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外国に対して目を開き始めたラオス!ラオス人の目に映るアセアン諸国とは?

アセアン

私が旅行者としてラオスを訪れた2000年代初頭、知人のラオス人の若者とこんな会話を交わしたことがあります。

「どうだラオスはすごいだろ!」

「えっ?何が?」

「ラオスにはトヨタやダイハツの車も、ホンダのバイクもソニーのテレビもある!」

「でっ?」

「お前の国、日本にはあるか?」

「悪い!全部日本製だ!」

「ええぇっ!そうなの?日本ってそんなに凄い国なの!?」

嘘のような話ですが実際に交わした会話です。当時の一般的なラオス人はそれだけ外国のこと知りませんでした。

その頃の日本に関する情報といえば、タイが放映権を買って放送していた(当時のラオスにはまだテレビ局がなく、衛星放送でタイの電波を拾って観ていました)「TVチャンピオン・大食い選手権」くらいのものでした。

ゲラゲラ笑いながら口々に「日本人よく食べるねぇ!」と喜んでいた人々の姿が記憶に残っています。

あれから20年弱でラオスは大きく変わり始めています。近隣国や日本、ヨーロッパなどに観光旅行に出かけられるほどの余裕があるラオス人も増えてきました。

外国に対するラオス人の知識も深くなっているので、今回はラオスと国境を接する近隣5ヶ国に対して、一般的なラオス人が感じる印象を紹介します。

目次

「憧れの国」から「物価の安い便利な国」へと認識が変わったタイランド

タイの国旗

※東南アジアの観光立国であったタイは、東南アジアを牽引するリーダーになりつつあると言えるでしょう。

冒頭に紹介したラオス人の若者との会話が交わされた後に、「へぇー、日本は凄いんだな!バンコクくらいなのか?」と聞かれ、答えに困ったものです。

当時のラオスでは少しだけ裕福な家庭が生まれ始め、数十軒に1軒ほどの割合でテレビを持つ家が出始めたタイミングでした。

テレビを持っている家にご近所の人が20人近く集まって、タイの衛星放送を見るのが最大の娯楽だったので、ニュース番組などは全く見られていませんでした。

現在でもタイの放送の人気は根強く、特にドラマがラオスでは大人気です。現在のタイのドラマは舞台がタイの田舎であったり、作品によってはラオスで物語が展開します。

しかし2000年当時、タイのドラマの舞台となるバンコクは、ラオスの若者達が憧れる最先端の「Big City」だったのです。

2010年代からラオスは本格的な経済成長を始めます。首都ビエンチャン近郊のラオス人達がメコン川を渡り、タイの東北部のイサーンへと買い物に出かけるようになりました。

時にはバンコクへも遊びに行けるようになり、タイに対するイメージは少しずつ変わっているようです。

イサーンのウドンターニという町には国際空港があります。この空港はラオス人ご用達の空港でもあり、ラオス人に言わせると首都にあるビエンチャン国際空港が「ビエンチャン空港その1」ウドンターニ国際空港が「ビエンチャン空港その2」だそうです。

そして東南アジア以外の地域に出かけるためにハブ空港であるバンコクの空港を利用する機会も増え、ラオス人の中ではタイは「物価の安い便利な国」という認識に変わりつつあります。

交流の歴史も長く、共通の民族性もあるのに縁が薄いカンボジア

カンボジア

※アンコールワットしかない印象が強かったのですが、今では急速に経済成長しています。

現在のタイ、カンボジア、ラオス、ミャンマーが建国されるより遥か前には、東南アジアではいくつもの小国が存在する王国時代が続いていました。王族たちは互いの王子や王女を近隣の王国に嫁がせることで、親戚関係を築いたと言われています。

クメール王国として発展していたカンボジアと、ラオス南部も当然交流があったことは、世界遺産に指定された「ワット・プー」の建築様式を見ても判ります。

ベトナム戦争に端を発したアジア動乱の時代に、ラオスとカンボジアは政治体制を大きく変えました。両国の政治体制の転換にはベトナムが大きく関わっていたせいか、ラオスとカンボジアの直接的な繋がりを感じさせるものはありません。

ラオス南部に居ればもう少し濃厚に気配を感じるのかも知れませんが、ラオス中部に当たるビエンチャン近郊やビエンチャン以北では存在感が薄いといっても過言ではないでしょう。

その一方で敬虔な仏教徒であるラオス人にとってアンコールワットの魅力は非常に強いようです。

「アンコールワットに行ってみたいから、車を運転して連れて行ってくれないか?」とご近所のお母さんチームから頼まれたことがあるのですが、車で約30時間程度の道のりを途中で泊まらないで直接行きたいとの希望を聞き、丁重にお断りしたことがあります。

結局メンバーの息子が2人選出され、交代で運転しながら行ってきたようです。アンコールワットの魅力は想像以上だったようで、「また行きたい」と鼻息を荒くしています。

外資企業で働くラオス人や、政府機関で働く役人たちは、会議でカンボジアの首都プノンペンへ赴くことがあるようですが、特別なんの感想も聞かないのでもしかしたら「ラオスと変わらない」と感じているのかもしれませんね。

