※滞在中、何度も癒されたプノンペンの夕焼け
カンボジアと言えばまず思い浮かぶのは、有名なアンコールワットではないでしょうか。私は約1年半、そのカンボジアの首都プノンペンで看護師として働いていました。
発展途上国であるカンボジアで仕事をすると言うと、周囲からは「ボランティア?」とよく聞かれたものでした。
では、プノンペンでの実際の仕事とはどのようなものだったのか、カンボジアへ渡った経緯も含め私の経験を具体的に紹介していきたいと思います。
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カンボジアで働く前は日本の大学病院勤務
カンボジアへの渡航を決意する前、私は新卒から大学病院の看護師として6年間勤務していました。病棟・救命救急センターでそれぞれ経験を積み、忙しい毎日でした。
経験を重ねるとリーダーというポジションになり、新人スタッフへの指導や日々の業務の采配などの役割もこなし、全体を見渡せるように。
また、勤務していた救命救急センターでは看護研究も盛んに行っており、研究活動のチームに加入することでより深く看護について学ぶ機会が増え、充実した日々を送っていました。
海外で働こうと思った理由
日々充実した生活を送っていたのに、なぜ海外に行く決意をしたのか。
看護師になると決めた時、ただの病院勤務の看護師ではなく海外・国際的な場でいつか働いてみたいという思いがありました。ではなぜ海外に興味を持ったのかというと、実はこれといったきっかけはありません。
ただ、敷かれたレールの上を歩くだけではなく、何か人と違うことがしたい・新しいことにチャレンジしたいという思いが昔から強かったように思います。
そういったことから、自然と日本の外の世界に目が向くようになったのかもしれません。
救急看護師としての将来に違和感
大学病院での勤務には何の不満もありませんでした。比較的人間関係もよく、同期・上司などの素敵な仲間に囲まれ、彼らとは今でもプライベートでの交流があるぐらいです。
もちろん、そのまま救命救急センターで勤務し、先輩・上司のように研究活動をしたり、キャリアアップのために大学院へ進学し認定・専門看護師の資格を取得するという選択肢もありました。
しかし、当時の私の中では、救急看護師として専門性を極めるという将来像が何だかピンと来ませんでした。次第に昔抱いていた、看護師として海外にかかわる仕事がしたいという思いがこみ上げてきて転職を考えるようになったのです。
海外で看護師として働くための道を探す
いざ転職を考え始めたわけですが、看護師として海外で働く道は非常に限られていました。
また、当時私は転職会社を利用するということをせず、自分でひたすらインターネットで調べながら、希望や条件に当てはまる病院や組織がないか調べていました。
現地採用?ボランティア?
看護師に限らず、一般的に海外で働くとなると「現地採用」「海外駐在」「ボランティア」の3通りがあると思います。
可能性が高いのは現地採用だと思いますが、海外生活の経験もなく英語にも堪能ではない私が、いきなり個人で海外に赴き就職活動というのは無理がありました。留学した後、現地で資格を得て働くという道も考えられましたが、莫大な資金がかかることを考え断念。
また、JICA(独立行政法人国際協力機構)が派遣する青年海外協力隊などのボランティア組織の看護師として働く選択肢もありましたが、ボランティアとなると給料は生活費程度か全くないということもあって仕事として長く続けることはできないと思い、除外しました。
海外赴任の候補枠に応募
そして考えたのが駐在という方法です。
インターネットで「国際」「病院」などのキーワードで検索していた時、とある民間病院でカンボジアに救急病院を建設するプロジェクトが立ち上がり、カンボジアへの赴任候補者を募集しているという記事を目にしました。
候補者に選ばれるかどうかは別として、この方法なら海外初心者の私でもチャレンジできるかと思い応募してみたところ、まずはその病院の看護師として採用されます。そして、海外赴任候補者として病院内で経験を積み、スキルアップを図ることになりました。
