※国道を走る耕運機を利用したトラック?貨物用も旅客用もあります。
国内至る所に高速道路網が発達している日本と違い、ラオスの陸路移動はとても時間がかかります。
例えば首都ビエンチャンから私の住む町までは距離にすればわずか150kmほどなのですが、路線バスで4~5時間、自分で運転する車で3時間強ほどの時間がかかります。
私が初めてラオスを訪れた2000年には、未舗装部分が非常に多く同じ道のりで6~8時間ほどかかっていたので個人的には十分スピード社会になったと感じています。ラオス人たちも簡易舗装とはいえ舗装が施されたこの国道のことを「ハイウェイ」と呼んだりします。
その一方で旅行者たちは「信じられない悪路!」と驚いているので、どうやら様々な常識や感覚が日本を含む外国とラオスとでは少し違うようです。
ラオス移住して丸9年が経過し着々とラオス人化が進む私が、かつて感じていたラオス人と日本人の常識の違いが原因と思われる違和感を思い出しながら紹介します。
ラオスの停電や断水って良くあることだし、しょうがないんじゃない?
※知人宅の溜め桶、大家族の家庭はもっと大規模です。
ラオス人はFacebookやLineが大好きなのですが、生活に関係あるライフラインに関してはまったく無関心であるように感じます。
停電が起こっても「ワァー!」とか「オォ~イ!」といって驚きはするものの慣れたもので、まったく動じることがありません。
頻繁に起こる断水
断水も頻繁に起こります。数年前に最大4日間の断水を経験したことがあるのですが、周りのラオス人たちは井戸を持つ家庭に水をもらいに行ったり、河で行水をしながら楽しんでいるように見えて不思議でした。
私は「田舎育ちは都会生活に憧れ、都会育ちは田舎暮らしに憧れる」という認識をもっているのですが、ラオス人たちには当てはまらないようです。
ウンザリするほど何もない田舎に暮らすラオス人でも田舎生活が大好きなようですし、発展している町に住むラオス人たちは昔を懐かしみます。
シンプルな生活がベスト
どうやら、ラオス人は電気も水道もないシンプルな生活が実は「もっとも豊かな人生を送れる生活スタイル」だと思っているようです。
朝日と共に起きだし暗くなれば眠る、洗濯や入浴などに使う生活用水は雨水を貯める生活は、まだそこかしこに残っています。だからこそ停電や断水を抵抗なく受け入れることができるのではないかと感じます。
電力会社や水道局へ連絡もせず、文句も言わずラオス人たちは結構楽しみながら停電や断水をやり過ごしています。
ホテルでも停電・断水はよくある話
宿泊施設ではエアコンやシャワーが利用できなというのは大問題のはずですが、「ウチの宿の責任ではない。」とクレームには一切応じません。停電で使用できなくても、エアコンルームはファンルームより高い価格のまま貸し出します。
これが私にはまったく理解不能でしたが、ラオス人に言わせると「停電や断水って良くあることだし、しょうがないじゃない?」ということらしいです。復旧の目処が立たない停電は時には2~3日にも及ぶこともあります。
チェックアウトの際に揉めるのは必至なのですが、ラオス人たちはどこ吹く風で受け流してしまいます。
自給自足がライフスタイル
20年ほど前まで半自給自足のような生活を送ってきた彼らにとって、急速な貨幣経済の導入や先進国の生活スタイルを良しとする価値観は、実は受け入れがたいものなのかも知れません。
「ライフラインが途切れても命に別状はないんだから騒がなくても大丈夫」と大自然と共存しながら生きてきた彼らは、思っているのかもしれないですね。
停電や断水などライフラインが断たれたときの彼らの何とも言えない表情は、ラオス人が隠し持つ「文明に対する反骨精神の表れなのかもしれない」と感じながら暮らしています。
制御機能が何かおかしい?冷やし続けるエアコンと高すぎる音圧!
