バングラデシュで働く!人の役に立つ仕事がしたいと海外移住を決意

バングラデシュでまだまだ走るバス バングラディシュでの働き方

誰にでも、仕事を始めるまでには何かしらのきっかけや経緯があると思います。それが海外となれば、そこに至るまでの道のりはよりバラエティー豊かであるのかもしれません。

南アジアのバングラデシュで働く私にも、ここに来るまでには様々な出来事や思いがありました。

多くの日本人にとってはあまりなじみがないであろうバングラデシュで働くことになったのはなぜなのか、その経緯をお話しします。

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海外にかかわる仕事を探していたら水商売へ

私は4年制大学の外国語学部で英語を専攻しており、3年生の時に1年間、交換留学生としてアメリカへ留学するチャンスを得ました。

その留学時に、海外で過ごすワクワク感、全く知らない土地で受ける刺激の魅力を知ったのです。そして、その頃から「大学で学んだ英語や異文化の知識を活かせる仕事に就きたい」と思う様になりました。

交換留学が終わり、そこで取得した大学の単位を日本の単位に変換すると、4年生の1年間は週に1度だけ通学すれば卒業できるという状態に。

周りの友人は就活を行っていましたが、私には英語という漠然とした武器があるだけで、これがしたい!といった明確なイメージがありません。

外国人経営のバーでバイト

しかし、身に付けた英語をすぐにでも使いたかったので、英語を活かせるアルバイトをしようと思いました。外国人が多い場所はどこかと考えた結果、外国人が経営している飲み屋街のバーに辿り着きます。

下調べは程々に、とりあえず行動してしまう癖がある私は、インターネットで店の番号を調べ電話をかけました。

5、6軒調べていたのですが、1軒目の店がひとまず面接したいとのことだったのでその日に面接に行き、翌日からバーのフロアで働き始めます。

英語は必要ないものの華やかな世界

前述したように、私が働き出したバーは外国人が経営していました。

しかし、ほとんどの人がカタコトの日本語を話せたため、仕事中に英語を使うことはありません。たまに入店してくる新人が日本語を話せない場合に使う程度です。

英語を活かした仕事に就きたいという理由で選んだのですが、実際にはほとんど英語を必要としないバイト先でした。

しかし、初めて働く私にとって、バーにいる間の生活は新鮮で華やかで刺激的でした。その結果、大学を卒業してからバングラデシュで仕事を始めるまでの4年間、水商売と呼ばれる業界にいることになります。

状況が一転、バングラデシュでの仕事の話が舞い込む

華やかで刺激的な水商売にハマった私は、英語を使った仕事に就きたいという気持ちを忘れ、水商売で成功することに目標が変わっていました。仕事は順調で、場所は地元に替わりましたが、1軒の店を任せてもらっていました。

そんなある日、お酒の飲み過ぎと疲労が重なったのか、急に喉がパンパンに腫れ、呼吸が苦しくなります。すぐに病院に行くと、即入院に。扁桃腺を除去する手術を勧められました。

2週間の絶対安静を言い渡された上、「生きたいのならお酒を飲むのをやめてください」と医師から注意を受けます。

気落ちしていたところに思いがけぬ提案

退院後も仕事は続けましたが、お酒を控えめにするというのは難しいことでした。気にしながら仕事をしていたせいか、入院前と比べて自分に勢いがなくなった気がしました。

そんな時に父から電話があります。内容は「知人とバングラデシュで何か直接、人の役に立つことをしようとしている。お前も一緒にやらないか?」というものでした。

バングラデシュについての正直な気持ち「絶対行きたくない」

父からの電話で初めて聞いたバングラデシュという国。私はバングラデシュについてインターネットと本で調べ、人の役に立つこととは何かを考えました。

貧しい人に融資を行ったことが評価されてノーベル平和賞を受賞した人がいる。アジアで最貧国だった経験がある。道にはゴミが落ちている。バングラデシュについて私は「THE 発展途上国」という様なイメージを持ちました。

当時、どちらかと言えば華やかな生活を送っており、より華やかな世界を求めていた私にとって、「こんなところ絶対に行きたくないし、住むなどあり得ない」というのが正直な気持ちでした。

とにかく一度行ってみる

その後、父から電話で「航空券代は出すから1回行ってみないか?」と提案されます。

退院後、控えめに仕事をしている感覚が不満だったこともあり、休暇気分でバングラデシュへ行ってみることにしました。

バングラデシュで受けた衝撃が価値観を一変させる

こうしてバングラデシュへ着いた私ですが、1時間後には……「ほんま帰りたい!」と心の底から強く思っていました。

空港を出た瞬間に感じた蒸し暑さ、わけの分からない臭い、意味の分からないクラクションと交通ルール無視の大渋滞、集まってくる物乞いがその原因でした。今でもこれらには慣れず、大嫌いです。

1週間の滞在予定でしたが、本当に嫌な気持ちが強く、時間が経つのがとても長く感じられました

現地の大学生へインタビュー

そして迎えた帰国の2日前です。日本で言うところの東大に値する現地の大学へ、学生の生活環境を調査するためのインタビューに行くことになりました。

バングラデシュでは高校卒業時にはほとんどの人が英語でコミュニケーションが取れます。そのため、私がインタビューをすることになりました。

招待された下宿先で見たものは

構内で地方から出て来ている大学生に出会ったので話を聞いたところ、ぜひ下宿先に来てほしいと言われたため、彼の下宿先を訪問。

トタンの壁、トタンの屋根、土間の上に木のテーブル、あとは裸電球がぶら下がっているだけです。外には、台所(といってもガス台が置いてあるだけで昼間はガスは出ないそうです)、 6軒が共同で使うシャワー。

私は正直、「人が住めるようなところではない」という印象を抱きました。しかし彼は、誇らしげにその下宿先を私に紹介してみせたのです。

勉強できるだけで幸せ

さらに、彼はインタビューの中で「私はすごく幸せだ」と言いました。驚いた私はすぐに、なぜ幸せなのか尋ねました。彼が幸せと言った理由は、

  • 勉強ができる環境に生まれた
  • 彼より成績が良かったが途中で通学できなくなった友達が何人もいる
  • 彼の兄弟は彼の生活費のために村で仕事をしている

ということでした。

ここで人の役に立つ仕事がしたい

私はこの時受けた衝撃を今も忘れることができず、一生忘れることはないです。今まで私が悩んだことやしてきたことが、ものすごく贅沢でワガママなことの様に思えてきました。

そして、どうせ働くのであれば、美味しいお酒を飲みに来る人達、綺麗な女性にお酒を作ってもらいに来る人達の役に立つ仕事ではなく、目の前に彼を助けている、彼の兄弟や友人の様な人達の役に立つ仕事がしたいと思いました。

帰国後、職場の方に頭を下げ仕事を辞めました。そして1ヶ月もしないうちに、渋滞で騒がしく、わけの分からない臭いのするバングラデシュの空港に降り立ちます。

バングラデシュは何も変わっていませんが、私の心の中は希望とやる気あふれるものに変わっていました。

まとめ~ワクワクや衝撃を基準に向かうべき道を決断

私のこれまでの行動は、刺激的でワクワクする新しいことや衝撃的なこととの出会いによって決まっています。

大学時代の留学で得た英語が使える経験、水商売での少し華やかな生活、そしてその華やかな生活があったからこそ感じることができた、バングラデシュの大学生との出会いによる衝撃。

これらの経験を通して、バングラデシュでやってみたいと思うことができ、それが仕事として実現できた自分は幸せだと思います。

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