台湾在住2年目のアウトローDAISUKEです!日本で新卒で入った会社を8ヶ月で辞め、海外へと飛び出しました。1年半インドで働き、現在は台湾にいます。
インドへ行く前は、日本の某外食企業の店舗でウェイターをしていました。その会社を8ヶ月で退職したわけですが、なぜかというとそこは正直ブラック企業だったのです。
若干暗い体験談になってしまいますが、ぜひ「こんな人もいるんだなぁ」くらいの感じで目を通して頂ければ幸いです。
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新卒で入社した日本のブラック企業を8ヶ月で辞める
ブラック企業に入社するまで
きっかけになったのは、企業の採用担当者が大学に来て採用活動をする「オンキャンパス・リクルーティング」でした。
会社説明を聞いてみると、グローバルにビジネスを展開していて、「グローバル採用」で入社し約1年間現場を経験すると海外へ派遣され、駐在員として活躍できるということでした。
ちなみに、現在その会社は海外の有名外食ブランドを日本で展開し、成長中です。
会社説明の後、部長2名と面接しました。話が進むうちに意気投合し、面接終了時に「ウチに来ることを考えてくれ」と声を掛けてもらったのです。
内定をもらい東京本社に招待される
最終面接は、人事部長と専務との面接でした。志望動機や自分の強み・弱みといった典型的な質問に答えた後、「ぜひ弊社へ来てほしい」と言われました。その時、私はすでに何社からか内定をいただいていたので「考えさせてほしい」とお伝えしました。
数日後に電話があり、内定者の中から私だけ東京で社長に会って話をしてほしいとのこと。私は若干の緊張を抱えたまま東京へと向かいました。
東京にある本社に着くと、新卒の私にここまでするかと思うくらいの手厚いもてなしを受けます。
社長と面会、直接お誘いを受ける
まず、野球好きだという話を面接の時にしていたので、東京ドームのバックネット裏の年間予約席で、オープン戦の日本ハム対巨人の試合を観戦させてもらいました。
会社に戻り、会社の歴史や理念についてのプレゼンを受けた後、社長とお話する機会をいただきます。
外食企業の社長とあって厳格で怖いイメージを抱いていましたが、実際に会ってみると物腰が柔らかく、優しい笑みを浮かべた社長でした(笑顔の仮面は恐ろしいですね……)。
軽く世間話をし、「ウチに来てみてはどうかな」と誘われました。その時は「前向きに考えさせてください」とお伝えしました。
夜は六本木の有名焼肉店で営業本部長、人事部の方と食事。宿泊したホテルも、私が育った田舎では見たこともないホテルでした。
グローバル志向の社員と話し入社を決意
次の日、「グローバル採用」で入社すると1〜2年後に配属される国際企画部の方とお話をする場を設けていただきました。お会いした2名の方もグローバル志向で、国際企画部の具体的な業務内容を伺いました。
素直に面白そうだと思い、この会社で働こうと決意。その後、電話にて入社の意向を伝えました。
待っていたのは壮絶な日々
入社後、横浜店に配属されました。「これから頑張っていくぞ」という強い気持ちで出勤。しかし、私は外食業界を甘く見ていました。
出勤初日から店長の厳しい指導が入り、お店が騒がしく指示が聞き取れなかったのでもう一度聞きに行くと「お前耳ついてんの?」と言われる始末。また、他のホールメンバーからの冷たい視線もあり、私の初出勤は散々な一日でした。
帰宅途中、同じ支店に配属された同期がボソッと「辞めたい」と呟いていたのを今でも覚えています。
昼休みにまかないを頼む時にも、お願いするたびに舌打ちされていました。それが嫌になり、近くのコンビニで適当に買って済ませるように。また、次の日の朝に会議があると店舗に寝泊まりしていました。
ついに異動願、店長は厳重注意
休日も心が休まらず、出勤前日になると胃がムカムカしてきました。しまいには駅から店舗に向かう途中に動悸がしたことがあり、これには危険を感じて異動を事業部長に申し入れます。
幸いにも私の申し入れが承認され、新たな店舗での勤務前に部長から食事に誘われて、あったことを洗いざらい話しました。私の話がコンプライアンスとして受け入れられ、その店舗の店長は厳重注意を受けました。
正直ほっとしました。なぜなら、次に配属される方に私のような思いをしてほしくないからです。
新しい職場で楽しく働く
さて、私は新たな店舗での勤務となったわけですが、外国人スタッフが多く、インタ−ナショナルな環境で楽しく仕事ができた上、今でも連絡を取り合うような仲間ができました。外国人のお客さんも多く、来店するたびにハグをする仲になりました。
店長は厳しかったですが、耐えられる程度の厳しさで、仕事が終わると別人のように優しい方です。
それから何ヶ月か経って事業副部長がお見えになり、面談することになりました。
国際企画部には行けない?