※ラオス人に大人気のカラオケセット、USBに入れた音源で楽しみます。
東南アジアを初めて訪れた人が驚くことの中に、
- 「エアコンが強すぎる」
- 「音楽のボリュームが大きすぎる」
ということがあるのではないでしょうか。ラオスも当然のようにエアコンは効き過ぎですし、音量も大きく音圧が高めです。
バス移動では羽織れるものを
もしバス移動などをする際には長袖と長ズボンの着用を強くおすすめします。
体の節々が痛くなってしまうほど冷え冷えのエアコンは、乗り込んだ瞬間は心地よいのですが、10~15分も立つと苦痛でしかなくなります。
音楽について言えば、友達同士で自宅で飲んでいても音楽が鳴り始めると、お互いの耳元で大声を出さないと話ができないほどの大音量で鳴り響きます。
カラオケスピーカーがバカ売れ
現在スーツケース型のカラオケスピーカー(モノラル)がラオスでは爆発的に売れていて、結構な普及率で広がっています。
二人で飲んでいてもこのスピーカーを二人の間に置き、すべてのボリュームを最大にセットして音楽をかけるのが今のラオスのトレンドと言えるでしょう。
これは音楽や冷房が貴重品だったことの名残りで、冷房は冷えていれば冷えているほど高いサービスだと捉えているようです。音楽もしかりで、多くの人に音楽という娯楽を提供するために大音量で流す習慣が生まれたようです。
この2つの問題が解決されれば、本当に東南アジアは暮らしやすいんですけどね。なんともならないようです。
お前のものは俺のもの!俺のものは俺のものって?
ラオス人の中で物に対する所有権の意識が希薄であることは過去の記事「日本人とラオス人は似ている?ラオス人のイメージする日本人像とは?」の中でも触れましたが、非常に大切なことですから何度でも書きます。
今、手に持っている人に所有権?実際にあった話
私は趣味でギターを弾くのですが、旅行者だった頃の痛い経験から今は絶対に愛用のギターをラオス人に触れさせません。無条件にラオス人を信用していたかつての私は、うっかり愛用のギターをラオス人に貸したことがありました。
目の届くところで弾いている分には問題ないだろうと考えたからなのですが、これが大失敗でした。ギターの音がしなくなったので見に行くと、貸した相手のラオス人がいなくなっています。
「あれっ?どこ行った?」と周りのラオス人に聞くと、「友達が誘いに来て飲みに行ったよ。」とのことでした。ギターの付属品はテーブルの上に散乱したままです。
当日は再び顔を合わすことができず、翌日に「ギターは?」と聞くと「あー、知らない。誰か持って行ったんじゃないかな。」との返事に目が点になりました。
「ふざけんな!お前すぐ回収してこい!」と怒鳴ると不貞腐れながら渋々出かける彼にはまったく責任を感じている様子がありません。「無いよ」「そのうち返ってくるから大丈夫だ」などの言い訳をするのを怒鳴りつけながら探させました。
結局その日遅くにギターは返ってきたのですが、ギターを見て私は愕然としました。
弦はほとんど切れ、指板(弦を指で抑える部分)は食べ物の油らしきものでベットリ汚れ、ギター内部にはビールが掛かったと思われるシミ、ボディには友情の証だか知りませんがマジックで書きなぐられた汚ない落書きだらけの状態でした。
ボロボロで見る影もない姿に変わり果てた愛機をみて「何だこりゃ!?」と言ってはみたものの、相手は「苦労して探してきたやったんだから文句言うな」と逆切れしています。
ラオスではその瞬間手にしている人間に所有権があるようで、うっかり貸した私がバカだったという話です。
大切なものは貸さないこと
因みに友人のラオス人も新車で購入したバイクをボロボロにされ、貸した方が自腹で修理し「やっぱり気分が悪いから」と事故を起こした知人に直したバイクをくれてやり、もう一台買っていました。
皆さんも気を付けてください。うっかり親切心で貸したりすると結構な確率で嫌な思いをさせられます。
驚愕!ラオス(東南アジア)人の隠し持つ「ケチの概念」とは?
