私がイタリアに住み始めて早くも15年が過ぎようとしています。
フィレンツェ空港に降り立ち、迎えの方にホームステイ先まで送ってもらってまずしたことが日本への電話。あの時、生まれて初めてホームシックとはどういうものかを認識させられました。
あれから15年。まさか、これほど長くイタリアに住むとは思ってもいませんでした。日本へ持ち帰る何かを見つけるための留学が、イタリアに留まるためのきっかけになるんて……。
私がどんな決断をしてイタリアへ渡り、どのようにして自分の居場所を見つけたのかをお伝えします。
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イタリアに来ることになった経緯
サッカーW杯決勝でイタリアに興味
1994年、アメリカで行われたワールドカップ決勝戦。最後のPKを蹴るのはロベルト・バッジョ。しかし、彼の右足が蹴ったボールは枠を大きく超え、遥か後方に虚しく転がりました。そして、イタリアの敗戦を告げるホイッスルが響きます。
海外志向が強く、いつかヨーロッパに行ってみたいと漠然と思っていた大学1年生の私がイタリアを意識した瞬間でした。
しかし、月日は流れ、抱いていた夢は遠い昔の思い出のようになっていた2002年。写真の現像会社で働いていた私はある決断を迫られます。
仕事が激減、人生を変える決断
フィルムからデジタルへ移行しようとしていた転換期、現像会社の仕事は激減しました。サッカー少年だった私も26歳になっていました。
このままではまずい……。何かを変えなければ……。
でも、何を変えればいいのか。自問自答する私は決断しました。変えるならすべてを変えよう。現像という機械的な仕事をきっぱりと捨てて、少年時代に夢見た海外、バッジョのイタリアに行こうと。
それから数カ月、駅前留学を経て念願のイタリアへと旅立ちました。
イタリア語学留学を楽しむ
6カ月の語学留学の地はフィレンツェ。といっても、フィレンツェに強いこだわりがあったわけではありませんでした。強いて理由を挙げれば、「冷静と情熱のあいだ」というフィレンツェを舞台にした映画を見て行ってみたいと思ったからでしょうか。
来た感想は、「いいじゃない!」
徒歩でどこへでも行けて、街の至るところに世界遺産。フィレンツェ人はすぐには心を開いてくれないものの、こちらが根気よくノックすればちょっとずつ重い扉を開けてくれます。しばらく経つと多くの友人もでき、もう日本が恋しかった最初の頃の自分はいませんでした。
約6カ月、文法を中心に懸命に勉強しました。学校で出会った友人から面白い話を聞いたのは、帰国が迫った初春のことです。
イタリアで出会った友人からの助言でチベット仏教寺院へ
田舎町にあるチベット仏教寺院の存在
自分とほぼ同じ時期にイタリアにやって来た、年齢もそれほど変わらない絵描きの友人が、2週間ほどの休みを利用して彼の姉が住む町へ出かけました。
彼が滞在したのはポマイアという田舎町にあるチベット仏教寺院(Istituto Lama Tzong Khapa)。お姉さんはそこで7年間の仏教プログラムを修得していたのでした。
ヨーロッパでも随一の大きさを誇る仏教寺院で、友人は2週間のボランティア活動を体験します。皿洗いや調理補助、お庭の掃除などの作業をする代わりに、寝床と3食を提供してもらえるシステムです。
※ポマイアの風景
イタリア語トレーニングにも最適
彼は私に、とても景色が良いこと、多種多様な人がいること、何よりもイタリア語の実践には最高の場所であることなどを話してくれました。そして、最後に一言。
「君も行ってみないかい?」
少し胸が躍るのを感じました。
イタリア語漬けの生活を求めてボランティア活動からスタート
※仏教寺院(Istituto Lama Tzong Khapa)
生きたイタリア語を学びたい
学校での勉強に限界を感じた私は、生のイタリア語に飢えていました。何か大きなチャンスがあるのではないかと考え、友人の助言に従って寺院とコンタクトを取り、一度日本に帰ってまた出直すことで合意しました。
そして、数カ月後の残暑が厳しい初秋、いよいよポマイアに到着したのです。
