オースラリアで働くことには、どんなメリットがあると思いますか?やっぱり英語が上達するんじゃないかな?と思い浮かべる方もいるでしょう。でもメリットはそれだけではありません。一方でデメリットは何でしょう?
あなたがオーストラリアで働きたい、と思ったら、その前にオーストラリアで働くことでどのようなメリット、デメリットがあるかを知っておくことは、大切なことです。
そこで今回は、オーストラリア・メルボルンで事務職として働いた経験を持つ私が感じた、オースラリアで働くメリットとデメリットをお伝えします。1オーストラリア・ドル=約83円(2018年12月)
私が感じたオーストラリアで働くメリット
英語に対するイメージの変化
様々な人種、そして背景を持った人が同じ職場で働くオーストラリアは、日本ではなかなか巡り合えない、まさにインターナショナルな職場環境です。社内はもちろん、取引先とのコミュニケーションも英語ですから、オーストラリアで働くメリットとして、初めに英語の上達を考える人が多いことでしょう。
オーストラリアで働くためには、まずはじめに採用試験に合格しなければなりません。その際、すでにある程度の英語力がなければ、採用を勝ち取るのは難しいのが現実です。
私も、ある程度の英語力から、働いたことでプロフェッショナルの英語力へと上達したことはメリットでした。特に日本にいては訓練しにくい、聞く・話すが飛躍的に上達しました。
また、一度上達した英語力は、案外レベルが落ちません。これは予想外の驚きでした。10年近く、毎日のように英語を使った結果かもしれませんが、現在、完全に日本に帰国して、仕事ではほとんど英語を使わなくなっても、意外に英語力は落ちていません。
今でも、試しにBBCやABCニュースを視聴しても、全く困りません。東京の街角で、外国人旅行者に英語で質問されてもストレスなく返答できますし、オーストラリア時代の友人との英文メールのやりとりにも困りません。
頼まれ仕事で時折、英語圏の取材クルーや商談の現地コーディネートをすることもありますが、コミュニケーションで困ることはありません。
長期間にわたって、英語で考え、話し、書くという経験をしたことで、私の場合は英語力が向上し、それも一生ものになったという点は大きなメリットでした。
けれども私にとっての1番のメリットは、英語力の上達よりも、英語に対するイメージが変化したことです。
私のオフィスには中国系、インド系など様々な背景の同僚がいました。中国系の同僚が話す英語は、寝不足の頭でぼんやり聞いていると、一瞬、今、中国語だったかしら?と思うほど中国語的な音の高低差がある英語でした。
そしてインド系の同僚が話す英語は、Rの発音がきつくて、早口で話されると「ぶるるん、ぶるるん」と聞こえてくる特徴がありました。例えば「Ok, that issue is already all cleared」が「オルケイ、ザアル イスル イズ オルルレディ オルルル クリアルド」。
これを平坦なアクセントで話されると、対面の場合はまだしも、電話では意味がわからない場合がしばしばありました。聞き返すと、なおRの発音がきつくなるので、なおわからないという悪循環に入ることもあって、最後まで苦労しました。
日本人の英語については、ある同僚から「ねえ、なんで日本人の英語って高低差や強弱が無いの?ずーっとおんなじ調子で、死にかけている人の心電図みたいよね。」と言われて、笑いながら、確かに!と思いました。
成人してから修得した第2言語は、母語の影響をどうしても受けてしまいます。それでもオーストラリアでは「英語」として堂々と通るし、通してしまうのです。
「English」ではなく「Englishes」と複数形で語られるほど、英語は世界中で利用され、それぞれの国の母語の影響を受けて、少しずつ変化しています。それもありなのだ、という考え方を、英語を母語としている人たちが受け入れようと努力してくれている点に、移民国家であるオーストラリアの寛容性を感じました。
英語は単なるコミュニケーションのツールであり、完璧である必要はないのかもしれない。もちろん、綺麗に話せればその方が良いけれども、そうでなくても、思ったこと、考えていることを、「伝えたい」という熱意の方が大切だと気付かされました。
そして私が英語に対して持っていた「綺麗に、完璧に、ネイティブと同じように話さなければいけない」というイメージが変わったことで、英語を使う際の抵抗感や緊張感が減り、より自由にコミュニケーションができるようになりました。これが私にとっては、実際にオーストラリアで働いた1番のメリットだったと思います。
労働者の権利保護
世界で1番初めに、8時間労働制を取り入れた国がオーストラリア、ということをご存知でしょうか?