中国文化の影響が色濃く残る東南アジアでは「ケチ」という言葉は禁忌と言えるでしょう。
日本とは違った独特のメンツ感というのがこのエリアには存在します。その中でケチと発言するのは「絶交宣言」や「宣戦布告」を意味するほど深くて重い意味があるのです。
しかし我々外国人に対しては彼らは簡単にケチという言葉を発します。「日本人なんだから金持ってるんだろう?貸してくれ!」もしくは「くれ!」等の要求を断るとケチだと罵られます。
自宅や自室に勝手に上がり込んできたご近所さんとの会話:「これ良いねぇ、頂戴!」「ダメ」「沢山持っているのにケチだな!」など例を挙げるとキリがないほどケチと言われます。
会計は日本人へ
ラオスに住み始めたばかりのある日本人男性はまだラオス語をあまり話せない割には、知り合いのラオス人男性によく飲みに誘われています。
言い出しっぺのラオス人の友達が大勢参加して、大盛り上がりらしいのですが会計は日本人の彼のところに来るそうです。
何度目かに文句を言うと「良いじゃん楽しいんだから、日本人を楽しませてやってるんだから払えよケチ!」と言われたらしくショックを受けていました。
喜捨という概念が南部上座仏教を信仰する東南アジアには存在します。
持っているものが、持たざる者へ施しを行うことで徳を積めるという宗教観から来ているのですが、外国人は無条件に持っている側と判断されるので「支払って当然」という感覚から、ケチと言われるのでしょう。
持っている人がお金を払う
これからラオスに住み始める人や、住み始めて間もない人はケチと言われても怒らないでください。気分を害すとは思いますが、これが一般的な東南アジアの文化なのです。
対策としては調子良くすり寄ってくる人間は相手にしないことです。本来のラオス人はシャイで控えめな人間が多いのですから。
呪詛にしか聞こえない!恐るべき「ハク・ペン・カン」の響き
ラオスでは人間関係の距離感を「フゥチャック・カン」「ムゥ・カン」「スワァイ・カン」「ハク・ペン・カン」の4つで表します。
- フゥチャック・カンは知り合い関係
- ムゥ・カンは友達関係
- スワァイ・カンは互助関係
- ハク・ペン・カンは親愛関係
と訳せば良いでしょうか。
私がラオスに通い始めた旅行者だった頃はフゥチャック・カンやムゥ・カンができることを単純に喜んでいました。旅行者時代の末期にはスワァイ・カンと言ってくれるラオス人の知人もできて「ラオス社会に溶け込んでるなぁ」などと嬉しがっていました。
ちょっと危ないハク・ペン・カン
移住して丸9年が経過し10年目に突入した現在はハク・ペン・カンとよく言われます。正直まったく嬉しくありません。というのも、このハク・ペン・カンは「何をおいても助け合う」の意味合いも含んでいるからです。
過去、会社の登記や会計報告書類作成など「本当に困った!」と感じるシーンはいくつもあったのですが、ハク・ペン・カンの中で助けてくれた人間は誰一人としていませんでした。
逆に「土地を買いたい」「家を建てたい」「車を買いたい」「これのやり方が判らない」などの非常に面倒な問題を持ち込むのがハク・ペン・カンの関係者です。
こう感じているのは価値観が違う狭量の狭い外国人だからなのかと思っていたのですが、ある程度の富も名声も社会的地位も持っているラオス人の友人達と飲んでいるときにこの話になり、彼らも同じように感じていることが判りました。
「金や社会的地位がない人間が、どうやって俺らを助けてくれるんだ?助けられるわけないだろ!自分よりステータスが低い人間がハク・ペン・カンって言ってくるのは(金をくれ!)って意味だよ。」と言われ、なるほどと納得しました。
ラオスに旅行で来る人も新しく住み始める人もハク・ペン・カンには気を付けてください。往々にしてその先には面倒事が待っていますから。
まとめ
この記事を書いているうちに「自分自身が本当にラオスのことが好きなのか?」と疑問が湧いてきましたが、大丈夫、これでもラオスが大好きです。
本稿で取り上げたラオス人の感覚が理解できないことから、一旦住んでみて移住先を変える人や日本への本帰国を選択する人は少なからず存在します。
今回紹介したようなシチュエーションに出あったときには、「ボダイ・ボダイ(無理・できない)」と答えて回避しましょう。
この記事の最後にこう書いても著しく信憑性に欠けるかも知れませんが、ラオスは良い国ですから是非いらしてください。本当に。
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