高校生からの夢であった海外生活。私はその夢を実現し、ニュージーランドで3年以上暮らしたあと、つい最近、カナダを拠点に新生活を始めました。
同級生や親戚などの多くは高校や大学を卒業し社会人として働いていて、ニュージーランド移住を決めた当初は分かってもらえないことがほとんどでした。特に、父からの理解を得たのはごく最近のことです。
私が海外生活に憧れを持った理由から、両親との確執を得て今に至るまでの過程を紹介します。
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海外生活に憧れを抱いた高校時代の出来事
同級生の留学がきっかけ
初めて「海外生活」を意識した日は今でもはっきりと覚えています。
それは高校2年生の17歳の時、当時通っていた女子高で隣のクラスの生徒が1年間のオーストラリア留学を決めたことがきっかけです。
留学制度はあったもののほとんど利用する生徒がいなかったため、彼女は数年ぶりの留学生でした。
その知らせを聞いてから数ヶ月後、彼女はオーストラリアのシドニーへ1年間の留学のために旅立っていきました。
海外への興味が湧いてきた
私がその子と直接話す機会はほとんどありませんでしたが、留学前から英語の勉強を熱心にしていたようで、留学中も先生からその様子を聞くことが何度もありました。
当時、海外についてほとんど知識がなかった私にはその話はとても興味深いものでした。
それ以来、留学や海外への憧れを抱くようになりましたが、すぐに実行へと移すことはありませんでした。
ニュージーランドに語学留学、8ヶ月間だけの夢の実現
私が初めて海外を訪れたのは23歳の時です。高校生から憧れていたものの、実現するまでに5年以上かかりました。
その最大の理由は、私の消極的な性格です。
殻を破れなかった以前の私
今でこそ自分の意見を周囲に言えるようになりましたが、当時の私は意見や悩み事があっても、家族や友人にも相談など一度もしたことはありませんでした。
高校卒業後、大学に進学した私はこっそりと留学資金を貯めていましたが、実行に移すことはありませんでした。
しかし、大学を卒業して進路に悩み、貯めていた貯金を全て使い、親の反対を押し切ってついにニュージーランドへ渡ったのです。
新しい環境で新しい自分に
23歳で初めて訪れた海外はとても新鮮で、それまでに見たことのない景色が広がっていました。語学学校に通い、8ヶ月の留学期間で一生の友人にも恵まれました。
初めての海外生活だったため、英語でのコミュニケーションや新しい人との出会いがより大きく自分を成長させてくれました。
それに加えて、学校やプライベートでも自分の意見を発言する機会が多く、休日にもよく1人で外に出かけていたせいか、日本へ帰国する頃にはそれまでよりも積極的な性格へ変わっていたのです。
また海外で生活したい!日本で準備後、再びニュージーランドへ
日本で働きながら貯金
帰国後、社会人として3年間、事務の仕事をしました。周囲よりも遅い社会人スタートでした。
フルタイムで働いていたもののすぐに物足りない思いになり、平日は会社で働き、週末は語学学校に通い始めます。
ただし、3年間は社会人として日本で働くと決めていたので、働きながら再び海外へ行くために貯金をしていました。
NZへ戻り勉強と仕事に励む
3年後、再びニュージーランドに渡った私は専門学校に2年通い、その後、ワークビザで日本食レストランのマネージャーなどとして働き始めます。
学校の授業は全て英語で、宿題やテストも多くあり、特に学期末試験前は勉強漬けの2年間でした。
また日本食レストランでは、メニューを全て英語で覚えたり、英語での接客に慣れたりするまで時間がかかりました。しかし、常連のお客さんが多く、自分の顔や名前を覚えてもらえたときはとても嬉しかったです。
海外で暮らす夢を両親に理解してもらえるまでの長い時間
私の父は仕事で数回海外を訪れたことがありましたが、母は一度も日本から出たことはありません。
今でこそ、私の生活について話し、日本へ帰国する度に一緒に出かける仲ですが、ほんの数年前まで特に父とは直接話すことはほとんどありませんでした。
親の期待とすれ違う自分の夢
