上の写真は、スヴァイリエン州の州都から少し離れた郊外で撮った写真です。見ればわかるように、ここはだいぶ田舎です。
大きなショッピングモールもなければゲームセンターもありません。特に見どころになるような観光スポットもありません。
首都からも遠く、車で三時間以上かかります。なので、普通に観光するだけだったら、ほとんどの人は訪れることはない場所です。
それでも私はこの地に降り立ち、現地の人と一緒に生活しました。ただ「観光」するだけでは見えてこないものを感じたかったのです。「観光客」向けではない、彼らの飾らない姿を見たかったのです。
私は国際協力なるものを行っていますが、そこで大切なのは「かわいそうな途上国の人々」というフィルターを外すこと。
そして、純粋な状態で彼らのありのままを理解し、共感すること。そのために私はベトナムとの国境の地、スヴァイリエン州を訪れました。
スヴァイリエン州を選んだのは、元々友人がこの場所に頻繁に訪れていて、頼れる人が元々ここにいたからでした。
スヴァイリエン州へ
スヴァイリエン州はカンボジアの東、ベトナムとの国境にある州でプノンペンから乗り合いタクシーで約3時間で着きます。
スヴァイリエン州に入るには、メコン川を渡る必要があります。以前は、その際にフェリーを使って渡っていたそうなのですが、現在は日本の援助で橋ができたため、車でそのままスヴァイリエン州に入ることができます。
この橋はまだ新しいので、物珍しさからかよく現地の人たちが車から降りてのんびりとメコン川を眺めていたりします。
スヴァイリエン州にいたるまでの道端では、竹を炊いている屋台をよく見かけます。その竹を買って、固い皮を歯で剥くと、中からお米があらわれます。
そのお米はもち米で少ししょっぱいです。さらに、中には甘いあずきのようなものが入っています。
とても優しい味わいで、メコン川からの風を受けながらそれを食べていると、「ああ、自分は東南アジアにきたんだな。」ということを強く感じさせてくれるんです。
スヴァイリエン州までの道は全体的に道は整備されているので、快適に向かうことができます。
静けさとニワトリと―スヴァイリエンの朝
私はずっと東京の23区で育ちました。東京では、車の音で目を覚まし、満員電車に揺られて職場や学校まで向かいます。しかしここでは、目を覚ますと聞こえてくるのはニワトリの鳴き声。
一歩道路に出ると、各々が番犬として飼っている放し飼いされた犬に出迎えられます。複数の犬に猛烈に吠えられるので最初はかなり怖いのですが、極端な動きをしなければ大丈夫です。
(ここで、逃げようとして走ってしまうと追いかけられます。背中を見せずにゆっくり歩いてやり過ごしましょう。噛まれることはほとんどありませんので。ただ、ほとんど噛まれることはないと言っても、カンボジア全土で狂犬病が発生しているので、念のためカンボジアの渡航前にワクチンを打っておくと安心です。)
ニワトリと犬の鳴き声の他に、聞こえてくる音はほとんどありません。朝日を浴び、静けさと朝の香りを全身で感じるのです。この記事のトップ写真は、そんなスヴァイリエンの朝を撮ったものです。
ただ何をするでもなく、一緒にご飯を食べた
前述した通り、ここに観光スポットらしきものはほとんどありません。大きなショッピングモールも、ゲームセンターもありません。それでも私にとって、そこはとても居心地のよい場所でした。
私はスヴァイリエンで、こんな感じでよくハンモックに揺られながら風を感じていました。
眠りたくなるほど、心地よくて暖かい風。そんな風に吹かれていると、自分が地球の一部なのだと感じるのです。
あとは、何かしら食べていることが多かったです。一緒に生活していた方々が作ってくれた料理を食べていました。カンボジアの郷土料理はオーガニック。
屋根からつたってくる雨水を使って作ったスープに、おばあさんが木をまな板にして切った野菜を入れて食べるのです。
広告にまみれた日々やSNSに支配されていた毎日を忘れ、よく寝て、よく話し、よく食べる。ただそれだけでとても幸せでした。
”You are happy, because you are Japanese.”
彼らから学ぶことはとても多かったです。精神的な豊かさ、自然と人が調和した暮らし――色々なことを彼らの暮らしから教えてもらいました。だからこそ、この言葉を聞くといつも複雑な気持ちになるのです。
“You are happy, because you are Japanese.(日本人として生まれてこられて、君は幸せだね。)”
これは、私がカンボジアの人々と話すとよく言われるフレーズです。
本来、私が日本人であるという「事実」と私は幸せであると感じるという「価値」は並びえないものです。にも関わらず、彼らはなぜこのように言うのでしょうか。
彼らに聞いてみると、日本やアメリカといった先進国には彼らが望むすべてがあるように映るのだそうです。そんな彼らの態度の根底には、「先進国」に対する従属意識と羨望の眼差しがあるように思います。
先進国に対する強い従属意識は、私たちの彼らに対する眼差しから形成されているのではないでしょうか。その眼差しの正体は、すなわち偏見と呼ばれるもの。彼らは途上国、文化が遅れている国なんだ。
そう彼らを眼差すことで彼らも自国の文化や生活に誇りを持てなくなってしまう。私がカンボジアの田舎で一番学んだことは、そうした一方的な途上国像は偏見に過ぎないということでした。
まとめ―幸せのチケットは、お金では買えない
今を我慢してでも、お金が欲しい。先が不安だから、お金が欲しい。幸せになるために、お金が欲しい。
いずれも、よく日本で聞くセリフですね。しかし、ここにきて感じたことは、幸せのチケットはお金では買えないのだということ。物質的に豊かであることが精神的に豊かであることと直結しているわけではないということ。
日本で失われてしまったものが、カンボジアにはある。「お金がないから貧しい」という一方的な途上国像で判断せず、一度遊びに行ってはみてはいかがですか。いいところですよ。
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