修学旅行や卒業旅行などで海外へ行く人が増え、昔に比べると多くの日本人が海外経験をするようになってきました。
海外へ赴くと、その国の良さや不便なところ、または日本の良し悪しに気づくことができます。
アクシデントもつきものですので、苦い思い出を作ってしまった人もいるかもしれません。
しかし、異なる文化や人と触れ合って「世界はこんなに広いんだ」と感じた方も多いのではないでしょうか。働く
日本の企業ではなく、アメリカでスケーターとして働くことを選んだ理由をお教えします。
アメリカでスケーターになることを選んだ理由
アメリカに惚れた
1番大きな理由は、アメリカへの渡航経験があったことです。
誰でも、行ったことがない国に住むことは不安なものです。
私は6歳の頃からフィギュアスケートを習い、10歳の夏休みに初めてアメリカ合宿を経験しました。
中学、大学時代にも何度かアメリカで合宿をし、いつしかアメリカの雰囲気や広さに憧れるようになりました。
知名度を得る!
今や海外取引なしで経済は成り立ちません。
日本でも、就職の際に海外経験の有無を問う企業が増えています。
私は企業に就職するのではなく、自身の親と同じ教職員の道か、フィギュアスケートの指導員になる道で迷っていましたが、結局これまで培ってきたスケート技術を活かす道を選びました。
そのためにショービジネス界でトップを争うアメリカの大企業で数年働き、知名度と経験を得ようと考えたのです。
労働スタイル
これは日本人の良さでもありますが、はっきり言って日本人は働きすぎる傾向があります。
学生時代も勉強時間が長く、それが「当たり前」の学歴社会です。
しかしアメリカでは、ほとんどの企業の従業員は夕方に仕事を終え、家庭の時間を確保します。
もちろん仕事にもよりますが、深夜の仕事や休日返上には特別給が用意されており、給与のでない「残業」や、仕事に必要な「飲み会」は、ほぼありません。
アメリカでスケーターをする前は何をしていた?
大学を卒業した半年後、アメリカのFeld Entertainment社に就職しました。
中には数年待って採用される人や、まったく返事がもらえない人もいるので、この職業への就職は「運しだい」と言われています。
卒業を間近にして周囲が就職を決めていく中、不安を抱えながらも待った甲斐がありました。
就職を志望してから半年で採用の返事がもらえたのです!卒業後の空白期間は、以前からお世話になっていたコーチのお手伝いやスケート教室でアルバイトをして過ごしました。
アメリカでの就職先を探した方法
スケートに携わりたいと決意した後は、自身のコーチに相談しました。
幸い私のコーチも大学卒業後にアメリカでコーチングを習い、日本へ帰ってきた経験を持つ方ですので、快く相談に乗ってもらえました。
今やフィギュアスケート界でもアメリカで修行を行う人が増えており、それだけ練習に励む環境や最先端の技術が整っていることがわかります。
海外に住んでいたコーチや、ショービジネス界ではよく知られている方などにお会いし、Feld Entertainment社のことを知りました。
アメリカでの就職活動期間とその内容
就活期間
Feld Entertainment社に就職しようと決めたのは、大学4年の頃でした。
Feld Entertainment社では就職の応募期間を定めておらず、条件が合えばいつでも採用してもらえるようです。
重要なことは、提出する「タイミング」です。日本では通常の卒業時期は3月ですが、アメリカでは6月です。
早く応募して条件が合ったとしても、まだ学生中であれば卒業するまで待たなければいけません。
その間にも様々な国から応募する人が出てくるので、早く出しすぎると「忘れられてしまう」恐れがありました。
そのため卒業間近の冬休みに、アメリカで知人の協力を得て必要な書類やビデオを作成し、提出しました。
書類の提出後、オーディションの日程を相談するメールがすぐに届き、8月末に福岡でオーディションを行いました。
それから約1ヶ月後の10月に無事採用されました。
必要書類、ビデオについて
必要な書類は簡単なスケート歴や学歴、志望動機を書いた履歴書と、フィギュアスケートのビデオでした。
ほとんどのやりとりがメールによって行われるので、インターネットの翻訳を活用して返信しました。
ビデオには簡単な自己紹介と、できる限りの特技を収録しました。