それまで海外旅行は好きで毎年のように行っていましたが、カンボジアや東南アジアには行ったことがなく、全くイメージが湧きません。既に現地で調査活動をしている病院スタッフがいることを知り、転職前に休みを使ってカンボジアに旅行に行きました。
初めて見るプノンペンに挑戦心を刺激される
プノンペンにはアジア各国の企業が多数進出しており、高層ビルの建設ラッシュが続いています。プノンペンに滞在している日本人も3,000人近くいると言われており、AEON MALLやDAISO、丸亀製麺など日系企業の進出も目立っています。
アジア各国の企業が進出していることから、プノンペンでは外国人を多数見かけます。中国人、韓国人、日本人の他、フランスの植民地であった名残からフランス人のビジネスマンなど、赴任後は東京のそれよりもたくさんの外国人と出会いました。
初めて訪れたプノンペンで日本とは全く違う町並みや現地の人の姿に衝撃を受けると同時に、カンボジアの文化・歴史を学び観光する中で、自然とこの発展途上国で自分の力を試してみたいという気持ちがこみ上げてきたのです。
カンボジア赴任まで日本の病院で勤務&準備
6年間働いた大学病院を退職し、初めての転職。新しい第一歩にワクワクが止まりませんでした。
カンボジアの病院建設が遅れていたということもあり、赴任までの約2年間は日本で看護師の仕事をしながら、新病院立ち上げのための準備業務をすることになりました。
オールマイティーな看護師を目指す
当たり前ですが、海外、ましてやカンボジアで新しい病院を立ち上げるということは、一人ずつに高い能力が求められるということです。
転職先の病院では、それまでのように一部署で働ければいいというわけではありませんでした。どこでも働けるフレキシブルな看護師を目指して各部署のローテーション研修をこなし、時には2部署を兼務しながらスキルアップに励みます。
そして、転職して2年目になった頃からカンボジアに建設される新病院の準備が本格的に動き出し、臨床業務の傍ら海外事業部の人達と共に病院立ち上げの準備業務を一緒にするようになりました。
膨大な業務も楽しみながら
新病院の設計図の確認、連携企業との打ち合せ、カンボジアで使用する医療機器・消耗品等の調達品のリストアップ、医療機器メーカーとの打ち合せ、現地での運用マニュアルの作成等、病院立ち上げ準備業務は尽きません。
看護師業務と並行して立ち上げ準備をするのは大変でしたが、将来、自分達が作った新病院で働くことへの楽しみ・新しいことへの挑戦にワクワクしながら、同じ目標を抱く赴任候補者の同期と共に、膨大な仕事量を何とかこなしていました。
カンボジア人留学生の研修
また、新病院で働くために採用したカンボジア人スタッフが、日本の病院で研修をすることになりました。
第1期17名・第2期5名・第3期12名のカンボジア人留学生を招き、赴任候補者が中心となって、彼らへの教育をしたりアフター5を一緒に過ごしたりするなど生活のフォローをしていました。
※寮でのパーティー。第1期カンボジア人留学生と共に
赴任までは2年間と当初聞いていたより長かったものの、この準備期間やカンボジア人留学生との交流があったからこそ、自然にカンボジアという国が身近に感じられ、赴任してもすぐにカンボジアという国に溶け込むことができました。
カンボジア現地へ、病院立ち上げまでの道のり
カンボジアへ赴任後は、急ピッチで病院立ち上げのための準備を進めます。
調達品の最終確認、連携企業と打ち合せながらの受け入れ体制準備、運用マニュアルを具体化して実践で動けるようにするためのカンボジア人スタッフとのシミュレーション。
また、カンボジアでは口コミ・SNSでの宣伝が一般的なようで、カンボジア人スタッフと共にfacebookへ記事を投稿すると同時に、出張健診をしたり、ホテルや学校などへ赴いたりといった地道なプロモーション活動もしており、日本以上に幅広い業務をこなしていました。
※教室でのシミュレーショントレーニング
日本のように予定通りには進まない
