アメリカのプロバスケットボールリーグ(NBA)の総チーム数は30チーム。
バスケットファンでなくてもロサンゼルス・レイカーズ、シカゴ・ブルズ、マイアミ・ヒート、ゴールデンステート・ウォリアーズなどは耳にしたことがあると思います。
各チームには人気、実力を兼ね備えたスター選手がチームの顔として存在します。
古くはブルズのマイケル・ジョーダン、昨シーズン引退したレイカーズのコービー・ブライアント、ヒートからクリーブランド・キャバリアーズへ移籍したレブロン・ジェイムスなどが有名ですね。
日本ではあまり知られていませんが、テキサスに徹底したチームプレーで戦う職人集団サンアントニオ・スパーズというチームがあります。
個人技よりも組織力、派手さよりもしぶさを追求する通好みのチームですが、この味わい深さを知ったら好きにならずにいられないはず!
今回はスパーズの好感しかもてない看板選手をメインに、知ったらファンになってしまうストーリーをあますことなくお伝えします。
スパーズ夜明け前 デビッド・ロビンソン
まず基礎知識として、ロビンソン抜きにはスパーズは語れません。
神様と呼ばれるジョーダン率いるブルズ帝国が6度も優勝した90年代、ロビンソン個人は高い運動能力でレギュラーシーズンMVPをもらうものの、スパーズはカンファレンスの中堅どころあたりから抜けきれずにいました。
当時ロビンソンは誰よりも早く練習にきて一番最後に帰っていました。
彼は「lead by example」として他選手のお手本となろうとしただけでなく、ポポビッチジェネラルマネージャーが作ったスパーズのビジョン(システム)を忠実に遂行しようとしていました。
ロビンソンは高い運動能力に加え幼少時代から頭脳明晰であったため、ブルズ帝国を破りスパーズが勝つためにポポビッチのシステムが必要だと分かっていたのです。
そのシステムとは本来バスケットはこうあるべきという「チームプレー」に徹すること、実はただそれだけだったのです。
他チームのスター選手は、派手なプレーで観客をわかせ、ボールを集めてもらって得点を稼ぐ観ていてわかりやすいプレーをするのに対し、システムに徹するということは効率重視で精度の高いプレーが優先されるため、ファンが楽しみにしているスター選手のパフォーマンスが必然的に少なくなります。
ロビンソンは高校卒業後に海軍に仕官し2年間の兵役を終えてNBA入りした選手なので、ビジョン・ミッション達成のための指令を受け入れ団体行動できる能力を軍隊で身につけていたのです。
ポポビッチのシステム、ロビンソンの努力と能力がうまく合致し、きっかけさえあればスパーズが殻を破れる時期にさしかかっていました。
優勝への最後のピース ティム・ダンカン
1997年にウェイクフォレスト大学を卒業したダンカンがスパーズに入団します。カレッジバスケットリーグで各種の賞を総なめにした選手でした。
ポポビッチ、ロビンソンに必要だった最後の一片、ダンカンが加わり2年後スパーズは初優勝をすることになります。
以降、スパーズは19シーズン連続でプレイオフ進出をする常勝チームとなりました。しかしそんなチームのテレビ放送は視聴率が低かったのです。
なぜならロビンソン、ダンカンがツインタワーをつとめるスパーズの試合には華がなくプレーは地味そのもの。
よくスポーツ選手はカメラや天井、客席を指差してアピールしたり、キメのポーズをとります。ダンカンは加点後も特になにもせず淡々とプレーに戻ってしまいます。
観客はダンクや直接リングにねじ込むシュートに盛り上がりますが、ダンカンの得意技はバンクショット。
小学校の体育の時間に先生から言われた「リングの外側にある四角の隅をねらって投げましょう」というあの基本中の基本シュートです。
バンクショット(Bank Shot)は「銀行にお金を預けるくらい確実」という意味です。ダンカンは中学生の頃、水泳のオリンピック代表に選ばれるほど身体能力が高くもちろんダンクもできます。
しかし加点はチームの勝利のためであり自分を誇示する必要はないと、確実に得点につながる一手を選ぶ職人気質なのです。
怒られて育つ自尊心 ポポビッチVSダンカン
監督であるポポビッチは、ダンカンを好ましく思い高く評価すると同時に、彼のシステムをチーム全体に浸透させるためにスター選手のダンカンをも特別扱いしませんでした。
プロ入りしたての新人や看板選手は絶対的自信からプライドが高くなり、監督やコーチの指示に従わないことがあります。しかしスパーズ勝利の方程式はチームプレー。
エース・ダンカンが監督に反抗すれば組織バスケットが崩壊してしまいます。
