韓国の美術館で出会う日本人・現代美術作家 井川惺亮の世界

韓国の美術館 韓国生活・移住

韓国のある美術館で日本人・現代美術作家/井川惺亮(いかわせいりょう)氏の作品に出会いました。

井川惺亮氏の作品は、明るい色彩がとても特徴的。ひっそりと佇んでいるようにも見えるその作品は、威圧的で難解なものではなく、子どもでも中に入りその空間を感じ体験出来る、親しみのあるものです。

全てにおいてその眼差しにより、その場や空間・物をいかし、かつ一方で注意深く慎重に、まるで糸を紡ぎあげるようにその空間をつくりあげます。

韓国と深い関係がある作家・井川惺亮氏

日韓の関係は、残念ながら時には悪化することもあります。しかし、日韓国際交流は、各地で継続して行われています。

芸術による国際交流(例えば美術交流や音楽交流など)もその一つで、高校や大学など、各地で交流は行われています。その時の日韓関係により展覧会や音楽会は縮小することもありますが、そんな時でも、ずっと継続しています。

井川惺亮氏は、実は韓国と深く関係があります。彼は、約30年もの間、ずっと韓国と美術交流をして来ました。最初は美術作家として、次に大学の学生をも巻き込んだ美術交流をもって、手法を変え、長く長く交流しています。

井川惺亮氏って誰?これまでの経歴

作品

さてここで、井川惺亮氏について、紹介していきましょう。

幼い頃~大学まで

井川惺亮氏は、内モンゴル自治区にて生まれました。終戦後に帰国し、幼い頃は、愛媛県越智郡で過ごします。作品に現れる豊かな明るい色彩の原点はここにあるのだろうと言われます。

幼い頃から美術に興味があった彼は、東京芸術大学に見事入学。誰でも名前は知っているかと思いますが、東京芸術大学は、芸術を目指すものにとって誰もが夢見る、日本で最もレベルが高い芸術大学です。

大学~フランス留学まで

井川氏は、大学卒業後、そのまま東京芸術大学大学院へ進学します。そして大学院を修了した後、今度はフランスに留学します。「美術」と言えば、誰もがまず「フランス」を頭に思い浮かべるのではないでしょうか?

ベレー帽そして外で似顔絵を描く画家のイメージがありますよね。実際、パリに行けば、モンマントルをはじめその他観光都市で、絵を描く画家の姿をよく見かけます。

まさにその美術の本場フランスで、井川氏は更に美術・特に絵画に向き合い、研鑽を重ねていきます。

フランス留学~マルセイユ美術学校でクロード・ヴィアラ氏に師事~

井川惺亮氏は、フランスのマルセイユ美術学校に入学。そこでクロード・ヴィアラ氏に師事します。もしかしたら、美術に詳しい方はクロード・ヴィアラ氏についてご存知かもしれません。

ヴィアラ氏とは、当時、1960年代末のフランスで起こった「シュポール/シュルファス(支持体/表面)」という芸術運動の代表的存在で、世界的にも有名な作家の1人です。

絵画の本質と向き合う

そのクロード・ヴィアラ氏の下で、井川惺亮氏はこれまで以上に「絵画とは何か」「絵画の本質とは」といった課題に常に向き合い、新しい絵画の形を探すようになります。

既成の考え方から離れ、絵画の本質と真摯に向かい合った井川氏は、その形態を解体し再構築するという試みを行うようになります。

「シュポール/シュルファス(支持体/表面)」から得たもの

今日では、様々な美術館やギャラリーなどで多くの美術表現が紹介され、 以前に比べれば、美術表現は多様であると一般レベルにまで浸透して来ています。

しかし、「絵画」というものをふと考える時イメージするものの多くは、今もなお、例えば「キャンバスに描かれた油絵」「画用紙に水彩絵の具で描かれたもの」といったものだと思います。

もともと、私たちが受けてきた美術教育というのは「こうでなければならない」「これこそが美術だ」という決まりがあまりにも多過ぎると言えます。

例えば、私たちは、絵画を考える上で、当然のようにキャンバスを絵を描く基とするもの・支持体として考えます。キャンバスの布の表面に描かれて初めて「絵である」と認識し、その部分だけを見ていると言えます。

