韓国で働く井田恵子さんインタビュー!多様な経験を経て好きなことを仕事にしたソウル在住日本人【前編】

韓国での働き方

日本であれ海外であれ、好きなことを仕事にできる人はほんの一握り。働くこと自体が難しい海外であればなおさらです。

しかし、日本との文化の違いやライフスタイルの変化に悩みながらも模索を続け、海外で好きなことを仕事にするたくましい日本人もいます。そんな日本人の一人が韓国在住の井田恵子さん。自ら手作りしたパンやお菓子を「Keiko’s kitchen」のブランドで販売しています。

井田さんはどんな経緯で韓国で働き始め、どのようにパン販売の仕事にたどり着いたのでしょうか。インタビュー前編をお届けします。

井田恵子さんのプロフィール

  • 愛知県の県立高等学校を卒業
  • 1999年、神奈川県警に採用、刑事課強行犯係にて勤務
  • 2005年12月、退職
  • 2006年1月、韓国ソウルへ語学留学
  • 2008年8月、韓国人男性と結婚
  • 2010年8月、長男誕生
  • 2012年12月、次男誕生
  • 2016年10月、自宅でパンやお菓子の販売を開始

井田さんは結婚してから韓国に来たのではなく、結婚前から既に韓国にいて、韓国で働いていました。現在は韓国人の夫と息子2人との4人暮らし。パン作りの仕事をしながら、慌ただしくも幸せな毎日を送っています。

驚くべきことに、日本では刑事だったんですね。

語学留学から始まった韓国就職

ー韓国で働くことになったいきさつを教えて下さい。

最初は韓国語を学ぶため26歳のときに韓国へ渡り、高麗大学にある語学堂(語学学校)に通いながら韓国語の習得に励んでいました。通い始めて1年くらい経った頃、韓国生活にも慣れてきて、アルバイトをしたいという気持ちが強くなったのです。

「ソウルジャパンクラブ」や「コネスト」などのインターネットサイトを見ていたところ、IT会社が翻訳の短期アルバイトを募集していたため、履歴書を送ってみると採用されました。これが、韓国で仕事をすることになった第一歩です。

翻訳の短期アルバイトは、語学堂に通いながら約4ヶ月間続けました。

状況に合わせてビザを切り替える

ー韓国で働くためのビザはどうされたんですか?

語学堂を修了してからワーキングホリデービザに変更しました。もともと最低2年は滞在する予定だったので、残りの1年間はワーキングホリデービザで働くつもりだったんです。

ワーキングホリデービザに切り替えてから、知人に紹介してもらった旅行会社でアルバイトとして働き始めました。この会社で1年ほど働いた頃に、ちょうど韓国人男性と結婚することになり、ワーキングホリデービザから配偶者ビザに切り替えたんです。

それと同時に会社からオファーがあり、正社員として働くことになりました。

翻訳からホールスタッフまで、韓国で様々な仕事を経験

ーここまでにお伺いした翻訳と旅行業を含め、韓国でこれまでにどのようなお仕事を経験されましたか?職場の雰囲気も交えて教えて下さい。

時系列で説明しますね。

2007年12月~4月:翻訳アルバイト

主に韓国語でプログラムされたデータの日本語への翻訳です。

当時、語学堂に通っていたため、午後2時から午後10時までの8時間労働。同僚はプログラマーの方達がほとんどで、翻訳者は私を含む日本人3名でした。合計8時間であれば、可能な時間帯を選択して働ける形態だったので、指定された個室でひたすら大量のデータを日本語に翻訳していました。

大企業だったため食事代など全て会社持ち。与えられた仕事だけこなしていれば問題はなく、とても良い環境でした。

2007年5月~2011年7月:旅行会社勤務

アルバイト(2007年5月~2008年2月)

ー旅行会社では具体的にどのようなお仕事をされていたのですか?

主に取引先のホテル・旅館への予約、日本語への翻訳が仕事でした。この期間は午後2時から午後6時までの4時間勤務でした。

会社自体お洒落な雰囲気で、日本人が私だけだったため、上司や同僚達も親切に対応してくれる方が多かったです。

正社員(2008年2月~2011年7月)

ーアルバイトから正社員になり、働き方はどのように変わりましたか?