アメリカでスケーターとしての仕事内容
常に「ボード」確認
基本的な仕事は、用意されている振り付けを覚えて、公演に参加することです。
これだけ聞くと簡単に聞こえますが、1人で出演するのは主役だけで、それも数分間だけです。
多くは数人が同時に出演し、様々な演目を繰り広げます。
基本的に1人4〜5役を持っていますが、代役として出演する場合に備えてほとんどすべての振り付けを覚えます。
誰かが不調で出られない際には、他の人がその役柄をカバーすることになり、舞台裏での着替えが壮絶な状態に陥ります。
また、多人数で出演する場合、全員が同じ振り付けだとは限りません。
役柄によって振り付けや動く方向などが異なるので、きちんと理解していなければショーを台無しにする可能性や危険な事故を招く恐れがあります。
そのため常に「ボード」と呼ばれるホワイトボードを確認し、自分が代役に当てられた際にはビデオ確認や聞き回り、シュミレーションなどを行って、万全な準備を行います。
怪我などで数人が欠席する際は、ボードが隙間なく名前で埋め尽くされ、仲間との協力が不可欠になります。
実は危険な舞台
ショーを思い浮かべていただくとわかるように、公演が始まると照明は暗くなり、舞台にスポットライトが当てられます。
そうすると舞台側から座席は一切見えません。
スポットライトもない中で素早く動く場合や、大きな被り物を着て滑ることもあり、ヒヤリとする瞬間は多いです。
被り物の中から見える範囲はすごく狭く、倒れると起き上がれない場合もあるため、常にその人たちを優先してパフォーマンスを行います。
ショーが最高のものになるよう、自分の役柄に必要な衣装や被り物などはしっかりと管理、事前準備する責任があります。
早朝の収録、コマーシャル撮影
多くの人に観に来てもらえるよう、PR作業を行います。
2つのグループで、週ごとに交代しながら行います。
ほとんどは早朝に収録され、長くかかる場合や早く終わる場合など様々です。
大きな都市ではゲストを招いて写真撮影を行うパーティーなども催されました。
アメリカでスケーターをして良かったこと
正しい英会話ができる
アメリカで働くと英会話を余儀なくされます。
これまで勉強してきた「日本英語」は全く通用しないことがわかります。
最初は悲しいですが、悲しんでいる間もなく会話しなければいけません。
大事なことは恥ずかしがらずに「話すこと」です!携帯なども駆使して、とにかく会話の糸口を見つけましょう。
仲間ができる
一緒に旅し、仕事をし、休日を過ごし、ツアーが終わる頃には深い絆になっています。
様々な年代の方がいるので、仲間が作りやすいです。
最初は覚えることが多くて大変ですが、慣れると想像以上の自信が得られます。
自分が認められることの嬉しさ、誰かと協力して苦境を乗り越えられた時の喜びは、一生忘れることができません。
日本人である誇り
世界中からパフォーマーや裏方を採用しているので、世界各地の人たちと仲良くなれます。
当初は自分の周りが「外国人」に見えていましたが、のちに自分こそが「外国人」であることに気づき、日本人としてどうあるべきかを考えるようになりました。
自分という存在を超えて、日本を代表しているかのような気持ちになります。
アメリカでスケーターをしてよくないこと
休みは月・火
ショービジネスに共通することですが、土日や祝日に休みがありません。
多くの人は、仕事が休みの日にショーを観に来るからです。
家族や友人が日本から会いに来ても、忙しくて一緒に過ごす時間がありません。
また、急な不幸などで日本に帰らなければならない場合、すぐに帰ることができません。
移動が大変
毎週バスや飛行機を使って次の土地へ移動しますが、スーツケース2個分に必要なものを全て詰め込まなければならず、毎回の荷造りが大変です。
また移動が深夜になることも多く、疲れます。
経験を積むほどに要領を得てきて旅を楽しむことができますが、最初のうちは余分なものを持ち過ぎて困った経験があります。
アメリカで挑戦したい方へ
アメリカは本当に大きい国です。
どこでも働き始めは厳しいものですが、慣れるとたくさんの道が開けるこの国が、私は大好きです。「みんな違って、みんないい」日本人であることを、日本にいた時よりも強く、嬉しく感じることができます。
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