しかし別の物質的な面で考えてみると、キャンバスというのは「木枠の上に張られた布」であり、その布の上には「油絵を塗る為に必要な膠や顔料などが塗られている」訳です。

そのような物質的なところは無視されており、あくまでもキャンバスの上に描かれた部分だけを見て、「その部分のみこそが絵である」。私たちはそう認識している訳です。

しかもその中にも、例えば「背景を塗ってから、物(人)を描く」など、絵を描く上での技術的な決まりごとが多くあります。

また、色々な要素、色や形、「マチエール」と呼ばれる画面上の絵肌その他多くの要素、が絵の中にあります。

  • 「絵画を成立させるためには、長いプロセスを踏み、決まりごとを守らなければならない」
  • 「絵画を成立させるためには、要素が多くなければならない」

そのような暗黙の了解があった訳です。しかしそれらを一旦無視して、もっと絵画をシンプルに考えてみてはどうか。既存の絵画の概念を壊し、絵画を再構築する。

井川惺亮氏は、当時起こっていた芸術運動の「シュポール/シュルファス(支持体/表面)」により強く影響を受けます。

これまで自分が当然として考えてきていた「絵画」というものをもっと掘り下げ、一つ一つを紐解き、解体していくようになりました。

絵画の解体:「絵画とは何か」「絵画の本質とは」

井川氏は、「自らの『絵画』とは何か」「『絵画』を分解して突き詰めて残るもの、それが『絵画の本質』ではないか」

そのように考えるようになっていきます。

また、「絵画を成立させる条件をいかにシンプル、絵画の要素を少なくしていくか」を自らの課題とし、絵画へ向き合っていきました。

井川氏の作品は、「赤、青、黄の三原色」そして「そこから派生した色彩をシステマティックに着彩する」というのが彼独特のスタイルで特徴がありますが、そのスタイルそして手法は、この頃に確立されたものです。

井川惺亮の作品

また、絵画を解体して考えていく中で、キャンバスの木枠を作る際に余った木あるいは木のかけらなど、いわば「絵画の既成概念から捨てられてきた物」にも目を向けるようになります。

これらも、絵画を成立させるものの一部であるとして、その木枠に着彩するといった試みも行い始めます。

フランスから帰国後~長崎大学の大学教授となるまで

帰国後、しばらくし、彼は新たな拠点へ移ることになります。長崎大学教育学部美術科で絵画の教授の募集があることを知った井川氏。1984年に長崎大学教育学部の教員となります。

長崎には海や港があり、色彩に溢れている。どこかフランスのマルセイユにつながるものを感じた井川惺亮氏は「長崎こそ日本のマルセイユだ」と考え、拠点を長崎に移すこととなったのです。

長崎の風土で見つける美術の姿

長崎

先ほどお伝えしましたが、井川氏は本来、長崎の人ではありません。愛媛で育ちました。

しかし、長崎大学教授となり長崎の風土に身を置く中で、井川惺亮氏は「ただ美術を教える」のではなく「長崎で美術を行う・美術を教える」ことをいつしか意識するようになります。

それは、フランスで絵画の本質と真摯に向き合った姿勢と同じでした。長崎で暮らしながら、長崎でこそ見つかる「美術の姿」に彼は重点を置くようになっていきます。

長崎は数年前、世界三大夜景に指定されたり、観光都市で有名なだけでなく、何より、原爆落下で有名な都市でもあります。

井川氏は、「平和」「地域」「国際交流」をキーワードとしながら、美術活動及び学生への指導を行うようになっていきました。

長崎大学で韓国と美術交流を始める

さてここで、ようやく井川惺亮氏と韓国とのつきあいが始まります。「長崎でこその美術」を見つめる一方、活動や発表は長崎に限らずどこでも頻繁に行っていた井川惺亮氏。

東京の画廊をはじめ、様々な地で発表し作品展開しています。当時、東京には今は無き、真木・田村という画廊がありました。

大学教授となる前からそこで発表していた井川氏ですが、その画廊の故山岸信朗氏により、韓国人美術作家と知り合い交流を始めるようになります。

韓国の交流相手校は3校に

そのうち大学生をも巻き込み、大学間交流もしくは研究室を通した交流が始まります。80年代、韓国の最初の交流相手校となる、国立慶北大学校との美術交流が始まりました。

互いの国での国際交流展が行われるようになり、学生たちは初めての韓国あるいは日本を肌で感じ、交流が深まっていきます。90年代には次の交流相手校となる、国立昌原大学校との交流が開始。