勤務時間が増えて、午前9時から午後6時までの8時間勤務になりました。忙しい時期を除けば特に夜勤を強制されることもなく、与えられた仕事をこなしていれば、特に問題はありませんでした。

しかし、途中で東京のガイドブックを出版することになり、状況が変わりました

それまでの自分の仕事にプラスしてガイドブックに関連する仕事もやらなければならなくなった上、日本への撮影許可や出張の段取りなどは全て私を通して進める必要があったため、出版に至るまでは二足のワラジ状態。この時期は、本当に色々と大変でした。

ー急にハードな状態になったのですね。お仕事をする中で、日韓の違いなどを感じることはありましたか?

はい、ありました。日本と韓国では仕事のやり方や考え方などが多少、異なります。

日本では当たり前のことが韓国の上司には説明しても通じず、「日本のお客様はこうだから無理だ」と伝えても、「そこをどうにか貫き遠してほしい」と無茶なことを頼まれることも多々ありました。

仕事

仕事に慣れてくるとどんどんハードルが高くなり、上司の仕事を任されることも多くなりました。このとき感じたことは「仕事をちゃんとこなす人に全ての仕事が流れていく」ということでした。

ー何に対しても格差が大きい韓国ならではという気がしますね。お子さんが生まれてからの勤務は大変だったのではないですか?

長男を出産後、1年は働いたのですが、通勤に片道1時間半かかるということや、子供は自分の手で育てたいという気持ちがあったので、退職することにしました。

2011年10月~2012年2月:NHK番組コーディネーター

ー日本のお仕事にも携わったんですね。

はい。知人から「NHKの制作会社がコーディネーターを探しているんだけど、やってみないか」と声をかけられ、「大変な仕事だけどやり甲斐はある」と言われてオファーを受けることにしました。

ソウル大学路とチェジュ島をある番組で紹介するということで、事前の撮影材料集めから、撮影先へのアポイント取り、日本からやってくる制作会社のスタッフの方々の航空券や宿泊先ホテルの手配まで、全て一人でこなしました。

撮影が始まると通訳はもちろんですが、私以外のスタッフは全て韓国語ができないので全ての内容をフォローしなければならず、体力的にも精神的にも大変な仕事でした。

ーお仕事は撮影が終わるまでだったのでしょうか?

いえ、本撮影が終了すると、すぐにスタッフと一緒に東京へ向かい、都内にあるウィークリーマンションに約2ヶ月間住み込みました。

撮影した全てのフィルムの翻訳、そして編集作業も一緒に行い、完全に作品が完成してから韓国へ帰国。本当に大変な仕事でしたが、今まで経験したこともない世界だったので、とても新鮮でした。

作品が出来上がった時の達成感は大きく、本当に良い経験になったと思います。

ーその間、お子さんはどうされていたんでしょう?

長男は、夫とシデク(義実家)に見てもらっていました。

ソウルでの撮影中はシデクに預け、撮影が終わってから迎えに行っていました。私がチェジュ島や日本に滞在していたときなどは、平日はシデクに預けて、週末に旦那が自宅やシデクで一緒に過ごしていたそうです。

2012年3月~2015年:在宅で仕事

仕事

ーその後は自宅でお仕事をされていたんですね。

はい。番組コーディネーターの仕事が終わってすぐに2人目を妊娠したため、長男が保育園に通っている時間帯を利用して、家でできる仕事を主にやっていました

入力

日本のアウトソーシングサイトを見て、在宅でできる仕事を選んでこなしていました。

報酬は主に日本の口座に日本円で振り込まれるのですが、インターネットバンキングをできるようにしていたため、振り込まれているかの確認も簡単にすることができました。これはこれで良いお小遣い稼ぎになりましたね。

翻訳

インターネットサイト「ソウルジャパンクラブ」の掲示板で「翻訳の仕事を探している」と書き込みをしたところ、たまたま「大学の論文を日本語に翻訳してほしい」という連絡があり、数ヶ月間、定期的に送られてくる論文を翻訳していました。

日本語録音

友達の紹介で2回ほど「100通りある日本語の文章を1時間ほど録音して5万ウォン(約4,960円、2017年4月現在)もらえる」という、なかなか素敵なアルバイトもしたことがあります。

ーお子さんが小さい頃は色々制限されてきますよね。その時間でできるものとなると、やはり日本の在宅の仕事が中心になるんですね。

そうですね。基本的に、子供達が保育園に通っている時間帯にできる仕事を探してやっていました。ただこの後は少し時間ができ、また韓国のお仕事をしたんです。

2015年6月~9月:プルコギ屋でホールのアルバイト

韓国料理

次男も保育園に通いだし、午前10時~午後3時の時間帯でアルバイトができるところをインターネットサイト「コネスト」で探していたところ、ちょうどプルコギ屋でホールのアルバイトを募集していたので、ダメで元々と連絡してみました。

勤務時間帯は希望できるということだったので、「平日の午前10時~午後3時だけ」と伝えたところ、OKをもらい通い始めました。

ーこれまでとはまったく違うお仕事ですね。働いてみていかがでしたか?

