2016年10月13日、タイ王国に70年間君臨し、国民の敬愛を一身に集めたラーマ9世・プーミポン・アドゥンヤデート王が崩御されました。88歳でした。
国民の嘆きは尋常なものではありません。前国王の遺体が安置されている王宮には連日数万人の国民が弔問に訪れています。街を行くタイ人も多くが黒い服を着たり黒いリボンを着けたりして弔意を表しています。
服喪期間は一年間ですから、2017年10月まで、こうした状況が続くものと思われます。
前国王に対する国民の尊敬・崇敬は、他の国では見られないほど大きなものです、いったい、タイ人はなぜこれほどまでプーミポン・アドゥンヤデート王を敬愛するようになったのでしょうか。
タイの前国王は、どんな方だったの?
プーミポン・アドウンヤデート前国王は、ラーマ5世王の69番目の子、ソンクラーナカリン王子の次男として、アメリカのマサチューセッツ州ケンブリッジで生まれました。兄と姉がいます。
兄王の変死により、18歳で9代王に即位
兄のアーナンタマヒドンは、1935年に叔父のラーマ7世王が退位すると、8世王として即位しました。当時兄はまだ10歳で、3兄弟はともにスイスのローザンヌで就学中でした。
1945年、第2次世界大戦が終わると3人はタイへ帰国しますが、兄王は翌年に変死を遂げてしまいます。この12時間後、プーミポン・アドゥンヤデートは9世王として即位しました。当時18歳です。
その後再びスイスへ戻り、タイへ帰ったのは6年後の1952年です。その間の1950年、フランス滞在中に出会った従姉妹のシリキット・キッティヤーコンと結婚します。
最初から国民に支持されていたわけではない?
かつてのタイは絶対君主制でしたが、ラーマ7世の時代に立憲君主制に移行しました。しかし、軍によるクーデターが幾度となく起こされ、そのたびに政権は軍によって掌握されました。こうした状況は現在でも続いています。
不安定な政情が続き、王室への信頼・愛着も、大王ラーマ5世のあと、混乱の中で失墜していました。こうした状況で即位したラーマ9世は、当初政治的象徴に過ぎず、国民の支持を集めていたわけではありません。
ラーマ9世王は、在位期間70年という長い時間の間に、その行動、発言、業績、そして人間性によって完全に王室への信頼を回復し、タイ国民が世界に誇る国王となっていったのです。
タイ国民は、ホントのところ、前国王をどう思っていたの?
タイ人が国王を尊敬してやまないということは、しばしばマスメディアでも報道されています。日本人が天皇に対する感情とは根本的に異なるといいます。
一方で、これらは教育や政治によって意図的に誘導されてできたものではないのかという見解も指摘されています。本当のところはどうなのでしょう。
どの家にも国王の写真が飾られている
タイの家庭には必ずといってよい程、仏像があり、そして国王の写真があります。タイ人のほとんどは敬虔な仏教徒です。どの家でも、ちょうど日本の神棚のような棚に仏像を安置し、供物を捧げて礼拝します。
そして、どの家でも国王や王室ファミリーの写真額、カレンダー、ポスターなどを飾ります。べつに礼拝するわけではありませんが、敬愛する国王をつねに身近に感じていたいのでしょう。
タイの「父の日」はラーマ9世王の誕生日、「母の日」は王妃の誕生日です。国民は国王を父と、王妃を母と心から考え慕っています。
テレビでほかの国の王室のニュースが流されたりすると、タイ人はそれを見終わった後、「ナイ・ルアンにはかなわないよ。」といいます。ナイ・ルアンとは親しみを込めたラーマ9世の呼び名です。
国王への尊敬はつくられたものなのか?
