵を開けられる危険があります。私は過去に経験しました。)
  • 部屋やバスルームの清潔さ
  • 壁に擦り付けた血痕がないか(ある場合は南京虫が潜んでいる可能性が高いです)
  • 照明器具は使えるか
  • エアコンがある場合はちゃんと機能するか
  • シャワーの水量は確保できているか
  • バスルームでお湯が出るか(ホットウォーターマシーンが壊れていないか)
  • しっかり排水できるか
  • トイレは流れるか

以上11のポイントを確認し、問題が無ければチェックインします。

安宿は家族経営のものも多く、仲良くなれば最高の思い出を作ることができます。もし宿選びに失敗すると、真夜中でも宿替えしたくなるほど不快なので、細心の注意が必要となります。

まとめ

バックパックを背負ったスタイルの「自由旅行」は、全て自分で計画、判断しながら自分の責任で進めていきます。かつて知り合った欧米人旅行者が教えてくれた言葉は今でも私の座右の銘となっています。

「 I can choose every thing, and I can do every thing, but on my own responsibility. 」

皆さんも全力で自由旅行を楽しんで下さい。ただしあくまでも「自己責任」で。

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