スタッフの皆さんも気さくで、特に人間関係の問題などはなく、楽しく働いていました。ただ、日本と韓国の違いなのかよく分かりませんが、正社員でも出勤時間ぴったりに来る人達が多いのには驚きました。私はいつも時間に余裕を持って行動する方なので。

ー時間に対する感覚の違いですね。国あるいは地方により違うと言われますよね。

それでも楽しく働いていましたけどね。

ところが、アルバイトを始めて3ヶ月の間、それまで元気に保育園に通っていた子供達が手足口病にかかってしまいました。しかも、兄弟が交代でかかってしまったんです。

少なくとも2週間ほど保育園を休ませなければならない状況になり、泣く泣くアルバイトを辞めざるをえなくなりました。

韓国でパンとお菓子の可能性に気づく

ーお子さんたちの体調が落ち着いた後、また仕事を探されたんでしょうか。

はい。しかし、前にやっていた入力や翻訳の仕事は定期的にあるわけではありません。何より、好きでやっていたことではありませんでした。

仕事はしたいものの、子供たちがまだ幼いため外で働くことができない私は「家でできる仕事には一体何があるのだろうか」と日々悩んでいました

そんなとき、旦那の友達からカフェをオープンしたという連絡があったのです。

その上、「そこでクッキーを販売したいんだけど、前に井田さんが作ってくれたクッキーが美味しかったから、ぜひお店のためにクッキーを作ってもらいたい」という申し出があり、週に一度クッキーを焼くことになりました。

ーそれはすごい偶然ですね。

もともと、お菓子作りやパン作りというのは子供が生まれた頃から趣味でよくやっていました。でも、その話を頂いてからは、「どうせやるならちゃんと学んでみたい」と強く思うようになったんです。

そこで、子供たちが保育園に通っている時間帯で製菓製パンを習える学校を探し、月曜から金曜まで毎日4時間の授業を約3ヶ月間受講しました。

韓国でKeiko’s kitchenが誕生

井田恵子さん

ー本格的にパン作りとお菓子作りを勉強された後、実際に販売を始めるまでにはどのような経緯があったんでしょうか。

たまたま、日本人のママ友の集まりがあり、そこへ手作りのチーズケーキタルトやパンを持って行くと、ママ友の一人に「このチーズケーキタルトを売ってもらうことはできる?」と言われました。

また、ケーキを焼いて保育園での子供の誕生日会に持たせたところ、保育園の先生達から「クッキーやパンを作って販売してもらえないか」「メニュー表を作ってほしい」と頼まれたんです。

ーそれで、自信がついた。

はい。韓国のブログやフェイスブックにパンやお菓子のメニューサイトを作ってアップしたところ、周りのママ友からも注文が入るようになり、2016年10月に販売をスタートしました。

まだお小遣い程度の収入ですが、パンやお菓子を焼くという好きなことをしながら、それを美味しいと言ってもらえる喜びは、それまで味わったことのないものでした。

ー趣味を仕事にするのは日本でも難しいことですが、外国である韓国でそれを実現したというのは本当にすごいですね。

注文制なので、家にいて時間を調整しながら子供を優先できます。今はこの仕事ができてとても幸せです。

前編まとめ~模索してたどり着いた自分にぴったりの仕事

韓国に渡って以来、様々な仕事を経験してきた井田恵子さん。あらゆる可能性を探ってみたからこそ、本当にやりたい仕事にたどり着いたと言えそうです。

韓国での仕事の探し方や韓国人の働き方など、韓国就職に興味がある人にとっては参考になるお話も多かったのではないでしょうか。

さて、インタビュー後編では、韓国で働く難しさや仕事のやりがい、これから韓国で働きたい人へのアドバイスなどをお聞きします。どうぞご期待ください!

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