この2つの大学は、大学間交流協定が結ばれ、留学生が互いの大学で勉強するようになります。90年代末から2000年頃、最後の交流相手校となる私立清州大学校と美術交流が始まります。

かくして、結果的に長崎大学美術科井川研究室は、韓国の3つもの大学校と交流をすることになったのでした。

韓国との国際交流が残したもの

留学生が盛んに行き来したことで、韓国との交流は更にさかんになります。長崎大学教育学部美術科では韓国人留学生の姿がいつでも見られるようになりました。

また、最初は1年に1回、そのうち交流相手校が増した関係で、1年に数回韓国との国際交流展が開かれるようになります。韓国人留学生との交流、そして交流展での韓国人との触れ合い。

形に見えないながらも、韓国との交流により生まれたものはいくつも出来ていきました。中には、形に見えるものとして、井川研究室を卒業した大学生たちの国際結婚があります。

しかも、面白いことに、慶北大学校・昌原大学校・清州大学学という3つの交流相手校それぞれの卒業生と長崎大学井川研究室卒業生との間で、1組ずつ国際結婚に至ったのでした。

井川惺亮氏、大学退官後は長崎大学名誉教授へ

井川惺亮氏は2010年3月に退官しましたが、退官する時までずっと日韓国際交流は継続して行われました。退官する頃にはそれまでの井川研究室の中でも最も留学生が多くなっていました。

また、退官展には、交流相手校の教授や元留学生など、多くの韓国人がも参加しました。

さて、退官後、井川氏は 長崎大学名誉教授となり、今も現代美術作家として、精力的に美術活動を行っています。

井川研究室の卒業生たちと共に長崎で活動する現代アートグループ 「RINGART(リングアート)」のメンバーとして大学での活動を引き継ぐ形で韓国との交流も行い続けています。

現代美術展のパンフレット

韓国で開催中の企画展「DNA공존의 법칙(共存の法則)」

そんな井川惺亮氏の作品ですが、現在、韓国で開催中の企画展「DNA 공존의 법칙(共存の法則)」の中で見ることが出来ます。通常、美術館では企画展示室という決められた部屋の中で作品が展示されます。

井川惺亮氏の作品

しかし、この井川惺亮氏の作品は、その美術館の回廊や窓、ロビーといった、通常は展示はされない空間に展示されています。(他の作家の作品は企画展示室の中で展示されています)

企画展「DNA공존의 법칙(共存の法則)」における井川惺亮作品の見どころ

これまでずっと井川氏が追い続けてきたもの「絵画の本質」を問う試みが、ここでも行われています。

冒頭でお伝えした通り、この中の展示は極めて「ひっそりと佇んで」おり、通常イメージするような「企画展示室という決められた部屋」での作品とは一味違います。

場合によっては「え?ここに?こんなところに作品があるの?」と疑問に思うかもしれません。それだけ、通常では考えられない、美術館がこれまで焦点を当ててこなかった空間に作品を展示しています。

しかしそれこそが、また井川氏の挑戦でもあります。「既成の概念・美術」「決められた美術」を嫌い、これまで絵画の本質と向き合い続けてきた井川惺亮氏。

「美術館が提唱すべき、新たな空間」「これまで美術館が気づかなかった、捨ててきた空間」。それを敢えて前面に持ってきてみようとする、現代美術作家 井川惺亮氏からのメッセージなのです。

企画展「DNA공존의 법칙(共存の法則)」における井川惺亮作品の見どころその2

井川惺亮氏の作品

また、井川氏は子どもの目線で作品を見たり紹介したりします。

ロビーにある長い糸の作品では、その糸にトイレットペーパーの芯に色を塗ったものをかけているのですが、それを糸電話と見立てて、遊んでみたりもします。どこかに必ず遊び心を設けることを忘れません。

