プーケットのダイビングショップで働く!就職体験談とプーケットで働くことを決めた理由

プーケットのビーチ タイでの働き方

20年以上前に初めて旅行で訪れたプーケット。それまでみたことがなかった美しい海やアジア独特の雰囲気がとても非現実的で、すぐに虜になってしまいました。

お休みをみつけてはプーケットに足を運びましたが、日本に住み日本で働くという現実があるからこそ魅力的に感じるのであろうと考え、あくまで旅行を楽しんでいました。

それから数年後、まさか自分がこの地プーケットで暮らすなどとは思ってもみませんでした。なぜ、どういう経緯でプーケットで暮らすようになったか、どのような仕事をしてきたのかを振り返ってみようと思います。

プーケットに住んでみたい!

ココナッツ

初めてこのプーケットにやってきたのは20年以上も前のことでした。アジアを旅行するのが好きな友人にタイへ行こうと誘われ、じゃあ行ってみようかと気軽に遊びにきました

3週間ほどの予定で成田からバンコクの往復の航空券だけ予約して、現地での予定はあまり決めずにやってきました。

最初は友達と一緒に行動していましたが、途中から友達は北部に行くことになりました。しかし私はリゾート地らしいところに行きたくて、1週間ほど別行動することに決めました。

初めて足を踏み入れた海外のビーチリゾート、ヤシの木や青い海、みるもの全てが新鮮であっという間にここが気に入ってしまいました

その頃の私は東京の広告代理店のクリエイティブ部で働いていました。広告代理店での仕事は朝も夜もなくとてもハードで、好きでやっていたはずの仕事を楽しいと思えなくなるほど、心も体もすっかり疲れ切っていました。

そんな生活の中、タイから帰国後もあの楽園のようなプーケットを忘れることができず、それからは休みをみつけてはプーケットを訪れていました。

そしていつしか、あくせく働く日本での生活を一旦やめて、ここで働くことはできないのか、ここに住んでみたい、と考えるようになったのです。

プーケットへ長期滞在しまずはお試し期間

ダイビング

日本の会社に辞表を出し、すぐにプーケットへ行く準備を始めました。初めてタイ旅行に誘ってくれた例の友人も、たまたま同じ時期に会社を退職してタイに長期滞在をしようと計画していました。それならばと一緒に行くことにしました。

友人と話し合い、ただ滞在するだけではもったいないからと、旅行で来ていた時に始めたダイビングのプロライセンスを取得しながら試しに長期滞在してみることにしました。

最初の1年ほどはプーケットと日本を行ったり来たりしながらの生活でした。プーケットにいる間はダイビングの勉強をしながら、現地のダイビングショップのお手伝いをしていました。

手伝いをする代わりに無料でダイビングをして良い、という条件でしたのでお給料などはありませんでした。ですので、日本に帰国している期間はアルバイトをしてプーケットで使うお金を貯めていました

初めてのプーケットでの就職

タイの国旗

ある程度までダイビングのスキルアップをし、ダイビングの仕事ができるライセンスを取得後は、プーケットから船で2時間ほどの場所にあるピピ島という離島に渡りました。

そこはプーケットよりもさらに海がきれいでダイビングをしに訪れる観光客が多く、島にはたくさんのダイビングショップがあったので、仕事を探すのにちょうどよい場所でした。

日本人のダイビング客はそれほど多くなかったので、すでに日本人スタッフがいるお店ではなかなか雇ってくれません。私はまだ日本人がいないお店を選んで、日本人スタッフを募集していないか聞いて回りました。

その中で仲良くなったダイビングショップのオーナーに、これから日本人のマーケットも拡大したいからとお店で働くことを快諾してもらうことができました。

タイ人のオーナーが経営するショップでしたが、その頃のメインの客層は欧米人でした。

日本語の看板やチラシを作成し日本人のお客さまに来てもらえるように努力をしましたが、最初はなかなかうまくいかず欧米人のお客さまのケアをすることが多かったです。

ここまでは、まだプーケットに完全に移住することは考えてはいなくて、新しい環境で始めたばかりの仕事を覚えたり、現地での友人を作ったり、仕事と日常で使う英語とタイ語を覚えるのに必死な日々でした。

本格的にプーケットで働くことを決めるまで

船

半年ほどピピ島で働いたあと、オーナーからプーケットにも支店を出すことになったので、そちらで働いてみないかとの誘いがありました。

ただし、プーケット勤務になった場合はダイビングの現場に出るというよりは、本格的な日本人マーケットを開拓すべくマーケティングマネージャーとして働いて欲しいということでした。

ピピ島での生活はとても楽しいものでしたが、正直お給料の面では満足するものではありませんでした。プーケット勤務になれば固定給もアップし、さらに日本人のお客さまからのブッキングが入るごとにコミッションをもらうこともできました。

また、幸運なことにオーナーは十分な資金を日本人マーケットに使うことを許してくれていたため、日本の大きなダイビングフェスティバルなどにブースを出店して集客をしたり、日本の旅行会社と組んでツアーを企画、開催したり、大手ダイビング雑誌に広告を出したり記事を書いてもらったりと、ピピ島時代には感じることのできなかった、仕事に対するやりがいと充実感を得ることができるようになりました。

仕事に関しても満足し、日本でアルバイトしなくても生活できるだけのお給料をもらうことができるようになったことで、今までのプーケットと日本を行ったり来たりする生活をやめ、プーケットにしっかりと腰をおろし働いていくことを決めました。

さらなるステップアップを目指す

プーケットに移住してくるまでは、ダイビングについても旅行業界のことについてもまったくの素人でしたが、2年ほどたつ頃には仕事にもすっかり慣れて、言葉も仕事をするのに支障がないほどまでに上達しました。

当初は一人で担当していた日本人マーケットでしたが、私の他に常時1名から2名の日本人スタッフも常駐するようになっていました。

しかしその頃、働いていた会社のメインである欧米人マーケットの業績が傾き始めていました。その影響は日本人マーケットにも出始めて、辞めずに続けるかほかの会社に移るか悩んでいました。

ちょうどその時期にプーケットで知り合った日本人のダイビング関係者の方から、一緒に新しいお店を立ち上げてみないかというお誘いを受けました。

それまではタイ人の会社の中での仕事でしたので、何か問題があっても周りのタイ人スタッフが助けてくれていました。

一から立ち上げる予定のお店は、当面は日本人だけでやっていくということでしたので多少の不安はありましたが、今までに得た知識とネットワークを生かすチャンスと、おもいきって転職することを決めました。

最初は収入も減り思うように集客もできないという時期が何年か続きましたが、いまではダイビングのみではなく、プーケットや周辺地域の日本人向けツアーのオペレーションまで業務を拡大し、安定した暮らしができるようになりました。

まとめ

私の場合プーケットで働くようになったきっかけは、ただただとても好きになったここで働きたい、という気持ちだけでした。

そのためにはどうしたら良いのか、何をしたら暮らしていけるのかを後から考えて、それを実行に移すというあまり計画性のないやり方でした。

もっとタイ語や英語を勉強してくればよかった、もっとお金を貯めてからくればよかった、と後悔することもときにはありました。

しかし、プーケットが好き、ここで働きたい、という気持ちはずっと変わらずに持ち続けていたので、それが諦めずにやっていくための原動力になっていたと思います。

大変なこともたくさんありましたが、ここで働くというのはとても良い決断だったと思います。

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記事を書いた人

タイ・プーケットピピ島にてダイビングショップ勤務や日本人部門マーケティングマネージャー、旅行会社経営など。

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