私がベトナムに移り住んだのは55歳の時。海外に飛び出すにはかなり遅い方ですよね。それから早6年半、やっと自分らしい生活が得られたかなと思っています。
外国での一人暮らしはやはり孤独を感じることもあるのですが、それを癒してくれるのが愛犬&愛猫たちです。今の幸せな暮らしにたどり着いたのは偶然ですが、その道は波乱万丈でした。
遥か昔、病弱だった私が自宅の机に座って眺めていたのが世界地図。国旗を模写しながら世界中の国に行ってみたいと思ったのが、海外移住を夢見るようになったきっかけです。でも、まさかベトナムに住むことになるとは思いもしませんでした。
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ベトナム移住前に日本でしていた仕事:不運が重なり失業
55歳でベトナムに来るまでは、海外に行くのは旅行のみで、ずっと日本での生活でした。
20歳から30年以上の間、土木建築の設計事務所で働いていました。26歳で独立し、設計事務所の経営兼技術者をしながら母校の専修学校で非常勤講師を23年、民放ラジオのパーソナリティーを3年ほどしていました。
ある事件をきっかけに設計業界を去る
仕事で転機を迎えたのが2005年、建築業界を大きく揺るがす事件が起きてしまいます。構造計算書偽造問題。元一級建築士が、構造計算書を偽造していたことを公表した一連の事件です。耐震偽装問題とも呼ばれましたね。
この事件がきっかけで設計業界はリスクだけが大きくなり、下手をすると大きな責任を負わせられ兼ねない、続けるだけ危険な業種になってしまいました。当然、全国的に仕事量も激減、私も今が引き時と決意して設計業務から退いたのです。
新たに水商売を始めるも・・・
長くお世話になった建設業界ですが、正直なところ、この仕事には不向きな性格だったこともあり、この決断は間違っていなかったと思っています。
そこで始めたのが、設計とは180度も違う水商売。料理がしたくて、昼はランチ、夜はカラオケのあるパブを始めました。
仕事も楽しく、お客様の出入りも結構多く、順調に営業を続けていたのですが、今度も間の悪いことに事件というか社会現象というか、2009年に日本で新型インフルエンザ(鳥インフルエンザ)が見つかります。
私のお店があった地域においても、翌年の2010年には繁華街でさえ人がまばらになり、ほとんどの人がマスク着用の異様な雰囲気に変化してしまいました。
ついに失業者に
それでもなんとか頑張っていたのですが、定休日もなしの早朝から深夜までの営業。一人で切り盛りしていたこともあって、体力的にも限界でした。
インフルエンザのおかげで、近隣の飲食店も軒並み不景気に落ち込み、それに伴ってお店の経営状況も悪化。
これ以上続けての借金もしたくなく、ここで愛着のあるお店を閉めることを決断しました。最後にきれいに掃除をし、全てが終わったお昼頃から外が暗くなるまでお店を出られなかったのを覚えています。
その時、完全に失業者になったんだなぁと思いました。
就職氷河期の真っ只中で求職活動スタート
3ヶ月ほど休養し、就職活動を始めますが、まだこの頃は海外なんて思ってもいませんでした。
すでに高齢と呼ばれる年齢になっていたので正社員は無理だと思っていましたが、パートやアルバイトならどうにでもなるだろうという考えもすぐに間違いだと気づかされます。
私の人生、本当に間の悪いことばかりで、今度は俗に言われる、民主党政権下の就職氷河期の真っ只中だったのです。
面接に行っても、なぜこんなところに来ているのか聞きたくなるような大卒の女子がおり、簡単に決まると思っていたパートでの職もなかなか得られず困ってしまいました。そこで利用を始めたのがハローワーク、かつての職業安定所です。
アドバイスをもらって安心
初めて相談に行くと、まず家賃の軽減や求職中の生活費の補助などの説明があり、すぐに申請することを勧められます。おかげでゆっくりと求職できる状況になり、私の担当の方も決まりました。
担当していただいた女性からのアドバイスは、切羽詰っていた私にとっては神の声でした。随分と気持ちが楽になったのを覚えています。いろいろ相談しながら、ハローワークを通して求職活動を始めることになりました。
かなり前に行ったことのあった職業安定所とはイメージも違い、不安もなく求職活動できました。
海外就職を考えるようになったきっかけは海外求人サイト
そんな矢先、インターネットで見つけたのが海外求人サイトです。アメリカ・カナダ・ヨーロッパと、様々な地域でのかなりの数の求人があったのです。
そこでよみがえってきたのが、子供の頃の夢だった海外移住でした。
働く場所の選択肢が広がった
ハローワークで相談すると、インターネットでの個人求職活動もどんどんしなさいとの後押し。そこでダメもとで応募したのが、カナダの日本人向けガイドと中国にある日系の建設会社。特に、カナダの仕事の赴任地は私の憧れだった場所でした。