井川惺亮氏の表現「設営美術」

井川惺亮氏の作品

この長い糸作品はロビーから回廊、窓、全てに繋がっています。1階ロビーから回廊を上がり続け、2階の窓のあるスペースまでつながります。

井川惺亮氏の作品

最後は手すりの部分に結び付けられています。

「パラシュートがここで降り立つような」そんなイメージであると井川氏は語ります。そんな作品展示手法は「インスタレーション」と現代美術用語では言われます。

これは、表現手法の1つであり、ある特定の室内や屋外にオブジェや作品を置き、その場所や空間全体を作品として捉え、また、体験出来る芸術のことです。

韓国ではこれを「設置美術」と呼んでいます。しかし井川氏は、自身の表現において、「設置」ではなく「設営」という言葉を使います。「設置」「設営」その違いは、「固定されているかどうか」。

固定されてしまうと、もうそれは動けない。ここでも、決まりに縛られない、絵画の本質を見ようとする井川氏の試みが行われているのです。

企画展「DNA공존의 법칙(共存の法則)」

企画展「DNA 공존의 법칙(共存の法則)」は、韓国慶南道立美術館にて開催中

企画展

そんな井川惺亮氏の作品が出されている企画展「DNA공존의 법칙(共存の法則)」は、韓国昌原市にある慶南道立美術館にて行われています。2月9日にオープンしたばかりです。

なお、昌原市とは、韓国の右下に位置する慶尚南道にあり、釜山からバスで1時間20分くらいのところにある工業都市です。慶南道立美術館は、昌原大学校や慶尚南道庁の近くにあります。

韓国の方たちは、この井川惺亮作品を一体どう見るのでしょうか?韓国在住の日本人の方も、機会があれば、是非、ご覧下さい。

情に厚くストレートな表現をする韓国の方とは一味違う、日本人ならではの奥ゆかしさ・配慮に溢れた作品です。

慶南道立美術館について紹介

慶尚南道昌原市義昌区にある慶南道立美術館。2004年6月23日にオープンした美術館です。地上4階、地下1階からなる建物で、展示コーナーら学術的研究施設、教育施設などが完備されています。

  • 名称:慶南道立美術館
  • 住所:慶尙南道昌原市義昌区龍池路296(退村洞)
  • アクセス:市内バス
  • 道立美術館下車:100,101,110,122,214,752
  • 慶南道庁下車(徒歩10分ぐらい):101,110,111,116,122,150,214,801,704,707,752
  • 昌原大学の入口下車(徒歩5分ぐらい):100,101,110,122,150,170,58,59,97,98,214,704,752
  • 営業時間:03月〜10月10:00〜19:00、11月〜02月10:00〜18:00
  • 休業日:月曜日、元旦、ソルラル(旧暦1月1日)・秋夕(旧暦8月15日)
  • 料金:大人1,000ウォン
  • 電話番号:+82-55-254-4600
  • 公式サイト:http://www.gam.go.kr(韓国語)

井川氏の最近の活動紹介

最後に、井川惺亮氏の最近の活動についてご紹介いたします。日本でも、展覧会を精力的に行っています。

井川惺亮氏の作品

長崎ブリックホール「春風ながさきよりⅩⅨ2017」2月11日までで終了

井川研究室の卒業生たちを中心にしたグループRINGARTのメンバーとして活動。

長崎から美術を発信するという趣旨のもと行われる「春風ながさきより」、また平和をテーマに「8+9展」が8月9日前後に、これらは毎年行われています。

井川惺亮氏の作品

長崎NTTポケットギャラリー「Peinture:オレンジの母に2017」

長崎出島にある小さな小さなギャラリー、NTTポケットギャラリー。

2月26日まで開催中。

公式サイト:https://www.ntt-west.co.jp

福岡ギャラリー風「井川惺亮個展」

2月後半には、福岡で個展予定だそうです。

会期は2月21日(火)~2月26日(日)まで。

公式サイト:http://www.artwind.jp/

まとめ

韓国と深いつながりのある現代美術作家井川惺亮氏の紹介でした。井川氏の作品。同じ作品でも、場所が違えば見え方は変わるもの。

特に日韓の風土そして国民性の違いがあり、日本での見え方・在り方と、韓国での見え方・在り方とでは大きく違ってくるかもしれません。

しかし、井川惺亮氏は、その中でまた絵画の本質を見つけ、展開していくことでしょう。

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