私が「国際企画部で働く日が楽しみです」と伝えると副部長は少し黙り、私に次のように言いました。「お前は店長を目指せ。そもそも新卒で国際企画部に異動になった人間はいない。だから、あきらめろ」
その瞬間、私の中で何かが音を立てて壊れました。
「ちょっと待ってください。私が入社したのはそもそもグローバル採用で、国際企画部で働く話だったからですよ?それを突然、店長を目指せとは納得ができません」
私がそう言った途端、急に彼の顔色が変わり、切り捨てるように言いました。「だったら辞めるしかないよね、会社の意向に従えないんだから。残念だけど。で、どうすんの?」私は下を向き、「考えさせていただきたい」と伝えて面談が終わりました。
自分の時間を大切にするため退職へ
私は失望しました。
「石の上にも3年」という言葉の意味は重々承知しています。しかし、この会社に3年もいたら自分の人生の貴重な時間が失われてしまうと思い、親の大反対を押し切って、次の日に「年末で辞めます」と退職届けを提出しました。
今思い返すと、3年その会社にいたとしたら、現在の私はなかったと思います。
個人的な話で申し訳ありません。もう暗い話はしないので、もう少しお付き合いください。
海外就職しようと思った理由
もともと海外志向が強かった
私は中学生の頃からなかなかの変人で、中学2年生の時に「俺は大人になったら必ず海外で仕事をするんだ」と担任の先生や友人に豪語していました。
高校生の時は勉強もロクにしない高校球児だったのですが、同じように「必ず海外で働く日本人になる」と言い続けていました。おかげで友人からは「お前、なんか雰囲気アメリカンだよな」とからかわれていたぐらいです。
なぜ海外志向なのかと自分で考えてみると、幼少期に母に嫌々通わされた英会話スクールの影響が大きいのではないかと今は思います。母は私の人生の土台を作ってくれました。感謝です。
大学時代のグローバルな経験
実は、私は人生で入学試験を受けたことがありません。高校は野球推薦で公立高校へ、大学はどこに行こうかと考えていたのですが、英語の先生からある大学の指定校推薦を進められました。
その大学は、日本でもトップクラスに外国人留学生が多い大学です。オープンキャンパスでは驚くことばかりでした。
「ここ、パスポートが必要なんじゃないか?」と思うくらいたくさんいる留学生、あちらこちらから聞こえてくる英語やスペイン語等の外国語、日本人と外国人が入り混じったサークルの出し物……。
その光景を目にした瞬間、胸のワクワクが止まらなくなりました。学部のカリキュラムの説明も受け、入学したいという気持ちが固まったのです。
海外留学を含む刺激的な4年間
その後、その大学の指定校推薦に合格し、4年間グローバルな環境で大学生活を送ります。
中でも、オーストラリアでの語学留学プログラムと台湾の大学への交換留学経験が、海外で働きたいと思うようになった大きな要因だと思います。
英語を使って働きながら営業を勉強したかった
冒頭で述べたように、私は飲食店のホールスタッフでした。そのため、営業を学ぶと同時に英語を使って仕事をしたいと考えていました。
好きな道を歩んでみたい
正直、退職した時点ですでに世間で言う「ベストな道」から外れてしまったので、開き直って自分の好きな様に人生突っ走ってみようと思ったのも理由です。
海外就職を目指し、転職エージェントを使って仕事を探す
転職エージェントを使った就職活動は下記のような流れでした。
- 転職エージェントRGF(リクルート・グローバル・ファミリー)に登録
- エージェントとの面談
- 何社か紹介を受ける
- 受けたい会社をエージェントに伝える
- 書類選考を通過
- Skype面接
- 内定
面接は全て英語で行われました。参考までに、私がSkype面接で聞かれた質問を紹介します。
- 自己紹介(1分間ほど)
- 今回の転職活動の理由
- なぜインドでの就業を希望するのか
- これまで経験した会社の退職理由