人間に必要なことは、寝ること、働くこと、そして人生を楽しむこと。
この3つで1日24時間を割ったら、それぞれが8時間なので、労働は1日8時間まででよろしい、としたのがオーストラリアです。この決定は、世界の労働時間規制の先駆けとなりました。
私もオーストラリアで働いている間は、基本的に9時から5時までの7時間労働で、5時半前にはオフィスを出ていました。残業は、よほどのことがない限りしないように言われ、もし残業を続けなければならないほど仕事量が多いのなら、仕事の分配を見直す、または能力と仕事が合っていないかを、上司とミーティングで検証しました。
これには、残業代が通常の時間給の1.5倍になる、というオーストラリアの労働規定も、大きく影響していると思われます。
残業だけに限らず、オーストラリアでは働く人の権利が保障されていることを随所で感じました。例えばショップの店員さんでも、お客に対して過剰にサービスをせず「下にもおかぬもてなし」はしません。客もスタッフも、おたがいに人間どうし。
今はたまたまサービスする側にいても、私はお客の奴隷ではなく、モノを売るプロフェッショナルだ、という意識が強く、「お客様は神様です」の国から来ると、驚かされることがたくさんありました。
例えば、カフェで何かを注文する際には「Can I take ○○○?」と聞くのが一般的です。お店なのだから、売り物を売るのは当たり前なのに、なんで「○○○をいただけますか?」と聞くのかと、最初の頃は不思議に思っていました。
おそらく、客も店員を尊重するために、このような聞き方が一般的になったのだと思います。日本で教えられた「I’d like to take ○○○」は偉そうに聞こえてしまうので、実はあまり使いません。
またお店に入った時は「Hello」「Good morning!」など、客から挨拶します。会計の際には、スーパーのレジでも「How’s going?」「Are you busy today?」などと、軽く挨拶や会話をする方が、良い対応をしてもらえます。
残念ながら、たまたま機嫌の悪い店員に当たった場合には、大手のデパートであっても、買ったものが入った袋を放り投げるようによこされることもありました。
日本ではびっくりですが、仮に店員の態度を責めても、上司がでてきて「完璧な人はいないのだから、理解してやってほしい」と言われるのが関の山。人前で自分の部下を責める上司には、10年間全く出会いませんでした。
このように、まるで客が店員に気を遣っているように見えるせいで、たまたま出張で日本から来た人からは「ここはまるで共産主義国のように『売ってやっている』って態度ですね」と言われてしまいました。
まさにその通り!苦笑するしかありませんでした。
こうして労働者の権利が守られているおかげで、事務職の私も、日本人で同じくメルボルンでIT技術者として働いていた夫も、毎日遅くとも7時までには帰宅しているという、人間らしい生活を送ることができました。
夏はサマータイムで、帰宅した6時前後はまだ日が高く、ゆっくりと犬の散歩をする時間がとれました。人生で初めて、ゴルフの練習に通ったりすることもできました。
働くことだけが人生ではない、ということを心の底から実感できたのは、オーストラリアで働く上で、大きなメリットだと思います。
様々な人の考えを知り、視野が広がる
オーストラリアは移民国家のため、大げさではなく、世界中の様々な国や文化を背景にした人々が社会を構成しています。そのため、仕事をする上でも、色々な考えがあることを肌で感じました。
例えば会議のとき、開始時間5分前に来る日本人、ぴったりに来る中国系、やや遅れてインド系とアングロサクソン系のオーストラリア人、最後にイタリア・ギリシャ系がやって来る、といった感じです。
そういったときも、世界中が1つの規律に従って動いているわけではなく、それぞれに事情があるのだから、まずそれを理解しよう、という考えが働きます。移民国家ならではの、柔軟な姿勢には感心させられ、また私自身の視野が広がりました。