海外ならではのハプニングも多々ありました。中でも、カンボジアという国柄から現地の建設事務所やワーカー達は計画通りに事を進められず、肝心の病院建設が遅れるトラブルが続きます。
打ち合せ内容が反映されないことも度々あり、建設会社の人達と打ち合せをしては灼熱の中、建設現場に足を運び、気になることを指摘するという作業を繰り返しました。
※スタッフと共に建設現場を見学
カンボジア人スタッフの教育
そんな中でも一番大変だったのは、カンボジア人スタッフの教育です。病院完成まではビルの一室を借りて、そこで準備業務・スタッフへの教育全てを行っていました。
日本に留学し経験を積んだスタッフもいれば、現地採用で増やしたスタッフもいて、開院までに延べ70人あまりのカンボジア人を採用。中でも看護師は一番の大所帯となっており、40人近くのカンボジア人看護師への教育内容を、当時第1陣として赴任していた4名の看護師だけで日々考えなければなりませんでした。
何もない中でできることは限られていますが、病院オープン後を想定したシミュレーション教育や、レクチャー形式での教育が主となり、毎日毎日資料作りに追われていました。
目標はカンボジア人の自立
少し話しはそれますが、私達が病院立ち上げにあたって目標にしていたことがあります。それは「カンボジア人の自立」です。
具体的に自立とは何かと言われると難しいところですが、まずは問題解決思考を持つこと、言われた通りにではなく自主的に物事を進めるようになってもらうことでした。
カンボジアには本当にたくさんのボランティア団体が入っています。そのため、全体的にカンボジアには支援に慣れてしまっている風潮があり、もらって当たり前・やってもらって当たり前となってしまっているような印象が強かったのです。
ボランティアが悪いというわけではありません。支援が必要な時・場所があると思います。しかし、初めてカンボジア人を教育する時にまずぶつかった壁が、こういった文化・育った環境の違いでした。
考えてもらうことで意識を高める
自分で考える力をつけてもらうため、カンボジア人が何か言ってきてもすぐに答えを出すのではなく、「Why?」とよく投げかけていました。
最初は「なぜ答えを教えてくれないんだ」と戸惑う人が多かったのですが、その意図、つまり私達が目標としているところを伝えることで、だいぶ理解してくれるようになりました。
教育といってもレクチャーばかりではなく、病院のオープンが近づいた時には一緒に準備業務もこなしてもらうことで自分達の病院という意識を持ってもらい、自主性を高めてもらうことができました。
カンボジアの病院がついに開院、日本人スタッフの仕事と役割
こうして、やっと迎えた病院グランドオープンの日!今でもこの日は忘れられません。
初日は4名の患者さんの救急対応から緊急入院の受け入れを行いました。システム・ルール共に成り立った日本の病院なら、4名の入院対応は業務だけで言うと難しいことは何もありません。しかし、新病院はカンボジアにあり、働くスタッフも患者さんもカンボジア人です。
カンボジア人スタッフの看護師のレベルは日本の新人看護師レベルの人がほとんどで、患者さんの状態管理は日本人スタッフがびっちりとフォローにつき、状態の変化がないか、的確な処置を実施しているか、常につきっきりで指導。
当然、システムエラーや、この場合はどうする・ああする等といった認識に関する問題が実践になると浮き彫りになり、私は24時間ほぼ休むことなく病院で動き回っていました。
現地の患者さんが安心して通えるように
病院にやってくる患者さんは現地の患者さん、つまりカンボジア人が大半を占めます。
カンボジア人スタッフには、日本の看護師がやっているような役割を担ってもらい、日本人スタッフは管理者・指導者としての立場で仕事をしていました。
また、日々の看護師業務だけでなく、カンボジア人スタッフ自身にも積極的に病院・病棟運営に参加してもらいました。
具体的には、部署毎に月に1度会議を開き、日々の業務に関する問題や、患者さんの日々のケアに関することなどについてディスカッションを行い、改善策を考えていきます。