これまで、歴代の政府や軍がラーマ9世王を意図的に神格化してきたと、一部で伝えられています。ことに軍事政権下では、クーデターで掌握した政権を国王が承認したということにすることで、国民に対し正当性を主張することができます。
民主政権下でも、政策に対して国王の承認があれば反対派に対する強い牽制になります。実際には国王が政権や政策の是非について具体的な発言をすることはありません。
しかし国王の口から否定的な発言が出ないということをもって、承認(黙認)とみなせるという風潮があるのです。タイには「不敬罪」があり、王室を侮蔑すると罪に問われます。実際に実刑を受けた外国人の例もあります。
また、毎日公共の場では朝8時と夕方6時に国歌が放送され、国民は放送中その場に静止・直立しなければなりません。映画館では上映の前に「国王賛歌」が放送され、この時も観衆は起立しなければなりません。
さらに、テレビ放送でもしばしばラーマ9世王の偉業を讃える映像が流されてきました。これらは確かに、国家や王室への尊重・恭順を強制するものといえるかもしれません。
ただしこれらが、国民が国王に対していだく尊敬の念の形成にどれだけ影響したかは疑問です。
大日本帝国憲法下の日本では、徹底して天皇を神格化する教育が行われました。現在の北朝鮮も同様です。しかし、タイではそこまで徹底した国王神格化教育・指導が行われているわけではありません。
むしろ、国民が国王について知りたいと願い、国王の言動や仕事を理解する中で、自然発露的に尊敬の念が形成されていった部分が大きいと考えられます。
政府や軍による宣伝は、すでに形成された国民感情を後からなぞるものであったように思われます。
前国王は、なぜそんなに国民から信頼されるようになったの?
18歳で9世王に即位したプーミポン・アドゥンヤデート国王はそのあとどのような歩みをたどり、国民のハートをつかんでいったのでしょう。
ロイヤルプロジェクトが農民の暮らしを変えた!
タイは日本と違い、立憲君主制をとっています。天皇が国民統合の「象徴」である日本とは違い、タイ国王は「君主」です。
自ら裁量できる予算をもち、「ロイヤルプロジェクト」と呼ばれる施策を行ってきました。その多くは、地方の農村部の生活改善を目指すものでした。
かつて世界最大の麻薬生産地とされたミャンマー・ラオス国境の「ゴールデントライアングル」を牛耳るシンジケートを壊滅させるのに、ラーマ9世が大きな役割を果たしたことは良く知られています。
麻薬生産に従事していた山岳移動民族は土地に定着し、トウモロコシなどの生産に従事するようになりました。そのほかにもダムや灌漑水路の建設などを各地で行い、農民の生活改善を推し進めました。
ラーマ9世は頻繁に地方を訪れ、自ら先頭に立って民衆の暮らしや農業の視察を行い、プロジェクトを立案して実施しました。首にカメラを提げ、ノートを片手にして、汗をかきながら農村や山林を歩く国王は、国民にとっておなじみの父の姿でした。
農民たちは国王が行幸する際に地面に座って待ち、皆なけなしのお金を国王に捧げました。国王に差し上げることができれば、国を良くするために使ってもらえると信じてのことです。
国王は政治の迷走を正す
1992年、反政府デモを行う市民たちを、政府が武力弾圧する「暗黒の5月事件」が起こりました。前年にクーデターを起こして政権掌握した政府に対して市民が反発し、学生を中心とする人々が抗議行動を起こしていたのです。
軍の発砲により300人以上の市民が死亡し、とくにタマサート大学では虐殺された学生の遺体が木に吊るされるなど凄惨を極めました。
この事態を憂えた国王は、スチンダー首相と反政府勢力のリーダーを王宮に呼び、玉座の前に正座させて双方を厳しく諫めました。これを受けてスチンダーは退陣し、民主政権が復活したのです。
この出来事は、国王が政治の迷走を正した最も象徴的な出来事としてタイ人の記憶に鮮明に残されています。こののちも、政治や国民が混迷するたびに、国王は談話を発表して国が進むべき道を示してきました。
前国王が亡くなって、これからのタイはどうなるの?
偉大な王、ラーマ9世が世を去ったいま、タイは大きな悲しみに包まれています。この先、国民の王室への求心力や、政治・経済の安定は保たれていくのでしょうか。
タイの7人の「大王」とは?
タイには歴史上7人の偉大な国王がいて、マハーラート(大王)と呼ばれています。まず1人目はスコータイ時代にタイ文字をつくったとされるラームカムヘーン王です。
2人目はアユタヤ時代にビルマ軍の侵攻から国を守ったナレースワン王、3人目はやはりアユタヤ時代に文学・外交で業績を上げ黄金期を築いたナライ王です。4人目はアユタヤ滅亡後にトンブリ王朝を築いたタークシン王。
そして現王朝では始祖ラーマ1世王、列強の植民地主義からタイの独立を守り、現在のタイの礎を築いたラーマ5世王(チュラロンコーン王)、そして7人目がラーマ9世王です。
このうちラームカムヘーン大王、ナレースワン大王、ラーマ5世チュラロンコーン大王はとくに3大王と称されます。ラーマ9世王が加えられ、4大王になるのではないかという噂も聞こえてきます。
7人目の大王は世を去りました。ほとんどのタイ人にとって、生まれた時からラーマ9世が唯一の王でした。いま、タイ国民は精神的な支柱を失い、打ちひしがれています。
新国王はどんな人物?