例えば何かをミスした時にも、「人間だから完璧にはできないよ」と慰められはしても、ミスをした私を責める人はいないのです。日本だったら、誰が、いつ、なぜミスを起こしたのか、2度と同じミスを犯さないためには、どのような改善ができるか、と、ミスは個人の責任と捉えられがちです。
けれどもオーストラリアでは、ミスに気づいて謝る私に「Never mind, dear」(気にすることないよ)や、「No worries!」(大丈夫!)と、許して励ましてくれる同僚や取引先に、何度救われたかわかりません。
ただ反面、ミスをした本人が「Never mind」と自分で言い捨てる時には、ちょっとムカッとしましたが。
プロフェッショナルとして意識を高く保つ
事務職というと、日本では「何でも屋さん」で、営業職のアシスタント的な立場のことが多く、肩書がないうちはあまり高い評価を受けにくいのが現状です。けれども、オーストラリアでは、事務職も立派なプロフェッショナルとして、高く評価されます。
日本では、事務職だったらできて当たり前の、ファイリングや書類の整理、スケジュール管理から、こまごまとした備品、消耗品の注文などの業務を、オーストラリアでは「よくオーガナイズしている」「前もってしっかりと準備している」「スケジュールに遅れがないように目を配っている。「素晴らしい」と高く評価されます。
評価されれば嬉しいのが人間ですから、自分が「事務職のプロフェッショナルだ」と誇りに思うことができました。
そして、実際に仕事の後半では、州政府の補助をもらった大きな建設プロジェクトの、現地側のまとめ役を引き受けました。日本では一介の事務職員が、プロジェクトマネジメントをして、監査法人と税金についてやりあい、労働組合との交渉に出席し、弁護士事務所で労働組合対策を考える、といった仕事を担当するなんて、考えられないことですが、オーストラリアではあり得たのです。
もちろん、私はこれを与えられたチャンスとして受け入れ、自分なりに存分に働きました。この体験は、自分の大きな自信となり、いまでも貴重な経験をさせてもらったと思っています。
他者に対して寛容になる
1.-3にも関連しますが、オーストラリアは本当に様々な背景を持った人たちが集まった社会なので、自分の価値観だけで、他人の言動を簡単に良い・悪いと決めつけることはできないと学びました。
例えば、私が通っていた成人移民者向けの英語学校のころからの友人は、大変優秀な数学者でしたが、どうしても家を購入する際に、ローンを組みたがりませんでした。自分自身が育ったチェコ共和国には、ローンという習慣がないからできない、というのです。
彼女の職業や収入は申し分なく、銀行も貸す気満々なのに、本人が頑として拒んだために、即金で買える、条件のあまり良くない家に我慢して住んでいました。
またある時には銀行で、大丈夫なのだろうか、と心配するような係員に会いました。当時、私はオフィスの現金類を管理しており、月末になると集まった小銭を、大きなお金に両替していました。
その日、両替のために銀行の窓口で、なかなか進まない長い行列にうんざりしながら並び、やっと「Next!」と声がかかりました。向かった窓口にいたのは50代後半らしき女性。彼女は私の両替表を見るなり「これ、全然違うわ」と突っ返したのです。
「ええ?どこが違うの?」「だって、20セントコインが15個だけで、3ドルにならないわよ」「あの、計算機で確認してくれませんか?」。そこで行員は、よっこらしょ、と椅子から立ち上がり、電卓を探しに行きました。
窓口に電卓も備えていないなんて……。あきれる私を待たせて、やっと奥から電卓を持ってきた行員は、意気揚々と電卓を叩いて「あらっ!合ってる!」と声をあげました。そして、私の計算を渋々といった表情で認めて「3ドル」と赤ペンで書きました。
