※デンに抱かれてご機嫌の末娘!テンション高めです。
経済成長に沸く東南アジアの小国ラオスでは日本以上の2極分化が進んでいます。
ラオス経済は南高北低で、タイ、カンボジア、ベトナムと国境を接する南部には、政府が設置した「経済特区」に日系企業を始めとする外資が流入し、中国、ベトナムと国境を接する北部には両国から流入する物資の中継地点が点在します。
山深い北部ラオスはインフラの整備も遅れがちで、未だに多くの山岳少数民族達は昔ながらの生活様式を守りながら暮らしています。
今回2017年8月頃から私のラオス人の知人の家で「乳母」(授乳は行わないものの、彼女が育てている状態なので)として働き始めた14歳の女の子の話を紹介します。
実家を離れて2年半!少女「デン(仮名)」が11歳で実家を離れた訳
※サムヌア近郊のカムゥ族の集落です。
※こちらはモン族の住宅(高床式でないのが特徴です)
※サムヌアは現政権を樹立したパテート・ラオの発祥の地です。
※サムヌアの町の入口フア・パン県の表示があります。ここまで長い未舗装路が続きました。
※パテート・ラオの英雄カイ・ソーン(ラオス初代大統領)が立て篭もった洞窟要塞の内部です。
ゲストハウスと宿併設の売店で生計を立てている友人のラオス人夫婦の下で、生後1年半の娘の乳母として彼女が働き始めたのは2017年の8月頃でした。
「随分若い娘さんを雇ったなぁ」と思いながら、友人夫婦といつもどおり世間話に花を咲かせながら時間を過ごしました。
一般的に若いスタッフは長続きしないうえに、この少女は話しかけてもまともに返事もできない位シャイなので、正直な処「何日もつかな?」と思いましたが、もう半年以上も働き続けています。
彼女の容姿から山岳少数民族であることを察することができたのですが、ある時何気なく「名前は?何歳?どこから来たの?」と質問をしてみて驚きました。
彼女の名前は「デン(仮名)」、14歳で北部ラオスのベトナム国境近くにあるサム・ヌアというエリアから来たと教えられました。
当然14歳はラオスでも就学年齢なので、思わず「学校は?」と尋ねると「此処で働きながら通わせてもらう」とのことでした。
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ラオスの住み込み従業員の実態
ラオスを含む東南アジアでは、貧しい家庭の子供は幼い頃から働きに出されます。物心が付くと水汲みや焚き木拾い、子守、行商などの手伝いを始め、畑仕事のような肉体労働も家の手伝いとしてはじめます。
経済的に恵まれていないエリアでは、現金収入を得る方法が絶望的に少ないために、家族総出で働くことがラオスを含む東南アジアでは普通のことで、子供が働くことも特別珍しいことではありません。
子供たちが働くことは特別なことではない
私が旅行者としてラオスや東南アジアを行き来していた2000年初頭には、どこの宿やレストランでも親戚や遠縁の子供たちが働いていました。最初は驚かされたのですが、今は「このエリアでは子供が働くことが特別なことではない」ということを理解しました。
それでも、仕事がない時間に一緒に遊んでいるいとこ同士の間でも、食事の時間になるとハッキリとした主従関係が発生するのにはさすがに違和感を覚えました。
経営者ファミリーが食事を取っている間働きに出されている子供たちはその給仕を行い、経営者ファミリーの食事が終ってから食べ残しを分け合って食べるのが、当時私が東南アジアで見てきた住み込みで働く人達の待遇でした。
「東南アジア人は外国人には愛想が良いけど、現地人同士は人間関係がドライだなぁ!」と言うのが当時の感想です。
聞かずにはいられなかった「何でこの町に来たの?」
現在のラオスではこのような従来型の厳格な主従関係から、もう少しアットホームな主従関係にシフトしつつあります。
そんなラオス人の中でも私の友人夫婦は特に「食事は主従関係関係なく一緒に食べる」と言うスタイルなので、デンも食事の際には一緒に食卓に並んで食事を摂ります。しかし、最初は遠慮してか見ているほうが驚く程しか食事に手を付けませんでした。
友人夫婦が「ちゃんと食べないと後で腹減るよ」と声を掛けると、また少しだけ食べます。見かねた私が「慣れればちゃんと食べられるようになるよ」と友人に言うと「同じラオス人なのに慣れるって!?」と夫婦で不思議そうな顔をしていました。
そんなシャイなデンですが、今ではしっかり食事を食べてバリバリ働いています。数週間が経過しデンも職場の雰囲気に慣れてきたようで、私とも少し会話をするようになりました。
ここでどうしても聞きたい馬鹿みたいな質問「何でこの町に来たの?」をぶつけると「ウチは兄弟が多くて、私の村には仕事がなくて食べていけないから」と笑っています。
「いつからこの町にいるの?」と尋ねると「2年半」と言われ、11歳の時に働きに出されたことが判りました。
私も昨年サム・ヌアにはツーリングで足を延ばしたのですが、確かに雰囲気が「貧しい」と感じざるを得ない集落を沢山見ながら走った記憶があります。
ラオスの就学の実態は?学費を稼いで小学校に通う子供も珍しくはない!
