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アメリカへ挑戦!なぜ藤井美穂がアメリカで女優になったのか

  • 公開日:
  • 更新日:
藤井美穂

日本で20年間を過ごし、英語さえも話せなかった、英語嫌いだった私がなぜアメリカに行き、女優になろうと思ったのか?

私の日本での英語学習、アメリカでの英語学習、またハリウッドでの役者としての修行についてまとめました。

紆余曲折あり、決して簡単な道ではありませんでしたが、もしもアメリカでの役者としての活動に興味がある人はぜひ参考にしてみてください。私はこういった経緯でアメリカで女優として活動することになりました。

英語が嫌いだった学生時代

藤井美穂の学生時代

※高校時代の制服姿での一枚

勉強嫌いな私が、なぜかお受験をして、ギリギリの点数で入った中学は私立のカトリック系の学校でした。おてんば能天気な私がそんなお上品な雰囲気に合うはずもなく、学校に割とすぐに馴染めなくなり、不登校になりました。

不登校と言えど、家では元気なもので、ずっとやりたかったお芝居をするために地元の劇団に入りました。それが私と演劇との出会いでした。学校には行かず、毎日家で外郎売りを大きな声で音読し、学校にはたまに行く、というような日々。

そのカトリックの学校は英語教育で有名な学校で、学校の最初の授業はアルファベットの筆記体を書くこと。

まともにアルファベットすべてを書けるかも怪しかった私は、その一日目のクラスからつまづいてしまい、中学最初のテストは自分の名前が筆記体で書けずに減点されました。

夏休みの英作文の宿題は翻訳機を使って提出。イギリス人の先生にバレなかったんですから、たいしたもんです。

そこからアメリカに来るまで英語は宇宙人の言葉くらいの認識でした。カトリック中学は、やっぱり自分には合わず、中高一貫の学校だったのですが、高校からは公立の学校に進み、部活のなぎなたに打ち込みました。

このなぎなたで、インターハイや国体に連れて行ってもらったのが功を奏し、あまり賢い高校ではなかったのですが、きちんと志望校であった桐朋短期大学に入ることができました。

この大学は日本で一番役者を輩出している学校で、ロサンゼルスに来た今でも、在米の卒業生に出会うことがあります。

演劇に打ち込んだ大学時代

演劇

※舞台「美しきものの伝説」からの一枚

桐朋学園の演劇科に入学し、舞台役者としての勉強を始めました。人生でこんなに一生懸命演劇に打ち込むことは後にも先にもないだろうと思うほど、ただ、ただ毎日役者として生きていた大学時代

「役者はお給料をもらわないほうが本当にいい芝居ができる。」という誰かの言葉は本当なのかもしれないと思うほど、ただ純粋に演劇をやっていました。

英語はやっぱりダメだったのですが、演劇英語という授業をとっていて、無謀にも英語で演技をすることに挑戦しました。

先生になぜか英語が話せそうと思われ、主役にキャスティングされてしまい、ろくに台詞も覚えられず、ボロボロの発表をしましたが、ギリギリ単位はもらえました。

また、在学中に井田邦明先生というイタリアを中心に活躍されている演出家の先生に演出していただく機会があり、絶えず、「世界に飛び出せ」とおっしゃるのに影響を受けました。

仕事中はすごく怖い方でしたが、学ぶことはとてもとても多く、私の基礎を作ってくださったのは井田先生だと思っています。

またイタリアでイタリアの古い喜劇であるコメディオデラルテ(commedia dell’arte)を学ぶ機会もあり、アメリカに留学するか、イタリアに留学するかはすごく迷いました。

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なぜアメリカに?

二年間短大で演劇を勉強して、日本でこれからも演劇をやっていくことにあまりビジョンが描けなかったことと、なんとなく「世界に飛び出したい」というのがあって、アメリカが始めに念頭にありました。

もともと、ハリウッド映画が好きで憧れもありました。舞台をやっているのだからニューヨークに行くべきかとも思ったのですが、ミュージカルをやるわけじゃないのにブロードウェイに行っても仕方ないかと、ロサンゼルスに留学先を決めました。

とはいっても英語力はゼロ。短大を卒業して渡米まで3ヶ月ほど英語を勉強する猶予はありましたが、まったく伸びず。とりあえずアメリカに行ってみることにしました。

とりあえず英語を猛勉強!