次は50セントコインが12個。「6ドルだと思うんですけど」という私を無視して彼女は黙って電卓を入れて、私をちらりと見て「6ドル」と赤ペンで書きました。次は2ドルコインが18個。「36ドルよ」と私が言うまま、彼女は「36ドル」と書きました。
そして最後に、私が求めていた45ドル分、20ドル札2枚と5ドル札1枚をくれました。私が「Thank you」と言うのが聞こえたのでしょう、私の次に待っていた男の人が、満面に笑みを浮かべて窓口に歩み寄ろうとしたその瞬間、彼女は「ああ、疲れた。私、お茶が必要だわ」と言い「CLOSED」の札を素早く立てて、立ち上がって行ってしまったのです。
窓口に歩み寄ろうとしていた男性は、顔に満面の笑みを凍り付かせたまま、また大人しく列に戻りました。日本だったら、クレームの嵐だろうに、誰も文句を言わずにじっと我慢しています。
互いの仕事に対する姿勢が異なっても、それを尊重し、腹が立つことがあっても、ぐっとこらえる。オーストラリア人の、思いもかけない我慢強さを見た気がしました。
通勤が楽
メルボルンは東京などに比べれば小さな街です。City(中心地)で働くほとんどの人が、電車で30分から1時間のエリアから通っていました。私も、最初の賃貸物件の時はトラムで40分、その次はCityに近いアパートメントを購入したので、徒歩で10分、最後の1軒屋でもCityから電車で30分以内でした。
いずれもあまり混雑しないので、日本のような通勤地獄からは脱出できます。電車は、運転手しかいないワンマン運転のため、夜の電車は危険だから、運転席のある1両目に乗るように、と言われていました。
仕事のプロジェクトの完了間際で、遅い日が続くと、上司からタクシーチケットをもらって、安全に早く帰るように配慮してもらえたのも嬉しかったです。
夫は主に郊外のビジネスパークで仕事をしていたので、自宅から車通勤していました。駐車場は無料で完備されていたので、こちらもストレスなしの通勤でした。
私が感じたオーストラリアで働くデメリット
日本での学歴やキャリアが考慮されにくい
私は「年齢の数ほど履歴書を送れ」と、成人移民のための英語クラスで言われた通り、生活を成り立たせるために、必死になって就職活動をしました。その際、痛いほど味わったのが、日本での学歴やキャリアが全く考慮されない、ということです。
例えば、ある会社の事務職のポジションに、私とオーストラリアで生まれ育った女性の2人が応募した場合。彼女はオーストラリアで知られた大学卒で、就業経験も「ああ、あの会社ね」とわかってもらえます。
ところが、私はオーストラリアでの学歴がありません。自分の学歴が、オーストラリアではどのレベルに相当するかを審議してくれる政府機関があり、そこからの証明書を持っていても、採用する側から見ると日本の教育システムやレベルがわからず、大学を出たと言っても、はたしてどの程度の学力なのかがわかりません。
さらにオーストラリアでの職歴も皆無なため、どうしても、もう1人の彼女の方が採用される、ということが嫌になるほど続きました。
このように違う国で働くということは、とくに事務職などスキルが見えにくい職種の場合には、それまでの学歴も経験もゼロになってしまう、というリスクがあることは心に留めておくとよいと思います。
10年近くオーストラリアに滞在したのち、私は日本に戻ったのですが、この時はたまたま、オーストラリアでの仕事生活の後半戦でお世話になった会社が、日本の大手企業の海外支社だったことから、帰国後に、最初はその会社の本社で働き、その後また別の会社へすんなりと就職することができました。
会社の名前が通っていることで得る利益は、国が変わっても同じだなあと感慨深いものがありました。
夫の場合は、たまたま日本ではアメリカ系大手IT会社の日本支社に勤めていたためか、オーストラリアでも、同じ会社のオーストラリア支社に契約社員として早々に就職しました。仕事内容も日本時代と同様に、英語を使うITサポートだったことが幸いしました。