1年間の就学ビザ(その当時はまだ語学学校から出してもらった就学ビザでしたが、その翌年からは仏教寺院に出してもらいました)を持つ私は、期間を決めず、イタリア語でのコミュニケーションしか許されない環境にじっくり身を投じてみようと考えました。
仕事が認められるとともに言葉も上達
最初に与えられた仕事は庭の草刈りでした。重い草刈り機を腰に引っ掛け、巨大な敷地内の草を刈ります。未経験にしては上出来だったのではないでしょうか。
その仕事ぶりが認められ、今度は敷地内のお茶屋を任されました。日本から取り寄せた作務衣を着て作業をしました。
つたないイタリア語を駆使してイタリア人に日本(アジア)の文化であるお茶を振る舞い、苦労しながらもイタリア人とのコミュニケーションを重ねていくにつれ、自分でもイタリア語が進歩していると感じたのを覚えています。
外国語を習得するなら、現地で、現地の人と、現地の言葉で話す。これに限ります。どんどん生活が楽しくなっていきました。
イタリアでついに就労許可、ボランティアから昇格
給料をもらえるように
夏限定のお茶屋を無事勤め上げ、さらに他の仕事を頼まれるようになりました。寺院のメンテナンスです。いつしかボランティアから昇格し、給料をもらえるようになりました。
就学ビザでの労働は週20時間と決められているため、もらえる額はそれほど高くはありません。それでも、自分の語学力が上達しているのを感じていたので、全く苦ではありませんでした。
運よく就労ビザを取得
そんな生活が数年続き、運よく就学ビザから就労ビザへと移行することができました。
イタリアで就労ビザを取得するのは簡単ではありません。たとえ仕事があっても、就学から就労へ切り替えることができる限られた枠の中に入れない限り不可能なのです。
いろいろな人に支えられ、また運も味方となり、晴れてイタリアで正式に働けるようになったのです。
ビザを切り替えてからは就労時間も増え、責任ある仕事を任されました。現在、寺院内にあるお店で数珠などの仏教用具を販売、並行してオンラインショップの責任者にも抜擢されました。併設するバールではカフェ、カプチーノも振舞います。
海外に出て思いがけずつかんだ幸運
日本にいた時には想像できなかった人生
私のような経験はまれだと思います。運がよかったとも言えるでしょう。
何かを変えたくて海外に行く人はたくさんいると思います。自分もそうでした。そして今、15年前の自分では絶対に想像し得なかったであろう場所にいます。人生というのは分からないものです。
誰かから信頼されるということは大きな喜びです。ましてや私はイタリアでは外国人、それでも自分を頼ってくれる人たちがいるのです。これほどの幸せはありません。
たくさんの出会いに感謝
お店にはいろいろな人たちがやって来ます。知り合った人数は数え切れないほどです。自分がイタリアで何を得たかと聞かれたら、迷わず「人とのつながり」と答えるでしょう。
今ではイタリアの至るところに友人がいます。これも、このチベット仏教寺院で働くという幸運を得たおかげです。
素晴らしい出会いに日々感謝し、たくさんの人たちに笑顔を届けることが、イタリアで生きる糧となっています。
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まとめ~意志あるところに必ず道は開かれる
言語も文化も違う土地に行くことは不安です。日本では想像もしないことが起こるかもしれません。不安要素は探せば探すほど頭をよぎります。
でも、一歩踏み出した自分だからこそ分かったことがあります。それは「意志あるところに必ず道は開かれる」ということです。
海外は本当の自分に気づかせてくれる場所だと思います。辛くても前へ進むと、そこには進んだ者にしか見ることができないことがあります。それをあなたも見つけてみてください。その時、ひと回り大きくなった自分に出会えるはずです。
チベット仏教寺院(Istituto Lama Tzong Khapa)
- https://www.iltk.org/en/(英語)
- https://www.iltk.org/(イタリア語)
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