人生は一度きりだからこそ海外で仕事を選んだ理由
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私はアメリカで大学を卒業後、日本に帰国し就職しました。東京での社会人としての生活、新しい人や場所との出会い、留学時代の友人との楽しい時間。仕事に遊びに忙しい日々に追われながら、5年という月日があっという間に流れていきました。
そんな頃、様々な転機が重なり「海外で働きたい!」と強く思った私は転職を決意しました。この記事では私が転職しアメリカで働くことを選んだ理由と経緯を書いていきたいと思います。
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人生が一度きりと決断し海外へ行くまで
私はアメリカの大学で幼児発達学を専攻し、在学中はボランティアやインターンシップとして幼稚園での仕事に携わっていました。大学卒業を機に日本への帰国を決めた私は、インターナショナルスクールの幼稚園で働きました。
小学生の頃にテレビで東京のインターナショナルスクールというものの存在を知り、様々な人種の人々が英語という共通言語で会話し楽しそうに働いている様に心を奪われました。
日本人だけでなく色んな人種の人たちと関われるようになりたいと思ったことが、私がアメリカで幼児教育を勉強することになった理由です。
晴れて憧れのインターナショナルスクールで働き始めた私でしたが、東京という大都会で新たな価値観が芽生えました。これまで「教育現場」という特殊な環境での仕事ばかりを見てきた私は、社会の仕組みを全く理解していない自分に気付きました。
20代のうちに一度「スーツを着て名刺を持つ仕事をしてみたい」と思うようになったのです。
そして一念発起で一般企業への転職を試みました。就職したのは世界各国から食品を輸入している中小企業でした。
貿易部に配属された私は、貿易業務全般に携わる機会に恵まれました。その内容は多岐に渡り、海外のサプライヤーとの交渉に始まり銀行を通しての経理業務、通関業者とのやり取りなどの業務を通して多くのことを学ばせてもらいました。
この転職を機に、幼児教育真っしぐらだった私の世界は格段に広がりました。社会人としての自信も手に入れることができました。しかし皮肉にもこの経験は、幼児教育の現場で働くことの素晴らしさを再認識するきっかけにもなったのです。
人生は一度きりと気付き海外での仕事を決意
「畑違いの新人がやってきた」と周囲に驚かれながら一般企業に入社した3年後、私の心はとてもモヤモヤしていました。信頼し大切な存在であった同僚のガン告知でした。
悲しみと同時に押し寄せる、不平等に割り当てられた業務量に対する憤り。残業の日々が続く中、同僚が癌を患ったのは仕事の重圧とストレスが原因ではないのか、と考えるようになりました。
幸い同僚のガン治療は順調に進みました。1年後には職場復帰を果たすまでに回復したと聞いたときは心底ホッとしました。
一方の私は、多忙な業務に追われ憔悴していくと同時に、仕事に対して不平不満を感じるのは「今の私は目標や夢を持って働いていないから」ではないかと感じ始めました。
ちょうどその頃、独学で取得に励んでいた日本の保育士免許の試験に合格しました。自分なりに必死に駆け抜けた20代も気付けば残りわずか。
どんな30代を過ごし、どんな自分になっていきたいのかを真剣に考えた時、一度きりの人生、アメリカの大学で勉強したいと強く思った時と同じように、もう一度海外で挑戦したいと思ったのです。
叶うなら自分が情熱を注ぎ込んで学んできた、幼児教育の現場で。
その時の私は幸か不幸か「失うものは何もない」と思える状況だったので、それも手伝ってあっという間に決意が固まりました。
海外求人情報の収集
毎晩仕事から帰宅すると海外転職サイトで求人情報を検索しました。幼稚園教諭の求人に特化した求人サイトに登録したり、各幼稚園や学校のウェブサイトへ行き直接Eメールを送ったりというのが主な方法でした。
留学時代の知識でわかっていたことは、アメリカは職種によって就労ビザの取得が非常に難しいということです。私の第一希望である幼児教育関連の仕事もその1つでした。
アメリカで就職したいという気持ちを抱えながらも、せっかくなら他国も見てみたいという思いから東南アジアでの仕事に応募しました。書類審査通過後、1つはスカイプ面接、もう1つは実際に現地でのトライアルと面接が実施されるとのことでした。
当時勤めていた会社は有給休暇を非常に取得しづらい環境だったため、求人情報の収集を開始してから3か月後、転職活動に専念するために退職を決めました。
有給インターンシップという選択
東南アジアのいずれの教育機関の採用試験も、無事合格することができました。
結果が通知された頃、私は渡米していました。目的は卒業した大学に出向き海外転職のための必要書類を集めることと、将来アメリカで働く方法を模索するためです。
移民弁護士に就労ビザについて相談するとともに、以前から存在だけは知っていたインターンシップビザについて詳しく調べました。
弁護士からは、私の職務経歴と就職を希望する分野では就労ビザの取得はほぼ不可能と伝えられました。