※3日に渡ったワークショップの最終日は生徒達の描いた絵の品評会です。
※子供たちが何を見ながら生活しているのかが良く判る絵ですね。
※ラオスには巨木が沢山残っているので、子供達にとっては身近な存在のようです。
※お題の設定はしなかったのですが、自然をテーマにした作品が目立ちました。
※品評会の上位入選者にはスケッチブックと絵の具が送られました。
※クラスをまとめてくれたお姉さんも入選しました。おめでとう!
ラオスの学校制度とは
日本では6・3制の義務教育があり、3・4制の高等教育も半ば義務教育のような状態になっていると言えますが、ラオスにももちろん義務教育は存在します。
ラオスは5・4・3・4制の就学システムを採用していて、初等教育(1学年~5学年)、前期中等教育(6学年~9学年)、後期中等教育(10学年から12学年)、高等教育(1学年から4学年)に分けられます。
このなかで義務教育となっているのが1学年~9学年までの、初等教育と前期中等教育で、就学年齢は一応6歳~14歳となっています。
一応と書いたのは、かつては住民登録制度が確立していなかったために、就学年齢を図る目安として頭越しに腕を回して反対側の耳たぶが指で触れるようになれば6歳相当として就学が可能となっていた歴史があるからです。
この方法では発育速度で個人差が出るために、さすがに現在は年齢で就学させているようです。
標準体型が現代日本人よりも2周りほど小柄なラオス人ですが、経済的に恵まれていない山岳少数民族は特にその傾向が強く一見「幼稚園児?」と思うような子供が学校に向かって歩く姿を目撃します。
ラオスの小学校で行ったワークショップでの出来事
数年前にラオス人の友人達が私の住む町の小学校で「お絵かき」のワークショップを行うということで参加したことがあります。
ラオスの教育カリキュラムの中に図画工作がないために、画用紙や絵の具を使って絵を描いたことがない子供に絵を描く体験をさせようというワークショップでした。対象は初等教育の4学年の児童です。
現場の小学校に到着し、教室に入ると児童の年齢層が広いことに驚かされました。明らかに大きな推定13~14歳のお姉さんから、7歳児位にしか見えない子供まで幅広い児童が待っています。どうやらクラスメイトのようなのですが、大きなお姉さんは確実に異質です。
年齢を尋ねるとやはり「13歳」とのことで、3学年でお金がなくなって町のレストランで働いてお金が貯まったから復学したとのことでした。
ラオス政府の発表では「義務教育は授業料無料」なのですが、施設修繕費などの負担が発生することもあるようで完全無料とはいかないようですし、学校で授業を受けている間子供が働くことができなくなるので、家庭の経済状態などから勉強に集中することが難しいのではないかと考えられます。
クラスメイトとはいえ13歳の彼女を中心とした大家族のような雰囲気でワークショップを進めたのですが、途中で子供同士のケンカが始まるとお姉さんが仲裁し両者の言い分を聴いた後で「こりゃ、あんたが悪い!謝りなさい!」とジャッジするのを我々は微笑ましく眺めていました。
ポテンシャルが高い?猛烈な伸びを見せるデンの可能性
※デンが商品を並べるそばから引っ張り出すと言う遊びが末っ子のマイブーム!獲物を狙っています。
ラオスには一般的に48の民族が存在すると言われていますが、実際にはその数は100以上だとも言われています。
山岳少数民族は小さな村社会で完結する社会で生きているために、独自の言語形態を持ち続け標準語である「ラオス語」は初等教育で学習します。実際に少数民族の話す標準語には独特の「訛り」があるので、話をするとすぐに判ってしまうものです。
11歳で実家を出たデンは少数民族の割には比較的綺麗なラオス語を話します。早い時期に実家を離れて実社会に出たことから、少数民族語を話す機会がなくなり自ずと標準語を話す必要に迫られたからだと考えられます。