人生で初めてとも言える、自分を売り込むメールを送り、求人に応募します。結果はどちらも不採用だったのですが、カナダの旅行社からは頻繁にメールをいただき、最終選考まで残ったとのことでした。
それが励みとなり、就職先の選択肢が日本から世界に広がったのです。
偶然現れたベトナム求人
その1ヵ月後、頼りにしていた海外求人サイトが突如閉鎖に。なぜか分からないまま、再びハローワークでの求人1本になってしまいました。
年が変わって2011年、担当の方と相談の結果、求められている条件や年齢は気にせず、重複したとしてもとにかく面接を申し込んでいこうということに。しかし、若い人との一騎打ちでは敗北の連続で、ちょっと落ち込んでいました。
そんな時、突然ハローワークの求人欄でベトナムの設計会社の求人を見つけたのです。
先方の希望年齢が30代となっているため躊躇したのですが、ハローワークの担当者の方が無視して面接希望を出しましょうと言ってくれました。それが全てのきっかけになりました。
知り合いの紹介によるタイ就職の話を断って
実は、ベトナムの求人に応募する前に、タイのバンコクで就職する話がありました。
設計事務所時代にお世話になった会社の社長さんがバンコクによく行き来されており、私もたまに同行させていただいて、タイの方とのつながりも多少できていました。そのつながりを利用して、タイ人の弁護士さんのお手伝いをさせていただく話が進んでいたのです。
しかし、その途中でハローワークを通じてベトナムの求人が現れ、私が選択したのがベトナムでした。
お願いしておいて申し訳なかったのですが、紹介でのお仕事はそれなりに堅いものの、ずっと着いて回るのが義理の二文字。もし何かあった際に、義理に縛られて迷惑をかけてもいけないと思っての決断でした。
海外に目を向けてからは気持ちも就活も良い方向に
求職活動を開始したのは飲食店閉店後の休養明けで、2010年9月くらいからです。そして、ベトナムの設計会社での仕事が決まったのが2011年の2月末でした。就活期間はだいたい半年くらいでしょうか。
先にも述べましたが、不景気の頃の就職氷河期と重なってしまったため、どれだけ不採用になったか分からないくらいです。
しかし、結果的にはそれが私の持つ技術に特化した求職活動になったわけなので、落ち込んだ時期があったがための海外就職になったのかもしれませんね。
ポジティブになれば良い結果が出る
カナダの求人に応募したのが2010年の12月です。視野を海外に向けて以来、精神状態も随分と前向きになっていきました。
もしかして夢が叶うかもしれないという期待が、それまでのような「どこでもいいから」という消極的な気持を積極的に変えていったのです。
物事はポジティブにならないと良い結果が出ないものなのですね。前向きになってからベトナムの仕事を見つけるまで約半月、そこから就職決定までは1ヵ月のスピードでした。
ベトナムでも続く波乱万丈、挑戦した仕事は5つ
冒頭でも述べましたが、ベトナムのホーチミンに移り住んで6年半です。その間にチャレンジした仕事は全部で5つ。フリーランスでの仕事3つは同時進行でした。
1. 構造計算会社代表
日本で採用され、ホーチミンに来るきっかけとなった仕事です。採用された親会社に専属する設計事務所が日本とホーチミンにあり、ホーチミン事務所で代表の役職を与えられました。まあ、雇われの社長なんですけどね。
当時のスタッフはベトナム人が16人、日本人が私1人。職種は、日本のソフトを使っての構造設計です。日本のソフトを使うベトナム人スタッフの能力には驚いたものです。
しかし、結局1年で退職になってしまいました。理由は、日本の設計事務所長との意見の相違です。ベトナムに来てまで人間関係で揉めるとは思っていなかったですね。
2. 日本食の食堂経営
これは、少々理由があって期間限定で立ち上げた事業でした。
日本人が多く住む地域での、駐在員の皆さん向きのカフェ&食堂です。内装はお洒落に、食事のメニューはお惣菜で、日本においてはごく一般的な家庭料理です。
最初はベトナム人のスタッフを数人雇い入れましたが、文化や考え方の相違により、結局一人で切り盛りすることになってしまいました。この頃の私は、まだベトナム人への理解度が低かったようです。
3. フリーランスでの設計業務
ホーチミンに移り住んでから日本国内にある建設会社の社長と知り合い、その会社の設計関係のお仕事をすることになりました。報酬は仕事量に関わらず毎月定額の振込みにして頂き、設計図の作成や見積もりをしていました。
仕事開始から4年半、順調に進めていたのですが、突如連絡があり発注ができなくなるとのこと。理由も分からず、声をかけて頂いた前社長にお尋ねしたところ、後任者が起こしたトラブルで会社の存続も危ういとのご返事。
ホーチミンに来てまで、山あり谷ありのマイ歴史は再び繰り返されることになってしまいました。