また、有給インターンシップで働く際の職種については教育関連でないこと、日本で3年以上フルタイムで勤務し経験した職種と関連のある職種でないといけないと知りました。私の場合は貿易会社での事務職でした。
この時のアメリカ滞在で、就労ビザの取得が難しいと再認識したものの、学生時代を過ごし、帰国後は一年に一度のペースで訪れていたアメリカにいると、今も昔も自分がこの土地にどれほど魅了されているのか強烈に思い知らされました。
悩んだ末、幼児教育の現場にすぐには戻れないことは承知の上でアメリカで有給インターンシップ制度を利用して働くことに決めました。
インターンシップビザの期限である18か月の間に就労ビザの状況も好転するかもしれない、という期待も少なからず抱いていました。
アメリカは私にとって第二の故郷、その思いがアメリカで働くことを選んだ一番の理由だと思います。
インターンシップビザ
インターンシップをする際に申請するビザの正式名称はJ-1ビザです。交流者訪問者ビザと呼ばれ、インターンシップの他にオペアや交換留学などの際にJ-1ビザが必要になります。
J-1ビザの申請にはいくつかの条件があり、交流プログラムの内容が研修や技術の向上を目的としているかどうかが重要です。
エスタ申請のウェブサイトに詳しい情報が記載されています。
ビザの発給に厳しいアメリカですが、働くためのビザには就労ビザ・インターンシップビザ・投資家ビザなど多くの形態があります。
自分の経験や強みをもってアメリカへの転職活動に挑めば、ビザスポンサーとなってくれる良い企業と出会うことは決して不可能ではないと思います。
人生は一度きりと海外ではじめた仕事
有給インターンシップは言葉の通り職務実習です。正社員として雇用されるわけではなく、報酬という形で給与が支払われその額も大きくありません。
多くの日系企業などがインターンシップ生を募集していますが、中にはインターンシップ生を「安価な労働力」と捉えている企業も存在するため応募の際には見極めが必要です。
私は日本にあるインターンスタイルというエージェントを通していくつかの企業へ行き面接を受けました。募集されていたポジションは製薬会社の事務職、IT企業の米国子会社の事務職、出版社の営業アシスタントなどです。
インターンシップの面接に合格した後は帰国し、ビザ取得のために忙しく動きました。ビザの申請に必要な書類を集め、大使館面接などのステップを経て無事、インターンシップ生としてアメリカに入国する許可が下りました。
そしてアメリカで働くと決心してから約4か月後、出版物の制作を主としている日系企業での営業アシスタントとして働き始めることとなりました。
この企業では出版物の企画・制作、イベント企画・運営、ウエブサイト運営を主な事業としていて、私にとってまるで新しい世界でした。
インターンシップとはいえ、社内では他の社員と同等に扱われるので、保持するビザの形態と報酬以外は普通に勤務するのと変わりません。
営業チームの売り上げの集計や競合調査など、日本の会社に勤めていた頃のスキルを活かせる業務の他に、一部の誌面制作に携わることもでき、とても新鮮でした。
人生は一度きりと海外で仕事をしてよかったこと
私が有給インターンシップで働いた会社は、経営者と社員のほとんどが日本人の日系企業です。そこにはアメリカで生まれ育った日系人も含め、様々なバックグラウンドを持つ人々が集まっていました。
「アメリカで働く」と一言で言っても、アメリカに来た理由やそれに至った経緯は実に十人十色です。ただ1つ共通していることと言えば、「なんとなく」アメリカで働いている人はいないという事です。
日本国籍を持っている日本人であれば、日本で就職することが一番容易な道ではあるでしょう。それにも関わらず、就職活動やビザ取得など困難が待ち受けているとわかっていながら異国の地で外国人として働き生きていくと決めた人たちばかりです。
そのような人たちは自分自身を大事にし、向上心があり、個人の意見や価値観を尊重する能力にも長けているように思います。
この会社で出会った1人ひとりが強力なパワーを放っているように私は感じました。特に、直属の上司が素晴らしい人格の持ち主だったことはとても幸運でした。
日本とは全く異なるアメリカの働き方や価値観など、アメリカで働くことの魅力はたくさんありますが、インターンシップ先で出会った彼らからもらった情熱や刺激が、私が海外転職を通して得た何よりの宝物だと言えます。
私がそう思えたのは、私が日本での仕事で逆境を経験しこれからの人生をどう生きたいか自問自答するチャンスがあったからかもしれません。
まとめ
前職を退職してから海外転職までかかった期間は半年以上。その間は収入もありませんでした。海外へ転職することは決して簡単なことではないけれど、いつ振り返っても「あの時行動に移していて良かった」と思えます。
私にとっての第二の故郷で働いた経験は、「私に本当に合った場所はここなんだ」という確信へとつながりました。その確信が、私の次の目標や新たな夢へと突き進む原動力になりました。
この広い世界のどこかに必ず、自分に一番合った場所があるはずです。なぜか心が落ち着いて、自分らしく居られる場所。そんな場所で仕事にもプライベートにも一生懸命になれたら幸せですよね!
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