私、藤井美穂はアメリカで女優として活動しています。日本で20年間を過ごし、短大を卒業後に渡米しました。でも、当時は英語も話せず、むしろ英語嫌いでした。
そんな私がなぜアメリカへ行き、どんな経緯で役者になったのでしょうか。
紆余曲折あり、決して平坦ではありませんでしたが、アメリカで役者として活動することに興味がある人の参考になるよう、私の挑戦の道のりをご紹介します。
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アメリカへ渡るまで1. 演劇に出会った中学~高校時代
※高校時代、制服姿での1枚
学校よりも芝居に熱中
勉強嫌いの私がなぜかお受験をしてギリギリの点数で入った中学は、私立のカトリック系の学校でした。おてんば能天気な私がそんなお上品な雰囲気に合うはずもなく、早い段階で学校に馴染めなくなり、不登校になります。
不登校といえども家では元気なもので、ずっとやりたかったお芝居をするために地元の劇団に入りました。それが私と演劇との出会いです。
学校には行かず、毎日家で外郎(ういろう)売り(発声練習のための歌舞伎演目のセリフ)を大きな声で音読し、学校にはたまに行くという日々でした。
高校を経て希望の短大へ
カトリック中学は中高一貫の学校だったのですが、やっぱり自分には合わず、高校からは公立の学校に進み、部活のなぎなたに打ち込みました。
このなぎなたでインターハイや国体に連れて行ってもらったのが功を奏し、志望校であった桐朋学園芸術短期大学に入ることができました。
この大学は日本で一番役者を輩出している学校で、ロサンゼルスに来た今でも、在米の卒業生に出会うことがあります。
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[/col][col][/col][/2col]アメリカへ渡るまで2. 演劇に打ち込んだ大学時代
※舞台「美しきものの伝説」の一場面
桐朋学園の演劇科に入学した私は舞台役者としての勉強を始めます。人生でこんなに一生懸命演劇に打ち込むことは後にも先にもないだろうと思うほど、ただただ毎日役者として生きていた大学時代でした。
「役者はお給料をもらわない方が本当にいい芝居ができる」という誰かの言葉は本当なのかもしれないと思うほど、ひたすら純粋に演劇をやっていました。
在学中、イタリアを中心に活躍されている演出家の井田邦明先生という方に演出していただく機会があり、絶えず「世界に飛び出せ」とおっしゃるのに影響を受けました。
お芝居に関してはすごく怖い方でしたが、学ぶことはとてもとても多く、私の基礎を作ってくださったのは井田先生だと思っています。
アメリカ留学という選択と不安だらけの英語力
2年間短大で演劇を勉強しましたが、日本でこれからも演劇をやっていくことにあまりビジョンが描けず、井田先生がおっしゃったようになんとなく「世界に飛び出したい」気持ちがありました。
なぜアメリカを選んだのか
行き先として最初に頭に浮かんだのはアメリカでしたが、在学中にイタリアでイタリアの古い喜劇であるコメディオデラルテ(commedia dell’arte)を学ぶ機会もあり、アメリカにするかイタリアにするかはすごく迷いました。
でも、もともとハリウッド映画が好きで憧れもあり、最終的にアメリカ留学を決意。
舞台をやっているのだからニューヨークに行くべきかとも思ったのですが、ミュージカルをやるわけじゃないのにブロードウェイに行っても仕方ないかと、留学先はロサンゼルスに決めます。
英語は「宇宙人の言葉」
ここで私の英語レベルについてお話しすると、この時点で英語力はゼロです。アメリカに来るまで、英語は宇宙人の言葉くらいの認識でした。
アルファベットも書けなかった
お受験して入学したカトリック中学は英語教育で有名な学校で、最初の授業はアルファベットの筆記体を書くことでした。
そもそも、アルファベットすべてをまともに書けるかどうかも怪しかった私は、その1日目のクラスからつまずいてしまい、中学最初のテストは自分の名前が筆記体で書けずに減点されました。
夏休みの英作文の宿題は翻訳機を使って提出。イギリス人の先生にバレなかったんですから、たいしたもんです。
演技の一部でも無理なものは無理
短大に入ってからも英語はやっぱりダメだったのですが、演劇英語という授業を取っていて、無謀にも英語での演技に挑戦します。
なぜか先生に英語が話せそうと思われ、主役にキャスティングされてしまいますが、ろくに台詞も覚えられず発表はボロボロ。それでも、ギリギリ単位はもらえました。
短大を卒業し、渡米まで3ヶ月ほど猶予はありましたが英語力はまったく伸びず、とりあえずアメリカに行ってみることにしました。
アメリカ到着後はとにかく英語を猛勉強!
