日本を離れたからこそ響く、私のイタリア生活を支えてくれた言葉

イタリア イタリア生活・移住

日本を離れて何年も経つと、イタリアへ移住した当初の事など忘れていってしまいます。慣れと言うものは、幸も不幸も記憶を消し去りながら、徐々に身に付くものです。

しかし、嫌な思いをした事は、頭の片隅に引っ掛かっており、ふとした瞬間に甦って来ることもあります。

海外生活で誰しも1度や2度、自分が外国人という事で嫌な思いをしたのではないでしょうか。そんな時、いつも感じていたモヤモヤを吹き飛ばしてくれた、有り難い言葉を紹介します。

言葉の壁は自分で作る

言葉

イタリアで働きたい、その一心でイタリアに渡り移住し始めた頃、もう楽しくて仕方ありませんでした。

憧れの国に暮らせている、それだけで充分満足でした。

「働く」は目標でしたが、働く土壌に立つ前に、まずはイタリア語の習得が先決でした。

まともに話せる為に、文法をしっかり叩き込もうと、必死に勉強しました。語学学校にも毎日通いました。

しかし、文法をやればやるほど、頭の中で考える日本語と食い違い、なかなか上手く話せません。

どんどん、そのジレンマが膨れ上がり、遂には喋るのが恐くなってしまったのです。

言葉の壁は、誰もが乗り越えるべき壁ですが、人それぞれその高さは違います。私の壁は自分の凝り固まった頭が作り出した、空想の高い壁でした。

結局その挫折で学校も辞め、文法の勉強も完全に放棄してしまいました。

しかし、この挫折を経験したことが大きな転機となりました。そしてそのおかげで私のイタリア語はメキメキ上達し始めたのです。

抜けきれない日本人概念

イタリア

「何が言いたいの?」イタリア人の友だちによく聞かれました。日本人特有の悪い癖で、完璧な文法を頭で整理して喋ろうとしていたからです。

そのため、相手に根本的なところがあまり伝わっていなかったのです。

「あなたは、いつも何が言いたいのかよく分からない」冗談まじりに言われたこの一言は、正直ショックでした。

自分では多少会話が成立していると思っていた矢先だったので尚更、グサッと来ました。

そんな時、ある語学本に「何が一番言いたい事なのか、それを先に口に出してみよう!」と書かれていました。それを読んで、なんだかすーっと胸が軽くなったのです。

「食べたい」なら、何を、の前に、食べたいと言う。「行きたい」なら、どこへ、何のため、の前に、行きたい意志を口に出す。たったそれだけの事でした。

そうすると、相手が、何を?どこへ?と聞いてくれます。後はそれに答えるだけです。

それからは、文法を気にせず、主張したい事を取りあえず先に言葉に出すようにしてみました。すると、会話はどんどん弾むようになったのです。

もちろん、かなり文法はおかしかったと思います。しかし、相手はそんな事全く気にしていません。むしろ言葉のキャッチボールの方が重要なのです。変な言い回しをしたら、笑いながら直してくれました。

後々笑い話のネタにされたりしますが、そこには緊張のない楽しい会話が成立するのです。

自分は自分

イタリア

当初は言葉を間違って笑われる事に、毎回傷ついていました。しかし、何の為に傷つかなければならないのか? 私は外国人なのだから、言葉を間違えることだって当たり前なのです。

学校を辞め文法を気にしなくなると、不思議ですが逆に文法が自然と身に付いてきました。喋れば喋るほど、自動的に言葉が出てくるようになり会話が楽しくなるからでしょう。

その頃、言葉も上達し、生活が楽しくなり、いつもイタリア人と同じように振る舞う癖がついていました。気付かないうちに、ファッションやジェスチャー、喋り方もイタリア人風を気取っていたのだと思います。

ある日、友人達と街を歩いていた時、ふとショーウインドウに映る何かに違和感を感じました。そこには、背格好の小さい黒髪のアジア人の自分が映っていたのです。

その瞬間、一気に夢から覚めたような気がしました。

自分はどう頑張ってもイタリア人にはなれない、ただの小さな日本人、そう気付かされたのです。

そこに立ち止まっていた私に「きれいな艶のある黒髪ね。日本人の特権よ。」と友人が声を掛けてきました。

そして「あなたはあなた。あなたは他の誰でもない。」と言ってくれたのです。

その言葉で今までのモヤモヤがふっ飛んで行きました。そして、何か、救われた気がしたのです。

イタリア人を真似して近づこうと無理していた事、上手く喋ろうと頑張り過ぎていた事、何のためだったのか。今思えば片意地を張り過ぎていただけでした。

人種差別は考え方次第

イタリア

海外に居ると、日本人はよく中国人と間違われます。ラフな格好をすれば尚更です。一度、地下鉄で酷い罵声を浴びせられた事があり、今でもはっきり覚えています。

目の前に座っていた男性がジロジロ見るので、思い切って、「何か?」と周りに聞こえるように尋ねてみました。するとその男性は、バツが悪そうにそそくさと立ち上がり、去り際「この日本人が!」と捨て台詞で車両を降りて行ったのです。

もちろん、ここには書けない、イタリア語のスラングでした。

その日は一日中、腹が立ってイライラして気分が優れなかったのですが、ある事に気付きました。彼は珍しく日本人とはっきり断定したのです。

暴言を吐かれたにもかかわらず、この人はちゃんと日本人と認識できたのかと、ふと感心してしまったのです。

そう考えると、単純ですがなんだか嫌な気持ちがどこかへ消えてしまいました。

暴言だったとは言え、自分が日本人だと認識される事を心地良く思えるようになっていたのです。

このように、外国人と言うだけでいわれのない標的にされる場合もたまにあります。しかし、考え方次第で、ポジティブに気分を切り替える事もできるのです。

まとめ

私は日本人であり、海外では外国人なのです。いくら頑張っても自分以外の何者にもなれない、そう気付かされてから、本当に海外生活は楽になりました。

堂々と日本人である事に誇りを持って暮らしていると、周りもちゃんとリスペクトしてくれるようになるものです。

結局、海外に居ても、日本に居ても自分は自分なのです。物事は捉え方次第で、苦にも楽にも感じる、その事を学べただけで、充分日本を離れた意味があったと思っています。

語学に関しては、文法をしっかり勉強した方が早く喋れる人もいるでしょう。人それぞれ、上達の仕方は様々です。これは私の経験で、おすすめしているわけではありませんが、文法に拘り過ぎないのも上達の近道かもしれません。

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