両親は私が大学を卒業し、会社員として数年働き、その後は結婚という風に考えていたようで、大学まで卒業させたのに計画が狂ったと何度も言っていました。
両親の期待に応えられず、でも自分の夢を実現させたい私は、ほんの最近まで両親と本音で話し合ったことはありませんでした。
しかし、両親は留学資金面でいつも援助してくれ、時々メールで海外での生活を報告することはありました。
また、私には姉妹がいるのですが、その姉妹も旅行で様々な国を訪れていて私とも仲が良く、彼女たちを通して両親とコミュニケーションを取ることが多かったです。
生活や環境の変化が転機に
父と分かり合えたのは、父の定年退職と祖父母の死がきっかけでした。
定年までずっと同じ会社に勤め、忙しい時期は家族と触れ合う時間もなかった父。その父も国内旅行がひとつの趣味で、小さい頃には毎年のように家族旅行をしていました。
父の定年退職後の数年後に祖父母が亡くなり、それをきっかけに父も自分の時間を持てるようになりました。
今は電話やメールで話すこともあり、少し恥ずかしそうに私の海外での生活をよく聞いてきます。
難しい時期を乗り越えて今がある
私と両親は、価値観のすれ違いとお互いの生活の忙しさから、まともに話をする機会がありませんでした。
しかし、今では少しずつ会話する機会も増え、日本へ一時帰国したときには毎回空港まで迎えに来てくれてハグをするまでの関係になりました。
母は、特に私の健康面をいつも心配しています。パスポートも持っていない母は、よくテレビや本でニュージーランドの情報を探し、いつも楽しそうに話しています。
海外で見つけた新しい夢、ニュージーランドからカナダへ
充実したNZ生活に疑問
ニュージーランドで3年以上生活した私は、その後もニュージーランドで暮らしていくつもりでした。
友人や職場にも恵まれ、来た当時は全く話せなかった英語も日常生活レベルならほとんど問題がない程度にまで話せるようになりました。
また、仕事面ではお店のマネージャーとして、スタッフの採用や教育、プロモーションなど、普段の接客以外の業務にも携わる機会が増え、忙しいながらも充実した日々です。
しかし、ニュージーランドでの生活が充実すればするほど、何か物足りないと感じている自分がいました。
自分が知っているのは一国だけ
私はよく、海外で暮らしている日本人のブログやインスタグラムを見ています。
また、ニュージーランド滞在中に年代や出身地が異なる多くの日本人に会いました。彼らは多くの国を訪れていて、パソコンひとつで仕事をしながら世界中を回っている人もいました。
私は海外での生活はそれなりに長いものの、ニュージーランドしか知りません。そんな私にとって彼らの話はとても刺激的でした。
また、30歳までしか取れない「ワーキングホリデービザ」の年齢制限が迫っている私にとって悩んでいる時間はありませんでした。
カナダで新しいスタートを切る
ちょうどニュージーランドのワークビザが切れるタイミングで、カナダのワーキングホリデービザを取得しました。
私は、
- 文章を書くこと
- 文章で自分の思いや考えを伝えること
- パソコンでの作業
- 写真を撮ること
- 様々な場所を訪れ、現地の人と交流すること
- 英語を話すこと
が大好きです。
そこで、私自身の海外生活の経験を文章にして伝え、これから海外生活を考えている若者の参考になればという思いから、フリーランスのライターとして新たなスタートを切りました。
現在はカナダを拠点に「世界中を飛び回る旅ライター」を目指しています。
まとめ~夢を夢で終わらせない!
ほとんどの人が、夢を抱きながらも現実に邪魔され、実現できないままに人生を終えていくという話を聞いたことがあります。私自身、高校生の時に抱いた夢を10年かけて実現するとは思ってもいませんでした。
ひとつの大きな夢を叶えた私は現在、海外でのライフスタイルを模索中ですが、どんなに小さい夢でも、仮に失敗したとしても、夢で終わらせてほしくないと思います。
この記事を通して、多くの人にそのことを伝えたいです。
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