赤ちゃんレベルから勉強開始
ロサンゼルス空港に降り立った日。到着後に会うはずの語学学校のスタッフの方を見つけられず、電話をかけてももちろん相手は英語。話がまったく通じず、30分も迷っていました。
ロサンゼルスから離れたリバーサイドにある語学学校は大学付属の学校で、とてもしっかりしていました。その反面、日本人がとても多く、英語を学ばなければと切羽詰まっていた私はなるべく日本人と関わらないように過ごします。
しかしクラスは下から2番目で、中学英語も危ういレベルからのスタート。まるで赤ちゃんとしてアメリカに生まれてきたような感じでした。ホストファミリーから幼児向けの本を贈られたときは、自分が悪いにもかかわらず、とても屈辱的な気持ちになったのを覚えています。
英語ができてやっとスタートライン
語学学校では猛勉強し、1年後にはかなり英語が話せるようになりました。もともと、歌や物まねが得意だったので耳が良かったのだと思います。
とはいえ、英語が話せるようになったところでスタートラインに立ったに過ぎません。
語学学校卒業後にやっと目標であったハリウッドの演劇を学ぶため、ロサンゼルスのアクティングスクールに入りました。
ハリウッドのイロハを学び、目指すべきゴールを見つける
※NAACPアワードのレッドカーペットにて
アクティングスクールに入ってからは、楽しいこともあり、落ち込むこともありという毎日でした。好きなことを学ぶのは楽しい反面、プライドを折られてしまう瞬間はとてもしんどかったです。
舞台しかやってこなかった私には、カメラの前での演技は学ぶことが多く、新鮮で面白かったです。一方で、自分の英語のつたなさにイライラすることもありました。
即興劇の奥深さを知る
私がスクールで最も力を入れていたのはインプロ=インプロヴィゼーション、即興劇です。日本ではあまりメジャーではないのですが、アメリカでは多くのスターを生んだコメディの登竜門のようなお芝居のスタイルです。
ロビン・ウィリアムスやライアン・レイノルズ、ビル・マーレイなどの俳優たちもインプロを通して大スターへの道を上り詰めました。
インプロは人生のようなもの
要は、即興で面白いコメディショーをやるのがインプロなのですが、それがとても奥深いんです。
私のインプロの先生は「インプロは人生だ」と言っていましたが、まさにその通り。インプロのルールは人生のルールとしても適用できるのです。
今もときどき自分のインプログループとショーをすることがあります。去年はロサンゼルス、サンフランシスコのコミコンで、アメコミをテーマにしたインプロショーを行いました。
自分にとっての目標が見えた
もともとコメディをやるのが好きな典型的関西人だった私は、アメリカのコメディに出会って自分の居場所を見つけました。
日本でも芸人になるという道を考えたことはありましたが、日本の女芸人をテレビで見て、女を捨てる自分を想像できませんでした。
アメリカではコメディアンと女優の境目が日本よりもあいまいで、コメディ女優はコメディアンを経てコメディ映画に出られるケースが多いです。
綺麗な方も多く、美しさと面白さは共存できるんだと知り、これが私の目指したいところだと思ったのです。
アメリカで役者をするため書いて、演じて、自己プロデュース
※出演したYOUTUBEの番組の一場面
ハリウッドでのアジア人の役は全体の2%、女性の役はさらにそこから20%。ほぼ役がない状態です。
しかもキャスティングされる役は、従順な妻、めったに話さない静かな女の子など、いかにも「アジア人、日本人」という役が多く、自分がやりたい役、自分が本当に生かされる役とのギャップに悩んでいました。
得意なコメディで自分らしさをアピール
そこで、まずスタンドアップコメディをやることに決めました。
スタンドアップはマイクひとつで魅せる漫談です。これもインプロと同じようにコメディ俳優の登竜門で、ジム・キャリーなどもここから見出されスターになっています。
私はスタンドアップコメディで自分らしさをもっと多くの人に見てもらおうと思ったのです。
長年コメディのお芝居をやっていたこともあり、初めてのスタンドアップから大成功を収めることができました。それは大きな自信となり、以来、もしも自分の役がなければ作るしかないと、劇作とセルフプロデュースも行うようになりました。
インターネットから生まれるチャンス
日本ではまだ前例はありませんが、アメリカではYOUTUBEのウェブシリーズから人気になり、大きなネットワークのチャンネルでテレビドラマを作ることになるというようなケースはもうめずらしい話ではなくなりました。
インターネットのおかげで人に見てもらうことが容易になったのは、この時代に生まれて本当にありがたかったと思う理由の一つです。
私の最初のショートフィルム「Panes Butter」は日本語なまりの英語での苦労を映画にした作品で、 YOUTUBEでも1万回以上の再生数を記録しました。
今の目標は自分でプロデュースもでき、演じることもできるクリエイターになることです。
まとめ~できることに貪欲にチャレンジ!
※ハリウッドサインの裏側にて
現在は、誘拐結婚を題材にした社会派のショートフィルム“Our Mothers, Our Daughters, and Our Sons”を撮影中です。自分で執筆、監督、主演をやっています。
並行して、女性の問題や悩み、ストレスなどをテーマにしたウェブシリーズのコメディ台本を執筆中です。
ハリウッドでは今、女性の声が大きくなりつつあります。私も女性フィルムメーカーとして女性のための作品を作りたいと始めたプロジェクトです。
これからもノンストップで女優、クリエイターとして頑張りつつ、きらびやかでシビアなハリウッドについてお伝えしていきます。
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