ラオスへ移住するならまずその歴史を知ろう!日本とラオスには深い繋がりがあった

ラオスの子供たち 東南アジア

私は今、ラオスという国で暮らしています。渡航することが決まった時、私はラオスが国ということすら知りませんでした。

当時、私の周りの友人に聞いても、ラオスという国を知らない人がとても多かったです。日本ではあまり知名度の高くないラオスは発展途上国であり、日本はラオスにとって最大の支援国です。

日本人はラオスのことをあまり知りませんが、ラオスの人は日本のことをよく知っています。街中では日本の国旗の付いた日本から送られたバスが走り、建物にも日本の国旗が付いているものもあります。そして日本は、ラオスの独立に協力した歴史を持っています。

そんな謎深いラオスの歴史を、今回は簡単にご紹介します。

ラオスとは?

ラオス・ルアンパバーンのクアンシーの滝

※街全体が世界遺産に登録されているルアンパバーンのクアンシーの滝

山々に囲まれた自然豊かなラオス

※山々に囲まれた自然豊かなラオス

ラオスの正式名称、国土面積、人口

ラオスの正式名称は「ラオス人民民主共和国」です。ラオスは、通称なんですね。日本での漢字表記は「羅宇」になります。公用語はラオス語(ラーオ語)で、英語は観光客の多い地域を除き、ほとんど通じません

首都はビエンチャンです。人口は約690万人(2016年)で、日本の約6%。国面積は236,800K㎡(2015年)で、日本の約62%です。

ラオスへ来たことがある方はご存知かと思いますが、首都ビエンチャンから外に出ると、非常に自然が多く残されていることに気が付きます。ラオスは山々に囲まれた、とてものどかな国です。

そしてラオスはタイ、ベトナム、カンボジアに囲まれたASEAN加盟国の中で唯一の内陸国です。

ラオスは多民族国家

モン族の子ども

※民族衣装を身につけたモン族の子ども

ラオスは60以上の民族が暮らす、多民族国家です。その割合は、ラオ族が60%以上を占めています。その他には、中華系、インドネシア系など様々。

少数民族としては、モン族やアカ族などが暮らしています。ラオスを知らない方でも聞いたことはあるのではないでしょうか?

ラオスの通貨

ラオスの通貨

キープ、またはキップといいます。文字表記は、KipまたはLAKと表記されます。日本円に換算すると、10,000kipは約140円(2018年2月現在)です。コインは無く、お札しかありません。

ラオスは「永世中立国」

ラオスは永世中立国です。永世中立国とは、もし将来他国が戦争になっても、その戦争の圏外に立つということです。中立の立場であることを宣言し、他国もそれを認めている、ということです。争いごとを嫌う、ラオス人らしいですね。

ラオスの始まりは「ラーンサーン王国」

像

ラオスの歴史は、ラーンサーン王国から始まります。1353年に、ラーオ族による統一王朝がファー・グム王により建国されました。

ラーンサーンとは、「100万の象」という意味だそう。象は昔は、戦争の際に戦車のように使われたのだとか。100万の象という名前から、いかに強大な国であったかが分かりますね。

その後、国は3つに分裂し、タイやカンボジアの両国の争いに巻き込まれ戦乱が続きます。

今も色濃く残る「フランス植民地」時代

フランスパンのサンドイッチ「カオチーパテー」

※ラオス名物のフランスパンのサンドイッチ「カオチーパテー」

19世紀半ばには、ラオスはタイの支配下にありました。その頃、フランスがインドシナ半島に進出します。ラオスはフランスの力を借りて、隣国に対抗しようとし、1893年にフランスとタイで戦争が起こります。

その結果、ラオスはフランスの保護国となり、仏領インドシナ連合に編入されました。ラオスには現在も、フランス植民地時代の名残が色濃く残っています。それは、ラオスの名物「カオチーパテー」というフランスパンを使ったサンドイッチに代表されます。

このように、フランス植民地時代の影響は今でも続いています。

ラオス独立宣言

第二次世界大戦中は、日本が占領することになりました。その後、日本軍によりフランス領インドシナは解体。そして、日本の協力により1945年4月8日に独立宣言をしました。

しかし、フランスはインドシナ連合を復活させたいため、1946年に第一次インドシナ戦争が勃発します。

その結果、1949年にラオスはフランス連合内のラオス王国として名目上は独立をしました。1953年10月22日にフランス・ラオス条約により完全独立を達成します。

独立後もラオスでは内戦が続きますが、1975年に王制の廃止を宣言し、ラオス人民民主共和国が誕生します。

ベトナム戦争の影響

不発弾の素材から作られたアクセサリー

※不発弾の素材から作られたアクセサリー

ベトナム戦争では宣戦布告がされなかったため、いつから始まったのかは不明です。この戦争は第二次インドシナ戦争とも呼ばれています。私たちの記憶にもまだ新しいですよね。この戦争は、ベトナムだけでなく、ラオスにも大きな影響を及ぼしました。

ベトナム戦争の時に埋められた地雷や不発弾は、今も尚、ラオス国内に残されています。そして、この地雷は、日々、日本の支援により撤去されています。

戦争は、私たち日本人にとっては遠い昔のことのような気がしますが、ラオスの人達にとってはつい最近の出来事であり、その影響は今も続いているのです。

ラオスでは、不発弾の素材から作られたアクセサリーやカトラリーを販売している店舗もあります。アクセサリーの台紙には「make earrings not war!」と書かれており、平和への願いが込められています。

ラオスの現在

現在の首相は、トーンルン・シースリット首相です。2016年4月に首相に選出されました。平成29年には、日本の迎賓館にて、首脳会談も行っています。

ラオスは発展途上国であり、日本からもたくさんの非営利団体や、国際協力隊員が来ています。首都ビエンチャンでは支援の必要性をあまり感じることはありませんが、地方に行くと、学校の無い地域があり、裸足で走り回る子どもたちに出会います。

冒頭にも書きましたが、街中では日本から送られた日本のバスをよく目にします。ラオスは、ゆっくりではありますが、少しずつ発展しています

まとめ

ラオスの子供たち

ラオスにとって、日本が最大の支援国ということをご存知でしたか?それだけでなく、歴史から見ても、ラオスと日本は深い繋がりを持っています。

ラオスへ旅行をした事のある方は、至る所で目にする日本の国旗に、誇らしい気持ちになったことがあるのではないでしょうか。歴史を紐解くと、ラオスではパンが美味しいことの理由がフランス植民地だったからと言うのも納得できますね。

また、ベトナム戦争による影響が今も残されていることに少しショックを受けた方もいるのではないでしょうか。

ラオスの首都ビエンチャンは、続々と新しい建物ができ、どんどん発展しています。のどかな風景と近代的な建物の狭間で、国が発展していく様子を見られるのは、ラオスだけかも知れません。ぜひ、そんなラオスに遊びに来てくださいね。

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ラオスの首都、ビエンチャンに住むアラサーOLです。
一度も足を踏み入れたことのない国“ラオス”に軽い気持ちで移住しました。ゆったりとしたラオスの、心地のいい時間の流れの中で生活しています。好きなラオス料理は「チンチュム」。

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