自分達が働いている病院をより良いものにし、カンボジア人の患者さんが安心して通うことができる病院作りを目指しました。
システムが安定、帰国へ
また、カンボジア人の中でもリーダー的存在のスタッフを指名し、新規採用した現地スタッフへの教育も一部担ってもらうことでさらなる知識や技術の向上を図るとともに、看護師としての責任感を持ってもらうことによりカンボジア人スタッフの自立を目標としました。
病院オープン後、半年ほど経過してシステム・ルール、そしてカンボジア人リーダー看護師も定着し始めた頃、私は任期を終え日本に帰国することになります。
カンボジアで働いて看護師の仕事以上の経験ができた
※カンボジア滞在最終日。病院スタッフと共に最後の食事
カンボジアに赴任していた頃は大きな責任感を背負い込み、日々の業務にも追われる中で、正直精神的に余裕がないことが多かったです。
こちらが言ったことを相手がすぐにできなかったり、どうしても上手くいかなかったりすることも多くあり、カンボジア人スタッフにも厳しい指導をしてしまったことが度々あります。
しかし、そんな厳しい環境の中で、当初は日本人に反発していたカンボジア人スタッフも文化の違い・価値観の違いを乗り越えて、私達が伝えたいことを理解してくれました。
一緒に病院作りをしてくれたカンボジア人スタッフには本当に感謝の気持ちでいっぱいです。救急車で運ばれてきた重症の患者さんが元気に退院していく姿を見た時には、本当に頑張ってきてよかったと心から思いました。
温かく英語も通じるカンボジア人
発展途上国であり、日本などの先進国と比べると劣るところがたくさんあるカンボジアですが、カンボジア人はみな優しく丁寧で、人、特に家族をとても大切にします。面会時はいつも家族・親戚であふれています。
イベントも大好きで、スタッフの誕生日や結婚式などは必ず盛大にお祝いをします。そんなカンボジア人といると、自然と温かい気持ちになりました。
また、カンボジアでは基本的に第2言語が英語となっているため、現地にいる若い子ならほとんど英語を話すことができます。
相手もネイティブではないためゆっくり話してくれる上、多少文法が間違っていてもお互い気にしないので、英語初心者にはいいかもしれません。
日本の常識は世界の常識ではない
日本人は仕事にストイックで厳しいと本当によく言われます。日本にいるとそれがごく普通ですが、一歩外の世界では普通ではありません。
何が正しいかはその場・その時で違うと私は考えます。海外に出ることで、それまで置かれていた日本での環境を客観的に見ることができるようになり、今までの常識が常識じゃなかったと思うことも多くあります。
異文化を理解し共生するということの難しさ・奥深さを何となく感じることができたと思います。
帰国後に振り返ってみて、たった1年半という歳月でしたが、カンボジアでの仕事は日々濃厚で、看護師という枠を飛び越えて様々な経験をすることができたと実感しています。
海外で働きたい気持ちがあるなら挑戦を恐れずに
海外で働くという、何となく抱いていた夢を叶えることができ、それ自体が夢だったように思うこともあります。それだけカンボジアでの日々は通常では経験できないことばかりだったと言えます。
カンボジア人はとにかく温かく、学ぶことは本当にたくさんありました。挑戦したことに後悔はありません。
しかし、海外で働くことは、当たり前ですが簡単ではありません。ただでさえ辛い仕事をこなさなければならない上に、言葉や文化の壁が立ちはだかります。また、それなりの責任が伴うことも多いです。
そのような厳しい環境でも乗り越えられる精神力・体力が本当に必要です。ですがその分、その経験は必ず自分の糧となります!
少しでも迷いがあるなら、まずは挑戦してみること。それが私の答えです。きっとその先には、今まで見たことのない景色・何ものにも代えがたい経験が待っているはずです!
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