友人夫婦の下に来たばかりの頃は「1,000キップ」「5,000キップ」「10,000キップ」という簡単な英単語が理解できず、売店の店番をすることもできませんでした。しかし、あっという間に簡単な英単語を覚え現在では絶対不可欠なスタッフにまで成長しました。
観光地で働くのは語学習得には最適な環境のようで、外国人観光客と接する時間が長いことから、簡単な会話まで行えるようになっています。
約3ヶ月の長い夏休みが終わり9月の新学期が始まってからは、子供の面倒をみながら売店の店番もこなし、尚且つ毎日復習を欠かさないのには驚かされます。「勉強面白い?」と尋ねると「知らないことを知ることができるから面白い!」と嬉しそうに答えます。
友人夫婦には3人の子供がいて、1番下の子供は現在2歳でヤンチャ盛りの女の子なのですが、末っ子に私が簡単な日本語を教えていると、「乳母」であるデンが先に覚えて末っ子に教えます。
ちゃんとした教育を受けるチャンスがあれば将来が楽しみなのですが、ラオス人同士の関係に口を挟むことはできないので、こればかりは傍観するしかないのが残念です。
14歳で実家を離れて働くデンは幸せなのか?
これはラオスを含む東南アジアの暗部の話になるのですが、残念ながら21世紀になった現在でもこのエリアでは人身売買が存在します。人権団体の監視などで随分と改善されているようですが、根絶するには至っていないのが実情だと言えるでしょう。
売られた子供の行き着く先はやはり風俗産業のようです。近年では「簡単に、楽にお金を得ることができる」ことから自発的に風俗産業に流れ込む若者も少なくないようです。
現実問題として北部ラオスの貧困エリアからは多くの女性が、ラオス国内や近隣諸国の風俗産業に流入しているようです。
デンの場合は口減らしで働きに出されたものの、幸運にも友人夫婦と巡りあうことができ、今では家族の1員のような待遇で暮らすことができているので「特別にラッキー」な例だと言えるでしょう。
しかしいくら家族同然とはいっても、通わせてもらえるのは義務教育である前期中等教育までで、その後の後期中等教育である高校や、高等教育の大学への進学は事実上あり得ないと考えられます。
デンは友人夫婦の下で前期中等教育を終えれば勉強する機会を失ってしまうのでしょうが、友人夫婦には既に3人の子供がいるので、これ以上の負担増を強いることもできません。
ポテンシャルが高いだけに勿体無い話ではあるのですが、私にはこのような人材が教育を受けることもなく埋没していることをこうして記事に書くことしかできないのが事実です。
デン本人に「この町の生活は楽しい?」と尋ねると「たくさん外国人と会えるし、物も多いし、学校にも行けるから楽しい」と無邪気に答えます。「サムヌアには帰らないの?」の問いには「遠過ぎるから」と言っていました。
彼女の兄姉達はすでに都市部に働きに出ていてサムヌアにはいないそうです。正月など、たまに家族全部が集まったりすることはあるのかと尋ねると「多分ない」との答えが返ってきました。
通常ラオス人が「遠くの地元に帰る」という時は仕事を辞めてしまうことが多く、大抵数ヶ月間職場に戻ることがありません。せっかく帰るのだからゆっくりしたいのでしょうし、まとまったお金を残っている家族に持って帰るということなのでしょうか。
彼女の義務教育課程の修了までは後2~3年の時間が必要となるでしょう。義務教育課程を修了したデンがどのように成長するのかが楽しみです。
まとめ
今回はデンを取り上げましたが、ラオス国内には就学機会を失っている子供たちが沢山存在します。そんなラオスの子供たちに何かしらの機会を与えることができれば良いのでしょうが、いかんせん我々夫婦だけでは力が及ばないのが事実です。
もしこれからラオスに足を運ぶことを計画している方が本稿に目を通して何かを感じてもらえたのであれば「計算ドリル」をいくつか購入してラオスで配ってあげてください。
その計算ドリルを通してラオス人が苦手とする計算力が付く事で10年、20年先に何かが変わるかもしれません。
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