ところで、オーストラリアの契約社員は、いつ契約を打ち切られるかわからない、というリスクを抱えているので、お給料は正社員の1.5倍から2倍です。
夫が持ち帰ったペイスリップという給与明細の金額に、2人でびっくりしました。その時に作ったお金で、早々にマンションを買うこともできました。
それでも契約社員はリスクが高いので、正社員のポジションを探し、小さなIT会社へ転職したのですが、これが日本に帰国した際にネックとなりました。そんな会社は知らない、と言われてしまうのです。夫は日本に帰ってからの就職に苦労しました。
夫のように技術職であっても、2つの国をまたいで仕事をするのは容易ではない、ということを、身をもって知りました。
不当な扱いを受けることもある
様々な背景を持つ人が暮らす国、オーストラリア。英語に対して寛容な国とはいえ、やはり英語力の高い方が有利です。私は何回か、明らかに相手側のミスにもかかわらず「あなたの英語がわかりにくかったから」とか、「あなたが私の英語をちゃんと理解できなかったから」とトラブルの原因を私の英語力のせいにされるという悔しい思いをしました。
メルボルンの「丸の内」のようなCityで働いていたからかもしれません。メルボルンは鉱業や工業関係の会社が本社を置き、州の首都でもあるので、Cityはエリートが闊歩する場所でした。
そのためか、時折あからさまに人種差別を受けることがありました。例えばランチタイムに良く行くカフェで、なぜか私や中国系の同僚にだけは、絶対に「Hello」と言わないスタッフがいました。
他の人には愛想がいいだけに、とても悲しい思いをしました。人種差別は恥ずべき事、という意識がオーストラリア中で最も高いメルボルンであっても、見た目で不利益を被ることは避けられませんでした。
旅行者としてなら大切にされても、「競争相手」となり、仕事を巡って利害関係が入ると、普段は隠している意識が反映されてしまうのも事実です。
税率の高さ
日本で「税金が高い」と聞くと、いまだに笑ってしまう位、オーストラリアは税率の高い国でした。特に中間所得層に厳しい課税性で、支払われた賃金の約3割が、税金その他で天引きされてしまい、ペイスリップ、と呼ばれる給与明細を見ると、ため息がでました。
オーストラリアには年末調整がないので、労働者は年1回、Tax Returnという所得税の申告が義務付けられています。私たちは知り合いから「とってもいいよ」と紹介された会計士さんと話し合いながら、申告書を作成しました。
さすがにプロだけあって「これ以外に仕事のために本を買ったりしていないか?例えば辞書とか」など、節税アイデアを出してくれるのは、とてもありがたかったです。
家を買えばStamp Dutyと言われる不動産取得税を、当時は7%課税され、またアパートメントの場合は、結構高額な管理料、1軒屋であれば土地の広さに応じたRatesという住民税のようなものも支払います。
電気・ガス・水道というライフラインの基本料金も、日本よりも高いうえに、GSTという消費税が生鮮食料品を除いて一律10%かかるので、2人で働いていても家のローンを抱えていると、生活自体は楽々、とはいきません。
それでも何とかそこから脱出したくて、Lottoという宝くじを買う人が多いのよ、と同僚から教えてもらいました。
私もクレジットカードで溜まるマイレージポイント欲しさに、公共料金まで全てクレジットカードで払っていました。このようなお得情報をお互いに交換するのも、大切な友達づきあい、近所づきあいです。
休日は日本のようにショッピングにくりださなくても、近所の公園やビーチでのんびりすれば、無料で楽しめます。私たちは、週末は日本に比べると格安のゴルフレッスンを受けたり、庭の手入れや家の修繕をして、夕食は裏庭でBBQを楽しむ、というあまりお金を掛けずに楽しむ時間を過ごしていました。これが本当の意味での「豊かさ」なのかもしれない、と思うときもありました。
各種手当がない!