4. フリーランスでのガイド業
3年ほど前からバイト感覚で始めていたのがガイドのお仕事です。インターネットで海外在住者の登録を促す広告を見て、何気なく登録したのがきっかけです。
最初は、登録しても何もないだろうと思っていたのですが、ちょこちょこと問合せが入るようになり、忙しい月も出てくるようになりました。しかし、定職にできるには程遠く、あくまでサイドビジネス的な存在です。
5. フリーランスでのライター
生活の糧にしていた設計業務が突然に終わってしまい、一時は途方に暮れましたが、3年半くらい前から興味本位で始めていたライター業務に力を入れ始めます。
ホーチミンに来てまで失業で落ち込んでもいられず、すぐに収入が見込めるライターとして生きていくことを決意しました。
少しずつでも続けていたおかげで要領も分かっています。インターネットで募集されている仕事を複数チョイスして応募し、その結果、皆様からオファーを頂いて何とか仕事を開始できました。
数ヶ月の間で長くお付き合いできる手段を模索しながら、生活費を稼ぐために頑張っています。
海外では確かな技術が武器になる
悩んで選択したのが、ベトナムに来るきっかけになった設計事務所での仕事と、お声をかけて頂いた建設会社からの設計業務です。
結局は、どちらも自分が長きに渡って続けていた技術職。やはり、しっかりとした技術を持つことは生きていく上でとても大切なんですよね。
日本での求職も同じでしょうが、特に海外で自分を売り込むためには、自信を持てる技術を習得することが大事だと思います。
最終的には趣味が仕事に
現在やっているのは、何となく始めたガイド業と、どうしようもなくて始めたライター業。こうして振り返ってみると不思議な感じがします。日本から遠く離れたベトナムのホーチミンで生活の糧になっているのが、これまでの経験が全く必要のない職種。
しかし、元々は海外移住に興味津々の旅行好きであり、ガイドもライターも自分の趣味を生かした仕事になっているのかもしれませんね。
ベトナムで仕事をして良かったこと
いろいろな「しがらみ」から逃れられる
少し前、東京都の小池知事が言っていた言葉「しがらみのない政治」。政治のことはよく分かりませんが、日本で仕事を続けていた頃はしがらみや人間関係に縛られてしまい、一日終わればクタクタになっていました。
でも、ベトナムで働いていると、そのしがらみからは解き放たれている感じがします。ただこれは、私がフリーランスで仕事をしているせいかもしれませんが。
自分らしくいられる
個人的には、海外に出て来られたのは非常に良かったと思っています。その証明として、日本に戻りたいという気持ちは一切ないのです。自己主張の強い外国人の中で自分らしくマイペースで生きていけることに、とても幸せを感じています。
日本にいる時は、精一杯虚勢を張って「こんなんじゃない」と自省しながらの毎日でした。でも、ホーチミンでの生活も長くなり、今では肩肘張らず自然体で生きています。私の場合は特殊なケースだと思いますが、このような人もいるのですよ。
海外で働くために大切なのはその土地に溶け込もうとする精神
ホーチミンに来てから、「思い切ったことをしたね」とか「勇気ありますよね」なんて言われます。自分では、特別に思い切ったことをしたとか、勇気が必要だったなどとは全く思わないのですけどね。
しかし、海外で働く人の中においては、私は落伍者の一人でしょう。
ただ、仕事上での度重なるトラブルに遭遇しても簡単に日本に戻らなかったのは、心を許せるベトナム人の皆さんとつながりが持てたことと、元々が楽天家で臨機応変に動ける性格のおかげだったような気がします。
日本流である必要はない
海外に住む日本人の皆さんが、案外持てていないのが「郷に入っては郷に従え」の精神なのではないでしょうか。
外国でも日本人コミュニティーが確立されてしまい、日本人の周囲には日本流でなければいけない雰囲気があふれています。しかし、たとえ一人ぼっちでもその土地の文化や生活に溶け込める心持ちがあれば、楽しい海外生活が送れるのではないかと思います。
まとめ~リスクも踏まえた上で海外へ飛び出そう
インターネットが著しく発達し、飛行機で世界中どこにでも行ける現代。海外に出ることは、昔のような高いハードルではなくなっています。自分の可能性を信じて世界に飛び出すのは、とても有意義なことではないでしょうか。
その代わり、外国にいると過保護過ぎるくらいに感じる日本国内での生活保障などは何もなくなります。
海外では全てが自己責任の社会なので、しっかりとしたコネクションや技術、そして信念を持って渡航しないと、あたふたと逃げ帰る破目になると思います。しっかりと準備をして、いざ海外就職にチャレンジしてください。
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