現在はラーマ9世王の長男、ワチラロンコーン皇太子(64歳)が10世王に即位しています。
ラーマ9世王には1男3女、4人の王子・王女がいます。このうち、第2子(長男)のワチラロンコーン王子が王位継承権第1位で、そのまま王位に就いたわけです。王位継承権第2位は第3子(次女)のシリントーン王女がもっていました。
じつは、国民の間では、シリントーン王女を新国王に推す意見が多かったといわれます。シリントーン王女は父王が地方へ行幸される際にたびたび随行し、父の仕事を補佐しました。
また、文化事業や外交の場でも民衆や報道陣の前に現れる機会が多く、国民の信頼を集めてきました。
これに対し、ワチラロンコーン皇太子は地方へ出かける機会があまりなく、むしろ海外で過ごすことが目立ちました。3度の結婚やその経緯も、生涯シリキット王妃との結婚を続けた父王と比べられ、スキャンダラスに語られました。
こうしたことから、ワチラロンコーン新国王が誕生した今、国民の精神状態は複雑です。もちろん、まだ服喪中であり前国王をなくした喪失感から癒されていない状態ですから、祝賀ムードを望むことはできません。
しかしそれを差し引いても、新国王への国民の期待感は高まっていません。国民の間には、新国王について語ることを避けている様子が見て取れます。
新国王が今後どんな仕事をし、国民や政府との関係をどう築いていくのかは未知数です。ただ、タイ王国における国王の重要性を考えた時、新国王の活躍を望まずにはいられません。
外国人は、タイ王室に対してどんな態度を取ればいいの?
タイへ旅行で訪れた外国人、またタイに住む外国人はタイ王室に対し、どんな態度をとればよいのでしょうか。いらぬトラブルを招かないためにも、心得ておいた方がよい留意点をあげてみます。
短期の旅行なら、「郷に入らば郷に従え」
旅行で訪れる外国人が、王室に関することでトラブルに巻き込まれることはそう多くないはずです。強いていえば、無理解のために自分からトラブルを招いてしまうことが最もあり得るケースです。
バンコクに限らず、街の中にはいたるところにラーマ9世や新国王、また大王ラーマ5世の肖像画や写真が掲示されています。それらに対し失礼な態度をとらないよう注意することが大切です。
そのためにも、ラーマ9世や新国王、ラーマ5世の顔を覚えておくに越したことはありません。
朝8時や夕方6時の国歌放送の際、タイ人はその場に静止しなければなりませんが、外国人は静止しなくても、とがめられることはありません。ただ、その場の雰囲気を読み、静かに行動することが望まれます。
お札や硬貨にもラーマ9世の肖像が描かれているので、粗末に扱わないよう気をつけましょう。お札への落書きなどはトラブルのもとです。
タイ人の気持ちを逆なでしないように…
在住者や長期滞在者は、タイ人と話をする機会も多いはずです。そんな時、王室に関する話題が出たら、くれぐれも王室を軽んずるような発言をしないよう気を付けなければなりません。
タイ人のほとんどは、王室を自分たちの庇護者と考え、王室に対して誇りをもっています。前国王はもちろん、人気がいまひとつの現国王に対しても、ネガティブな発言は慎むべきです。
タイ人は表立った争いを好まないので、その場はなんとなくやり過ごしたとしても、「タイを軽く見る外国人・タイを尊重しない外国人」というイメージをもたれると、その後の付き合いが難しくなるケースがあります。
タイの歴史や文化を十分理解すると、王室の役割や王室と国民の関係についてもわかってきます。タイに長くいるつもりなら、最低限の知識は身に付けておきたいものです。
日本人も含め、長くタイで暮らしてきた外国人の多くは、2016年10月13日、タイ国民とともに偉大な父の死を心から悼みました。タイ人と近い気持ち・考え方が育っていることの表れのように見えます。
まとめ
いま、タイ全体が悲しみと喪失感に包まれています。タイにいる外国人は、そのことを理解しなければなりません。
国王とタイ国民の深い関係を知り、王室を軽んじる言動や国民感情を逆なでする行為は、くれぐれも慎むべきです。
幸いなことに、日本の皇室や日本政府はタイおよびタイ王室と良好な関係にあります。またタイ国民の対日感情も総じて良好です。互いの理解を深め、この良い関係を続けたいものです。
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