オーストラリアの給与制度には、日本では当たり前の通勤費や扶養控除、養育費などは全くありません。通勤が楽とはいえ、夫が毎日使う車のガソリン代も出ない上に、Tax Returnにも使えません。
また、Medicareという国民健康保険の料金は、Tax Return時に収入の1%が天引きされるだけなので、安いのですが、実際に病気などになった時には、Medicareだけでは高度医療が受けられない可能性があります。
そこでほとんどの人が、自主的にプライベートと呼ばれる私的医療保険に入っていました。これも2人で年間2,000ドル以上、体感価格で20万円程度するので、かなりの出費になります。
また、歯科診療や薬、さらにSpecialistと呼ばれる専門医にかかった場合には、Medicareもプライベートも使えません。全額自己負担です。帰国後、日本で歯科診療にも保険がきき、薬も保険対象であることを、どんなに感謝したことかわかりません。
どうやってバランスをとるか
どの国で働いても、メリットとデメリットがあると思います。良いことばかり、悪いことばかりが起きる国は少ないでしょう。問題は、自分の中でどうやって、そのメリットとデメリットのバランスをとるか、ではないでしょうか。
税金が高くても、高福祉・高負担なのだからよし、と思えるか。店員にぞんざいに扱われても「お互い人間だからね。私も完璧じゃないし」と許せるか。お金が少なくとも、心が豊かな生活を楽しめるか。そのバランスがとれている間は、その国で働き、暮らすことは可能です。
もし何か、はっきりとしたデメリットがある場合は、周囲に相談することをおすすめします。オーストラリアは自分で言わなくても、周囲が察してくれる文化ではありません。けれども、声をあげると、真剣に聞いてくれる人もいます。
一緒に解決策を考えてくれたり、行動を提案してくれたリ、また時には、あなた自身の日本的な考えを変える必要を指摘されるかもしれません。いずれにしても、自分1人で問題を抱え込まずに、声を上げることで、何かが変わります。
デメリットと思っていたことを、学びのチャンスに変えることもできるのです。そこがオーストラリアの、懐が深いところと言えるでしょう。
それでもあなたにとって、オーストラリアでの経験で、デメリットとなる面ばかりが目につくようでしたら、残念ながらあなたとオーストラリアは相性が悪いのです。それはどちらがいけない、というものではなく、単なる相性の問題です。自分が悪いのか、と悩まずに、いつでも見切りをつけるという手段もあることを忘れないでください。
「異邦人」であることを面白がろう
様々な人種や背景を持った人が集まり、働く移民国家、オーストラリア。以前は、アジア系は下働き、白色系がエリート、という時代もありましたが、1980年代以降、社会が大きく変わりました。政府の施策がMulticultural Society、複合文化主義へと舵を切ったからです。
これが国民1人ひとりに浸透するまでには、長い時間が必要でした。今でもまだ浸透しきっているとは言えません。幼い頃に受けた教育の影響で、いまだに人種で人を判断する人がいることも事実です。
けれども振り返って日本を見ると、どうでしょうか。いまだに移民を受け入れない施策をとっていることを考えると、移住者であっても、スキルがあれば働くことが可能な国、オーストラリアは、働いてみるチャンスがあったら、そこに賭けてみる価値はある国だと思います。
ただ実際に働いてみると、楽しいことばかりではありません。悔しい思いをしたり、悲しい思いをしたり、自分だけが取り残されたような気持ちになる時もあります。例えば同僚が子供の頃のテレビ番組の話をしていると、まったく理解できません。そういう時に「異邦人」という言葉を思い出すこともありました。
けれども「異邦人」であることは、悪いことではありません。私はむしろ「異邦人」の感覚を面白がっていました。日本と、別の国の慣習や文化を比較できるのは、2つの国の文化を理解している人だけだからです。そして2つの文化を知ってしまうと、どちらが100%良い、と言えなくなります。
そういう意味では、常に立ち位置が揺れていて、自分は何を望んでいるのか、何が大切なのかを問いかける毎日でした。
よく考えてみれば、人は自分の国にいても、国民全員と分かりあえるとは限りません。人間は、究極的にはどこにいても「異邦人」、独りぼっちなのです。そのことに気づき、他の人に寛容になり、人の行動規範や考え方など、様々な違いを面白いと思えるようになったという意味で、オーストラリアで働いたことはメリットがたくさんありました。
あなたがもし、オーストラリアで働き、生活をする、という選択をする場合には、ぜひ、今までの日本との違い、そして自分の知識と現実との違い、さらには自分自身の変化に目を向けて、面白がってみてください。それが異国で働く、大きなメリットだと私は思います。
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