この数年でカンボジアへの日系企業の進出が進み、日系ショッピングモールが出来たことで、住環境の快適さが飛躍的に向上して魅力的だと感じるのは、我々日本人だけなのかも知れません。

そのしたたかな国民性には脱帽するしかないベトナム

ベトナム

※中国から移転する工場が増えると共に、工業立国としての足元を固めつつあります。

ベトナム建国の父ホー・チ・ミンとラオス建国の英雄カイ・ソーンが師弟関係であったこともあり、政府間レベルではベトナムとラオスは兄弟のような付き合いの国だといえます。

しかし国民レベルではラオスではベトナム人に対する評判は芳しくありません。昔は子供のいじめっ子が「ベトナミー!ベトナミー!」と囃したて「ボー・メーン・コン・ベトッ!(ベトナム人じゃない!)」と泣いている子を時々見かけました。

いじめっ子の囃し言葉になるほどですから、ベトナム人に対するラオス人の感情は推して知るべしだと言えるでしょう。

しかし近年ラオスへのベトナム人の流入に加速がついてきています。ひと昔前までは「廃品回収」と「美容院」「爪切り屋(ネイル屋さん?)」がラオスに住むベトナム人の仕事でした。

現在はゲストハウスやミニホテルの経営に新規参入するベトナム人が増え、観光地での外国人観光客を根こそぎ持っていくほどの集客力を発揮しています。ラオス人経営者は「観光客がいてもベトナム人経営の宿にしか泊まってくれない」と頭を抱えている状態です。

実際ベトナム人のビジネスセンスの良さは、東南アジアの中でもずば抜けていると言えるでしょう。

新規オープンした宿は驚くほどの低価格でプロモーションを行い、強力に集客し周辺のラオス人経営の宿を駆逐します。その後で宿の価格を上げ利益を出すのですが、客足が遠ざかると躊躇することなく価格を下げます。

この細かい価格のコントロールはラオス人が苦手とするところなので、現在ラオスの大きな町の宿泊施設はベトナム人が取り仕切る状態になりつつあります。

ラオス人は口をそろえて「ベトナム人は怖い」と言いながら、羨ましそうに繁盛する彼らの商売を眺めています

圧倒的な物量と潤沢な資金が魅力的な中国

中国

※アセアンには加盟していないもののその経済力から影響力が非常に強い大国です。

2009年にラオスは「SEA GAME(サウス・イースト・アジア・ゲーム:アジアオリンピック)」のホスト国となりました。開催が迫ってもスタジアムの整備や道路整備などが遅々として進まず、開催が危ぶまれたものでした。

そんなラオスに救いの手を差し伸べたのが中国で、ラオスはアジアオリンピックを無事開催することができたのです。

中国が支援を行う条件として5万人の中国人移民の受け入れや、ラオスを縦断する鉄道建設などが提示されたようです。その後本格的な中国の進出が始まり、現在ラオスという小国を飲み込まんばかりの勢いで中国が南下してきています

近年ラオスでは高校卒業後に外国へ留学することが一般的になってきているのですが、その最大の留学先が中国です。私の知人の子供たちも現在、思いつくだけで7人が中国に留学しています。

ラオス人にとって言葉が伝わりやすいタイへの留学よりも、中国への留学に将来性を感じているようです。

アジアオリンピックに対する支援の条件だとされた、中国雲南省から北ラオスを縦断し、ビエンチャン郊外でタイ国営鉄道に繋がる計画の高速鉄道も、着々と工事が進み近年中に開通予定だそうです。

この鉄道が繋がればラオスにとって益々中国が身近な国になっていくでしょう。

国交はあるはずなのに存在感を感じることがないミャンマー

ミャンマー

※日系企業からは注目度が高いようですが、東南アジアのなかでの存在感は薄いと感じてしまいます。

日本を始めとする外資企業の進出と共に急速に成長を始めているミャンマーの話題は、ネットニュースなどでよく目にするのですが、ラオス国内では意外なほどミャンマー人と出会うことはありません。

国交はあるのですが、外国人に開放されている国境がないために人の動きが少ないのが原因だと考えられます。一部の国境からの陸路入国を解禁したミャンマーが、ラオスとの国境を外国人に開放すれば状況は変化すると思うのですが、現在その動きはないようです。

ラオス人にとっても「未知の国」のイメージがあるようですが、仏教国同士ということで親しみは感じているようです。今後のラオス・ミャンマー関係が注目されるところです。

まとめ

アセアンで経済統合やアジア共通ビザ構想などが話し合われ、東南アジアが1つになろうとする動きは年々活発になっています。陸路国境で近隣5ヶ国と接しているラオスはこれから激変する可能性を秘めていると言えるでしょう。

長閑なラオスに惚れ込んだ私としては一抹の寂しさを感じるのですが、ラオスにとってはいい流れなのかも知れません。是非皆さんも長閑な雰囲気が残っているうちにラオスにいらしてください。

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この記事を書いた人

2000年から東南アジアを中心に滞在型の旅行(タイに1年半、中国に2年など)を続け2008年にラオスに移住しました。
現在は飲食店の経営や旅行商品の開発を行いながら暮らしています。
趣味はバイクツーリングとビールを飲みながらギターを触ること。
ラオスに興味がある方はご連絡ください。

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