- なぜ●●●社を希望するのか
- 強み、弱み
- 家族は反対していないか
- つらい時はどう乗り越えているか
- 希望給与はいくらか
- 現在どこに応募していて、優先順位はどうか
- いつから働けるか
海外就職とあって、英語でのスピーキング力を見られます。そのため、日本語と英語でしっかりと準備してください。
また、内定後のことを考え、働く国の就労ビザに関して一通り調べておくことをおすすめします。
就活期間は約2ヶ月
インドでの就職が決まるまでは2ヶ月間程でした。有給休暇を全て消化して就活していたので、苦労よりも焦りの方が大きかったですね。
仕事が23時に終わって、そのままネットカフェで始発まで職歴書を作成したこともあります。正直なかなかしんどかったですが、自分のために頑張ってくれるのは自分しかいません。
インドにある旅行会社支店に就職
決まった就職先は、某大手旅行会社の南インド支店です。その支店では私が唯一の日本人で、インド人に囲まれながら法人営業をしていました。
具体的には、
- 現地企業、外資系企業及び日系企業への営業
- ツアーの作成
- 航空券、ツアー、ホテルの手配
- 航空券、ツアー、ホテルの見積り作成
- 月に1度のメルマガ作成
などです。
インドで働くことを選んだ理由
就活をしていた2ヶ月間に、日本の専門商社と機械メーカー、そして南インド勤務の旅行会社から内定を頂けました。正直かなり迷いましたが、ふと思ったのです。
「今の自分の実力でも内定を頂けたのだから、インドという厳しい環境で自分を磨けばさらにレベルアップできるのではないか」と。
それに一度きりの人生、思い切って世界に出てみようと腹をくくりました。
インドで働いてよかったこと
たくさんのご縁ができる
インドには日本人会が存在し、その会を通じて多くの方と関わり合うことができました。最初は孤独を感じていたのですが、最年少ということもあり、たくさんの駐在員の方から可愛がってもらえました。
私が心がけていたのは、フットワークを軽くすることです。県人会や飲み会に誘われると、できる限り参加するようにしていました。なぜなら、そこで学ぶことがたくさんあるからです。
例えば、財閥系商社マンはインドでどんな仕事をしているのか。インターネットでは得ることができないそんな情報を直接学ぶことができます。自分の次のキャリアを考える際には、そのような情報が重要なファクターとなります。
人との出会いを大切に
私が、インドの次は台湾に行くと告げた際には、台湾の拠点を紹介してくれた方や、面接を取り持ってくれた方までいらっしゃいました。
「一期一会」という言葉があるように、人との出会いは必ず大事にしなければならないと心に決めました。インドで得たご縁は今でも生きています。
当たり前のことに感謝できるようになる
インドで暮らしてみて、日本がどれだけ生活水準が高い国なのかを痛感しました。歩道や道路に牛は寝ていないし、電車は1時間遅刻が当たり前ではないし、水道水はそのまま飲めます。食事に困ることもありません。
それを私は今まで「当たり前」と思っていました。
インドでの生活は、私のその「当たり前」を壊してくれました。そして、小さなことにも感謝することができるようになりました。
まとめ~自分の生き方は自分で決めるもの
もしインドに行く決断をしていなければ、私の人生はまったく違ったものになっていたはずです。台湾で働くこともなかったかもしれません。
正直、両親からも友人からも同僚からも反対されました。しかし、自分にとって大事なことは自分の心がよく分かっているのではないでしょうか。
言うまでもなく、あなたの人生はあなたのものです。人生という映画の主人公はあなた自身です。この記事を読み、海外で働くことを決意された方がもしいるのであれば、心より応援したいと思います。
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