スパーズに入団した新人は、自分のチームのエースが監督から怒られている様子を目の当たりにすると何も言えなくなり、自分がいかに小さい自負心を持ち合わせていたか思い知ります。
ダンカンはポポビッチのやり方に全幅の信頼をおき、己を殺してチームに貢献する姿を見せることで新人を育て、チームを育てました。
チームが常勝すると選手の間でスパーズを誇らしく思う気持ちが強くなり、監督から怒られても正しい方向へ導かれているとポジティブな気持ちで受け入れることができます。
その結果ポポビッチのシステムがうまく機能し、またチームが勝ち続けるという好循環がうまれます。
ダンカンがエースとしておごらず常にチームでの勝利を第一に考えてきたからこそ、ロビンソンから脈々と受け継がれるシステムが20年以上機能し続け、スパーズの選手はスパーズという組織の一員であることに誇りを持つことができるのです。
常勝チームの若き担い手 カウィ・レナード
2011年に20歳の新人レナードがスパーズに入団。2016年にダンカンが引退したので現在スパーズの顔として注目を集めています。実はレナードもまた、努力家であり常に謙虚な性格の持ち主というスパーズ向きのキャラクターです。
入団翌年にNBAファイナル出場、2年目には若干22歳にしてNBA優勝を経験。その年のファイナルでは誰にも止められない怪物レブロン・ジェイムスの攻撃を完全に封じ込めNBAファイナルMVPを獲得しました。
チーム内では守備のスペシャリストとして役割を担っていましたが、彼はもっとうまくなりたいという向上心から攻撃にも力を入れ、毎年昨シーズンを上回るポイントを稼ぎだしています。
今ではNBA屈指の2wayプレイヤー、攻守万能選手として高い評価を受けるようになりました。
意外!ロッドマンとレナードの共通点
2015年、2016年には2年連続でNBA最優秀守備選手賞を授与されています。センターポジション以外の選手が2年連続で受賞したのは、かの有名なデニス・ロッドマン以来の快挙。
レナードはプロ入りから毎年着実にキャリアを伸ばしている有望な選手です。
ロッドマンといえば全身タトゥーで、奇抜な髪の色、女装癖など奇行で有名でしたが、なんとスパーズに在籍していたことがあります。
当然チームとロッドマンの相性は最悪で、わずか2シーズンでシカゴ・ブルズへトレードされてしまいます。
レナードの性格がわかるエピソード
年代は違っても同じチームに在籍し、同じ賞を受賞したロッドマンとレナードの私生活は、おもしろいほど好対照です。
ロッドマンはドラック、酒におぼれ、派手な女性関係で浮名を流していましたが、レナードの周囲が語る彼のエピソードは地味そのもの。レナードの性格が垣間見えます。
エピソードその1
プロ入りしてからも乗っていた車が97年製のシボレー・タホ。94ミリオンドル(約100億円)の5年契約をしていながら新車を買わないので、記者が理由をたずねたところ「だって乗れるしローンが終わっているから」と飄々と答えました。
エピソードその2
チキンウィングが大好きで今でもクーポンを使って自分で買いにいきます。ある日レナードが「クーポンブックをなくした」とものすごく不機嫌になっていたとチームメイトが証言しています。
ふつうの金銭感覚をもつレナードにわれわれ庶民は自然と好感を持ってしまいますね。
まとめ
ダンカンの引退セレモニーでポポビッチが「天国のダンカンのお父さん。あの時の約束を覚えていますか?」と切り出しました。プロになって数年後、ダンカンのお父さんが他界してしまいます。
亡くなる間際にお父さんはポポビッチに約束してもらったことがありました。
「プロ入り後に酒、金にだらしなくなる選手が多い。ダンカンをあなたに預ける。どうか彼が選手としてのキャリアを終える時、今のままのダンカンでいられるように見届けてほしい。」と。
ポポビッチは「お父さん、私は胸をはってあなたの息子があの頃のままだと言えます。自信をもって彼を送り出すことができます。」とスピーチをしめました。
ダンカンが守ってきたスパーズは新生スパーズとしてレナードに受け継がれました。知ったらやみつき、好きにならずにいられないスパーズは今シーズンも両カンファレンスで総合成績2位通過しています。
プレイオフと来シーズンも大いに期待できるスパーズの応援をよろしくお願いします!
海外求人
あなたの挑戦を待っている!あこがれの海外企業へ就職しよう(海外求人)
【アメリカ求人】アメリカ就職を未経験からでもねらえる!転職エージェントまとめ
アメリカで働くには?アメリカで就職・転職をしたい日本人が転職前に知っておきたい11のこと
あわせて読みたい