イタリアで料理人として働く!大学を中退し、海外留学と料理の2つの夢を同時に実現

イタリア イタリアで働く

イタリアに行く前の私は調理師学校に通っていたわけでもなく、普通の大学生の女子でした。ただ、元々料理が好きで、小さい頃から料理人になりたかったこともあり、大学に行きながら厨房のアルバイトを始めました。

一方で、海外留学も夢見ていた私は、大好きな料理をしながら海外に行く手段はないのかと考え始め、大学を中退してイタリアに料理修行に行くという選択をしました。

その決断に至るまでと、イタリアへ渡ってからの道のりをお話しします。

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イタリアに渡るまで1. 大学時代のアルバイトがすべてのきっかけ

桜

海外に出ることを夢見ながら大学へ

高校卒業後、私は都内の大学に入学しました。高校生の頃から日本を出たいと考えていたので、大学を通じて海外に留学することが目標でした。

大学生になった私は、たい焼き屋でアルバイトを始めます。そして、始めて2週間ほど経ったとき、急きょ店長が別の人と交代することになりました。

これが私の運命を変える出来事になるのですが、このときは想像もしていません。

何気ない会話が意外な方向へ

あるとき私は、新しい店長と将来の夢について話をしていました。

小学生の頃から料理人になりたかったものの、進学校に通っていたこともあり、現実を突きつけられてその夢をあきらめているという内容です。

その話を店長にすると、「レストランで働いている知り合いがいるからアルバイトできないか聞いてみようか?」とまさかの返事が。

冗談だと思ったので、適当に「よろしくお願いします」と言って苦笑いしたのを今でも覚えています。

まさかのレストランでのバイトが決定

ところが、それから数日後、店長は本当にその知り合いに連絡してくださり、私はレストランに面接に行くことになりました。

面接では自分で作った料理の写真などを見てもらい、どれだけ料理をやりたいと思っているかを伝えた結果、見事そこでアルバイトを始めることになったのです。

イタリアに渡るまで2. 料理の世界に魅了され中退を決意

ナイフとフォーク

初めてプロの料理の世界に触れる

正社員ではなくアルバイトとしてでしたが、私にとって初めての厨房は新鮮なものでした。

まず包丁の使い方、包丁を使うときの立ち位置、まな板の使い方から指導されました。自炊はよくやっていたのですが、いかに自分が料理の基本を何も知らなかったかを思い知らされました。

先輩達に怒られてばかりの毎日でしたが、このような環境で毎日過ごすうちに、私の中で料理人になりたいという思いがどんどん強くなっていったのです。

大学か、料理か……決断のとき

そうして毎日厨房で働いた結果、気付けば大学には行かなくなっていました。学費を出してくれている親のことも考え、ここで一度、人生の大きな選択をしなければならないと覚悟します。

今のままバイトを続ければ単位が足りず、希望の海外留学はできない。しかし大学に行くとなると、料理の道をまたあきらめることになる……。

一般常識のある人なら大学を続けることを選ぶでしょう。ですが私は、このまま大学に戻るよりも料理の道に進みたいと思いました。とはいえ、海外に行くこともあきらめたくありません。

2つの夢を実現する唯一の道とは

考えた末、どちらもかなえるために見つけ出したのは、イタリアに料理修行に行くというあまりに突拍子もない選択でした。

ただ、大学でお世話になった教授の後押しもあって決断することができました。

イタリアでの料理修行計画、まずはビザを取るため料理学校へ

イタリアの建物

私にとってイタリアで生活する方法は2通り。1つは現地の学校に入学して学生ビザを取ること、もう1つは就労ビザを取って現地で就職することです。

ですが今の時代、イタリアで就労ビザを取るのはなかなか難しく、ほとんどの人がとりあえず学生ビザを取り、現地で仕事を見つけ、その後、就労ビザに切り替えるパターンです。

そんな状況の中、私はイタリアの料理学校に入学して学生ビザを取得し、インターンシップを利用して現地で料理修行するという計画を立てました。

イタリア生活がスタートするも厳しい現実に直面

イタリア

忘れもしない2017年1月、私はイタリアでの生活をスタートさせます。

イタリアに着いてからは、まず警察署や市役所を回って必要な書類を提出し、滞在許可証の作成を申請しました。滞在許可証は日本でいうマイナンバーのようなもので、イタリアで生活する人にとってビザよりも重要なものです。

最初の壁はイタリア語

イタリアで暮らし始めた私にとって何より問題となったのは言語です。英語は話せたのですが、やはりイタリアでイタリア語が話せないというのは大きな障害になりました。

正直、日本にいたときは、最悪英語でどうにかなるだろうと高をくくっていたのですが、そんなことはありません。

現地のイタリア人は、ほとんどがイタリア語で話しかけてきます。英語もイタリア語訛りなので、何を言っているのかほとんど理解できません。

机で勉強するよりもとにかく実践で覚えようと思った私は、暇さえあればバーに通いイタリア人たちと話をしてイタリア語を覚えました

思わぬトラブルが言葉の上達に役立った

それでも、料理学校に通っている2ヶ月間は特に問題なかったのですが、大変だったのはその後です。家も仕事も自分で探さねばならず、イタリア語の習得は必須でした。

実は、学校が終わってからの2ヶ月の間、トラブルが立て続けに起こり、家と仕事がありませんでした。その間の引越し回数は合計24回。

お金も日に日になくなり、公園やマクドナルドで寝ることも。周りは誰も助けてくれず、自分の力でどうにかするしかありません。

しかし、このようなギリギリの経験をしたからこそイタリア語をすぐに覚えられたのかもしれません。

その後、無事に家と仕事を見つけることができましたが、一時的な留学ではなく本気で職探しをしなければいけない状況だったからこそできた貴重な体験なのでしょう。

イタリアで苦労しながら料理修行

包丁

初めての職場は星付きレストラン

住所不定・無職の状態を2ヶ月経験した後、フィレンツェにあるフェラガモグループの五ツ星ホテルのレストランで働くことになりました。

日本ではアルバイトの経験しかなく、イタリア語がちゃんと話せるわけでもない状態で星付きのレストランに飛び込むのは無謀でしたが、やってダメだったらそのとき考えようと思い、私の人生で最初の社会人生活をスタートさせます。

何度も挫折しそうに

最初は本当に苦労しました。

何を指示されているのかわからない、何を怒られているのかもわからないという言葉の壁。聞きたいことがあるのに、どう聞けばよいのかもわかりません。

そして、ようやくやらなきゃいけないことがわかっても、今度は技術が追いつかず失敗やミスばかり。

何度も挫折しかけましたが、それでもあきらめずに一生懸命仕事をしました。そうすると、同僚達も心を開いてくれるようになり、レストランにもどんどん馴染むことができました。

まとめ~人間としても大きく成長できた

フィレンツェの後、ローマ、ピエンツァと全3都市で働き、2年が経つ頃にはイタリア語は全く問題なく話せるようになり、イタリア料理の知識や技術もはるかに身につきました。

イタリアで料理人として働くことになった最初のきっかけはほんの些細なことでしたが、偶然が重なり続けた結果、今の自分がいるのだと思います。

イタリアでの様々な経験は、料理人としてだけではなく、自分という人間の成長のための大きな糧となってくれました。海外で働いてみれば、今までと違う世界が見られるようになりますよ。

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