英語の勉強

はじめてロサンゼルス空港に着いた日は、着いてから会うはずの語学学校のスタッフの方を見つけられず、電話をかけても、もちろん相手は英語を話します。まったく話も通じず、30分も迷っていました。

ロサンゼルスから離れたリバーサイドにあった語学学校は大学付属の学校で、とてもしっかりしていました。その反面日本人がとても多く、英語を学ばなければと切羽詰まっていた私は、なるべく日本人と関わらないように過ごしていました

しかしクラスは下から二番目で、中学英語も危ういレベルから始めましたから、まるで赤ちゃんとしてアメリカに生まれてきたような感じでした。

ホストファミリーから幼児向けの本を贈られたときは、自分の学の無さが悪いにも関わらず、とても屈辱的な気持ちになったのを覚えています。

そこから語学学校では猛勉強し、一年後にはかなり英語が話せるようになりました。もともと、歌や物まねが得意だったので耳が良かったのだと思います。

しかし、英語が話せるようになったところで、スタートラインに立ったに過ぎません。語学学校卒業後はやっと目標であったハリウッドの演劇を学ぶため、ロサンゼルスのアクティングスクールに入りました。

ハリウッドのいろはを学ぶ

NAACPアワードのレッドカーペットでの一枚

※NAACPアワードのレッドカーペットでの一枚

ロサンゼルスのアクティングスクールに入ってからは、楽しいこともあり、落ち込むこともありという毎日でした。

好きなことを学ぶのは楽しい反面、自分のプライドを折られてしまう瞬間はとてもしんどかったです。舞台しかやってこなかった私には、カメラの前での演技は学ぶことが多く、新鮮で面白かったです。

それに対して、自分の英語のつたなさにイライラすることもありました。

私がスクールで最も力を入れていたのはインプロヴィゼーション、即興劇です。日本ではあまりメジャーではないのですが、アメリカでは多くのスターを生んだコメディの登竜門のようなお芝居のスタイルなんです。

ロビン・ウィリアムスやライアン・レイノルズ、ビル・マーレイなどの俳優たちもインプロを通して大スターへの道を上り詰めたのです。要は、即興で面白いコメディショーをやるのがインプロなんですが、それがとても奥深いんです。

私のインプロの先生は「インプロは人生だ。」と言っていましたがまさにその通り。インプロのルールは人生のルールとしても適用できるのです。今もときどき自分のインプログループとショーをすることもあります。

去年はロサンゼルス、サンフランシスコのコミコンで、アメコミをテーマにしたインプロショーを行いました。もともとコメディをやるのが好きな、典型的関西人だった私は、アメリカのコメディに出会って自分の居場所を見つけました

日本でも芸人になるという道を考えたことはありましたが、日本での女芸人をテレビで見て、女を捨てる自分を想像できませんでした。

アメリカではコメディアンと女優の境目が日本よりもっとあいまいで、コメディ女優さんはコメディアンを経てコメディ映画に出られるケースが多いんです。

それもあり、綺麗な方も多く、美しさと面白さは共存できるんだと知って、そこが私の目指したいところだ、と思ったのです。

書いて、演じて

出演したYOUTUBEの番組からの一枚

※出演したYOUTUBEの番組からの一枚

しかしハリウッドでのアジア人の役は全体の2パーセント、女性の役はさらにそこから20パーセントという、ほぼ役がない状態なのです。

しかもキャスティングされる役は従順な妻や、めったに話さない静かな女の子など、いかにも「アジア人、日本人」な役が多く、自分の中のやりたい役、自分が本当に生かされる役とのギャップに悩んでいました。

そこでまずスタンドアップコメディをやることに決めました。スタンドアップコメディもまたインプロと同じようにコメディ俳優の登竜門で、ジム・キャリーなどもここから見出されスターになっています。

スタンドアップはマイクひとつで魅せる漫談です。私はここで自分らしさをもっと多くの人に見てもらおうと思ったのです。

長年コメディのお芝居をやっていたこともあり、初めてのスタンドアップから、大成功を収めることができました。それは大きな自信となり、そこからもしも自分の役がなければ作るしかない、と劇作とセルフプロデュースも行うようになりました。

日本ではまだ前例はありませんが、アメリカではYOUTUBEでWEBシリーズを作っていたところから人気になり、大きなネットワークのチャンネルでテレビドラマをつくることになるというようなケースはもうめずらしい話ではなくなりました。

インターネットのおかげで人に見てもらう、ということが容易になったのは、この時代に生まれて本当にありがたかったと思う理由の一つです。

私の最初のショートフィルム「Panes Butter」は日本語なまりの英語での苦労を映画にした作品で、 YOUTUBE でも一万回以上の再生数の作品となりました。私の今の目標は自分でプロデュースもでき、演じることもできるクリエイターになることです。

まとめ

ハリウッド

※ハリウッドサインの裏側での一枚

ここまでが私の女優人生です。今は自分で執筆、監督、主演を手がける”Our Mothers, Our Daughters, and Our Sons”という誘拐結婚を題材にした社会派のショートフィルムを撮影中です。

またコメディでは、女性の問題や悩み、ストレスなどをテーマにした、WEBシリーズの台本を執筆中です。

ハリウッドでは今、女性の声も大きくなりつつあります。私も女性フィルムメーカーとして、女性のための作品を作りたいとはじめたプロジェクトです。

ノンストップで女優、クリエイターとして頑張っていきたいと思っております。 これからもきらびやかでシビアなハリウッドについてお話していきます。

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